第三十九話 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い~食わず嫌いはよくない時もある~
時代は変わりつつあった。江戸の町では様々な文化が花開く一方で、農村では貧富の差が大きくなっていた。いつの世も貧しいものは苦しむ。
戯作者として華やかな江戸の暮らしを描くのもいい。だが現実の憂さを忘れるような楽しい作品にしたい。俺はそう思っていた。
「『長政旅行記』はいわゆる、ひっと作というものじゃのう」
のじゃロリさまこと、溶姫さまが腕を組み、名推理のポーズをとる。可愛いけどいいんだろうか。
「私の分析によれば、江戸の町にも異国の情報が入ってきているようじゃのう」
過去には露西亜に漂着した大黒屋光太夫が帰国したり、蘭学者たちがオランダ商館長と対談したりと海外との関わりも深まっていく。そんな時代なのだ。
そして異国の情報を取り入れた、長政旅行記も思わぬ流れを呼び起こすこととなった。
「頼もう」
俺の作品を片手に、僧形の男が門戸を叩いた。誰だろう。少し緊張するが、気にしては負けだ。
「そなたを芝蘭堂にお呼びしたい」
「主人を呼びますので、少々お待ちください」
俺はあくまで使用人という体でごまかす。陰では溶姫さまとこそこそ会話をし、ことの重大さを理解できないでいた。
「芝蘭堂はしらんどう、とか言ったら怒られるかな」
「信乃、それはさすがに庇えないのじゃ」
そもそもなんでお坊さんに呼ばれるんだろう。
「大事なことなのじゃ。あの者は恐らく大槻玄沢じゃ」
「誰だっけ? 」
なんか名前がどこかで聞いたことがあるけど思い出せない。
杉田玄白とか前野良沢とか、有名な名前は出てくるけど。
「そうなのじゃ。あの者は彼らの弟子じゃ」
「もしかして解体新書とか医学書を翻訳した人たちだっけ? 」
俺も多少歴史をかじっていたから知っている。時代は若干違うけどすごい人に目をつけられたね。
「でもなんでまた」
「戯作者の信濃木偶はどちらにいる」
信濃木偶が筆名の俺は戦慄した。こういう時ペンネームは助かる。本名の篠崎信乃を名乗らなければばれないから。
「再び申す。信濃木偶はどこだ」
なんだかあの人怖い。目が据わっているし、こちらを疑っているようだ。
「聞いておるのか。申し上げる、信濃木偶は……」
ごまかしも、もう利かないようだ。
正直に打ち明けよう。
「信濃木偶は、俺です」
怯え切った子犬のような瞳で見ても、全く効果はなかった。俺は図体だけでかくて、心は少年のままなんだから。
「信乃、何は言わないが、情けないのじゃ」
「く、苦しい」
脳内彼女の溶姫さまにも見放されかけた時だった。
「長政旅行記について問いたいことがある」
嬉しい感想を伝えてくれるとは思えない、仏頂面で迫られる。
近いし、怖い。
「あの話は何を参考にした」
段々高圧的になっているし。講演を頼まれるのかな、くらいにしか思っていなかった俺には非常に大きなプレッシャーだ。
「異国の話だけではない。あの絵はどこから手に入れた」
葛飾北斎の絵にまで着目するとは。
この男末恐ろしい。
「なぜ、異国のことをあれほどまでに緻密に描けるのだ」
それは機密情報だったようで、男は怒りをぶつけてきた。確かにこの時代の人だったら当然の態度だ。
でもこの人はどうしてそれを知っているのだろう。
「長政旅行記は蘭学の世界では悪い意味で有名だ」
虚実交えた作品だから、信じる者、疑う者に分かれ、舌戦が繰り広げられているそうだ。
「嘘を真実に混ぜるよう等。愚の骨頂」
この人、曲亭馬琴と似た匂いがする。人の話を聞かないタイプだ。
「学者とは真実を追い求めるもの。嘘を始めたら、それこそ学問への裏切り」
まさか自分の創作物が己の思惑を離れて影響力を持つとは。彼の眼は真剣だった。
「長政旅行記の情報をどこで仕入れたか、申し出よ」
言えない。ガリバー旅行記をパクっただなんて。
俺の作品は基本的に西洋文学のオマージュだ。
こんなことになるなら、同じ時代のデフォーが書いた、ロビンソン・クルーソーにすればよかった。
でもあれも船で遭難する話だから、結果変わらないかもしれない。
「信乃、現実逃避をしても解決はしないのじゃ」
「だよねえ」
のじゃロリさまこと溶姫さまもあきれ顔だ。仕方ないよね、怖い時は現実直視したくないし。
「私は『環海異聞』を執筆した。世界を一周した者たちから聞き取りをしたのだ長政旅行記にはその話と合致する情報が多々あり、信濃木偶を疑っている」
あちゃあ、この時代は偉い人以外が異国のことを語るのはご法度。寛政異学の禁とかあったことを思い出す。
表立っては外の世界について語ることはおろか、知ることも許されない時代だったのだ。
「さてはそなた……」
俺は固唾をのんで、相手の出方を待つ。疑われているときは沈黙を守るに限る。雄弁は銀沈黙は金、だ。
「過去に海の外に流されたのか」
おお、それは素晴らしい誤解だった。昔は島流しもあったよね。
このままその体で話に乗ろう。
「そうです。その時に頭を打って、あることないこと語るようになったんです」
若干悲しいことを言っているが仕方ない。生きるためだ。
「そうか、それは致し方ない」
本は売れたが、売れると知らない人にまで届くことになる。ああ恐ろしい。詳しい人が見ればわかるところは分かる。
嘘も方便だなと強く実感した。
「私も医学の道を進んだものとして、様々な研究をしてきた。解体新書の改訂を師匠に依頼されてようやっと終わったところだ」
もう身内だと判断されたのか機密情報も教えてくれる。
「そなたからは話も聞かせてもらいたいものだ」
頭のいい人は好奇心も強いのか、大槻玄沢は目をキラキラさせていた。
「なかなか苦労したのだろう。戯作者として名をあげるのだから、才能もあるはずだ」
なぜか労われた。褒められると嫌な気はしないよね。
「また参る」
男はニタっと笑い、そのまま去っていった。
イヤな台詞を残したまま。
「俺は蘭学者さまに目をつけられたのか」
「今日ばかりは塩をまくのじゃ」
脳内彼女の溶姫さまがぷりぷり怒り出す。いつも穏やかな彼女が珍しい。
「異国のことで信乃を問い詰めるのは好かんのじゃ。敵か味方かわからないから気を付けるのじゃ」
俺のことを気遣ってくれているようだ。ありがたい。
「のじゃロリさま、サンキュな」
「ゆあうえるかむ、なのじゃ」
なぜかカタカナ英語で返してくれる。そんなところも可愛い。
頬が緩んでいるところをたまたま通り過ぎた曲亭馬琴に目撃される。
「信乃、脂下がっているが何かあったのか。男児たるもの……」
こんこんと説教される未来が見えたので、さっさと逃げる。人生塞翁が馬、逃げるが勝ち、が座右の銘だ。
「そうだ、一つ知らせがある」
なんだろう。嫌な予感がする。
「葛飾北斎が我が家に暮らすこととなった」
復讐月氷奇縁、これが売れて曲亭馬琴は人気作家へと駆け上がる。そして更に名声をあげることになるのは知っていた。
それが次回作となる、鎮西八郎為朝外伝、椿説弓張月なのだから。




