第三十八話 縁は異なもの味なもの~知り合いの知り合いって他人? ~
曲亭馬琴は得意げに語っていた。
「師匠のやり方では、読者はついてこないはずだ。常に新しいことに挑戦する意欲を見せてこその戯作者だ」
善光寺の出開帳から戻り、俺たちは創作の世界にどっぷりと浸かる。
ちなみに師匠こと、山東京伝は相変わらず、岡場所で遊女をひっかけているらしい。奥さんがいるのに泣かせるね。
「信乃と一緒にいれば百人力だ」
「ありがとうな」
曲亭馬琴もいいことを言ってくれる。これまた泣かせてくれる。
「さて、私の新作の復讐月氷奇縁は大坂の版元から出してもらう」
えっ。ちょっと待ってくれ。上方旅行で、俺がのんびりお団子食べたり、ほっこり(サツマイモ)を喉に詰まらせそうになった時にそんな話が進んでいたなんて。
「信乃は相変わらずじゃのう」
「だってのじゃロリさま……」
曲亭馬琴が筆を執っている間、俺は脳内彼女こと溶姫さまと作戦会議だ。目に見えない彼女とお話していると怪しい、なんて言わないでね。
「信乃には『長政旅行記』があるのじゃ」
ついでに挿絵は葛飾北斎がやってくれるとかくれないとか。彼の卓越したセンスと技術で描かれる異世界は面白いはずだ。
構想ではシャム(タイ)の国を追放された山田長政が空想の世界で政権を握るという内容だ。実際山田長政は有能だったし、少し前に流行った追放物の流れも汲んでいるし、よさそうだ。
一方の曲亭馬琴の新作は文字通り復讐もの。室町時代を舞台としているあたり、さては彼もあの時代が好きなのではと予想される。勧善懲悪のストーリーが得意な馬琴だからこそできた作品だ。
「信乃、ふぁいとなのじゃ。私はそろそろ休憩するのじゃ」
「ええ、のじゃロリさまあ」
優しい溶姫さまにも見放され、俺は思索に耽る。
文化の時代に変わり、俺たちも新たな作風に取り組む必要がある。挿絵はもちろんだが、中身も重要だ。
江戸の人々が心より楽しめる作品を世に出したい。そんな思いに突き動かされる。
ライバルは曲亭馬琴だけでない。十返舎一九や、そのほかの名もなき戯作者たちを相手に競わなければならない。
頭一つ抜けるためにはどうするか。考えなければいけない時期に来ていた。
中堅作家になるとはそういうことだ。
期待に応えるだけではない。それ以上に面白い作品を創り上げる必要があるのだ。
「流行物は廃り物、なんていうけどさ。一瞬でもみんなが欲しがったものってことだよな」
ぽつりと一人呟く。今はただ、前だけを向いて歩き出すだけだ。
「山東京伝師匠、また岡場所で遊んでたんですか」
「信乃、久しぶりだな」
瀟洒な屋敷に顔を出す。中には師匠の山東京伝の姿があった。
「初代の蔦屋重三郎を思い出してな。もう会えないのは承知だが、時折顔を見たくなるのだ」
あの時はよかったとしみじみと語る。彼の中では栄華を極めた時代なのだろう。俺たちもまだひよっこ作家で、色々と勉強させてもらった。
今でいうところのマルチメディア展開の走り。戯作者として、クリエイターとして、亡くなった初代には本当に世話になった。
「師匠の場合、女の子も目当てだったんじゃないですか」
「それは否定しない」
子供っぽく笑う姿は昔と変わらない。ただ幾分か焦りと不安が見える。
「私は驕っているのだろうか。今までのやり方を曲亭馬琴に否定されて、筆を執らずにはいられないのだ」
「人にはそれぞれ、己の信じる道があるのです。師匠には師匠の道がありますよ」
「そう言ってくれると、ほっとする」
安堵の息をつき、師匠はキセルをふかす。
「私の人生は振り返ると楽しいものだった。最後に陰りが出てくるような死に方はしたくないものだ」
でもいざ死んだ後のことを考えるとな、と笑う。
「お上には逆らい、手鎖の刑に処された。他の仲間も処罰され、死んでいった者たちもいる。それを思うと私は恵まれていたのかもな」
死んだらこの地に葬ってほしいと告げる。
「まだ、師匠は元気じゃないですか。先は長いんですから、変なことは言わないでください」
老いというものが彼を焦らせているようだった。明るく、自信にあふれていた男には似合わない。
「若い戯作者たちなど敵ではないと思っているが、そろそろ引き際も考える時か」
だからこそ最後の集大成として、最高の作品を創りたいのだと語る。
「考証や随筆、作家活動は死ぬまで続けたい」
彼の中にある不安を打ち消すように豪華に笑う。新たな競合との戦いを覚悟して、余裕はないはずなのに、楽し気に振舞う。
それでこそ山東京伝師匠なのかもしれない。
「俺は師匠の力になりたいです。最初に戯作者としての一歩を踏み出せたのも師匠のおかげですし、上方旅行で更に勉強させてもらって、弟子として本当に幸せでした」
「そういってもらえると師匠冥利に尽きる」
たとえライバルになったとしても、この気持ちは忘れないだろう。
変わらないものなどない。
だけど、本当に大切なことは忘れないでいたい。
切にそう願った。
「ではそろそろお暇致します。師匠もありがとうございました」
「気をつけてな」
それが、最後に見た師匠らしい姿だった。
これから時代は変わる。
文化の時代に、黄金期がやってくる。様々な戯作者、絵師が活躍する時代だ。その中に新たな創作の息が芽吹く。時代は洒落本から読本、滑稽本に変わりつつあった。時の潮流に乗らなければ、取り残される、そんな不安も残しながら。
創作に権威は必要なのだろうか。
人々が好きに語る姿を楽しめればそれでいいのではないか。
そんな複雑な思いを抱きつつ、戯作を書き進める。
「『長政旅行記』、了っと」
曲亭馬琴は上方の版元。俺は江戸の版元。互いに出すものは違えど、こうして世に出て、人々が楽しんでくれるか。勝負すると熱が入る。
味方は葛飾北斎。他にもライバルは十返舎一九がいる。
切磋琢磨して、世に残る作品を描きたい。
後世に名が残るような、そんな作者にならなくていい。
ただ、浮世の辛さを忘れるような、面白い作品が描きたいのだ。
「みんなに負けない作品にしような」
勝ち負けではない、勝負があるのだ。




