傷跡なき戦場
日が登り、空が橙色に、薄らとした青色に染まる。障害物の無い一面の砂地が俺の眼前に広がっている。
夜の冷えがまだ砂の底に残り、乾いた風が頬を撫でていく。
敵の大号令が聞こえる。それは、風によって運ばれてくる。俺の隣に立っているサーミヤの仕業だ。
誰にも、気づかれない繊細な魔法の使い方だ。俺は、感心して彼女の顔を見る。自慢したいはずなのに、わざと知らんふりをする。
「鼻息が荒くなってるぞ!」
「へ?」
俺が驚いたように顔をしかめると、サーミヤが得意げに笑った。
「冗談だぞ!」
「遅いなぁ。一番槍を入れたい奴はいないのか?」
敵の進軍が、遅々として進まない。
俺が図書室で読んだ戦記では、皆が争って一番槍を狙ったはずなのに……。そんな気持ちが、胸をよぎる。
「じゃあ、こちらから行くか!」
俺が突撃と叫び駆け出そうとした瞬間、背中をワッドに掴まれた。
「こら、トルサン。作戦を聞いてなかったのか? この岩の防衛壁の隙間で応戦だ。隙間なら、人数差が出ないだろ。」
敵はじわりじわりと陣形を組んで進んでくる。さすがに、一万を超える隊列は壮観だ。
朝日に照らされた槍の穂先が、波のように揺れている。
「なんか、武器や防具が揃ってるな」戦場に駆り出された炭鉱夫や、文書官にすら、長さの揃った槍と、大きめの木盾を持たせている。
「子狐家が、仕入れてきたらしいですよ」平和になった地域から、格安で買い集めて、古井戸家に良い値段で売ったらしい。
「戦争でも儲けるのか」
山一つ分の場所まで近づいた時点で、隊列が止まり再度整えられる。
足並みが揃うたび、砂が低く鳴る。
「お行儀の良い、行進の練習か!」俺が笑っていたら、突然、弓矢が降ってきた。敵の方が、高低差で言えば、高い。山なりに放たれた矢に、魔術で勢いと射程を加えているのだ。
矢は陽光を弾き、鈍い光を残して落ちてくる。
敵の槍隊に気を取られて、後ろにいる弓隊と雇われた魔術隊に気がつかなかった。
「当たっても大した傷にはならないだろう」と笑っていた俺だったが、矢に当たった壁の上に立っていた周りの兵が口から泡を吹いて次々倒れていく。
盾に当たった矢じりが、じゅ、と嫌な音を立てた。
俺にも、矢が刺さる。
あ、これは猛毒だ。舌の奥に、鉄の味が広がる。
まあ、これくらいなら、俺にはなんの影響も無いが。
「気をつけろ、猛毒の矢だ。全員、盾を上げろ!トルサン、みんなに通達してくれ!」俺はカインの警告を大声で叫ぶ。声が風に乗って届く。
「サーミヤ!頼む!」俺は誰にも聞こえないくらいの小さな声を出す。だが、ハイエルフには聞こえるはずだ。
眠そうな目で俺を見るサーミヤ。
第二弾の矢が飛んでくる。
その瞬間、風向きがわずかに変わった。
盾の縁をかすめた矢が、急に軌道を逸らす。
大量に放たれた矢は、大気の風の強い影響を受けて、防御壁の手前に落ち始めた。
まるで、自然現象のようだ。
砂に突き刺さる音が、雨のように続く。
これが、魔法の力。自然世界への干渉だ。
気がつく者がいたとすれば、それは魔法を知る者だろう。
「腹が減ったな。トルサンに奢ってもらおう!」と、サーミヤが言う。これには、どう考えても高くつきそうだ。
「サーミヤ様、何を呑気なことを……」ワッドもカインも全く気がついていない。
「今のうちに、盾の準備と怪我人を後退させろ!」
怪我人は担架で病室に運ばれていった。
敵は、弓矢の攻撃を諦め、進軍を本格的に開始した。
※
数十倍はある大軍勢だ。だが、奴らにこの防御陣地を突破される光景なんて、俺の頭にはない。……けれど、最初に打撃を与えて戦意を折った方が、こちらの消耗は少なくて済む。
「サーミヤ、例の作戦で行こう」
俺は、あらかじめ決めていた作戦を発動させる。
雲一つない空。乾いた風が吹く、広大な砂の大地。
その向こう、地平の果てに、砂がわずかに立ち上がる。
(いつ気づく?)
旗が揺れる。
隊列の端で、ざわめきが走る。
砂が、低く唸る。
そして。
地平線の空気が、ねじれた。
竜巻――いや、複数の竜巻が、砂を巻き上げながら、猛然とこちらに迫ってくる。
視界の端で渦をとらえながら、俺は知らぬ顔で壁を飛び降りた。
「敵がくるぞ! トルサン軍、各部隊ごとに配置につけ! 戦闘準備だ。カイン、他の軍団には突撃させるな! ……俺が先陣だ。約束は守らせろ」
前衛の剣士フォーリス、老師チェンの部隊からも合図が来る。
「準備完了。突撃はまだか?」
焦れているらしい。弓兵の集中攻撃を避けたくて、混戦に持ち込みたいのだろう。けれど、それでは俺の狙いが果たせない。
ゴウッ……ザザザッ、ビュオオオッ!
いくつもの竜巻が、大軍を飲み込む。巻き上げられた砂が視界を遮り、音と風があらゆる感覚を奪っていく。
悲鳴も怒号も、すぐに風に千切られる。
その混乱の中――俺は、土魔法を発動する。
ただの土の槍では駄目だ。魔法の痕跡が残る。自然現象として、気づかれずに打撃を与えるには、もっと曖昧で、形のないものがいい。
(この瞬間しかないな)
俺は、敵軍の足元に――広く、深く、大地を抉った。
砂が、吸い込まれていく。
音は、ほとんど無い。
ただ、手応えだけがある。
柔らかい。
……柔らかすぎる。
(深さは……わからない。見えないし、やりすぎもまずいが……)
視界のないまま、土をざっくりと削り取る。魔法とは、意志の具現化だ。
俺の意志が、そのまま地形になる。
俺たちは顔をスカーフで覆い、竜巻が通り過ぎるのをじっと待った。
やがて、風がすっと弱まり、世界が静かになる。
耳鳴りだけが、しばらく残った。
サーミヤが顔を上げる。岩陰に身を寄せ、カインとワッドに守られていた。目が合うと、彼女は何も言わず、ただ小さくうなずいた。
「よし……風が止んだ。突撃するぞ!」
「……また起こる可能性は?」
「ないと信じろ」
俺が先頭に駆け出すと、部隊がそれに続いた。
けれど、敵が見えない。
「……あれ?」
俺は立ち止まる。
砂地が、わずかに沈んでいる。
広く、円形に。
まるで、大地そのものが口を開けたように。
まさか、とは思った。
――やりすぎた。
「た、助けてくれ……!」
声が、砂の中から微かに聞こえる。
槍の柄が、半ばまで埋まっている。
盾が、指先だけを出している。
これは……戦争というより、処刑に近い。
「……武器を捨てたやつ、降伏を宣言したやつから助けろ。カイン、ワッド、看守隊を呼べ。紐とシャベルも持たせてこい」
俺の声は、わずかに低かった。
背後から、足音もなくサーミヤが近づいてきた。
そして俺の横で、淡々と、静かに言った。
「下手くそだな、トルサン」
彼女の目が笑っている。本当は大笑いしたいところを堪えて楽しんでいるような、そんな気配だ。
俺は肩をすくめた。
「……加減、教えてくれよ」
「自分で覚えろ」
砂の上を、朝の風が静かに吹き抜けた。
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