第四十話 早起きは三文の徳~損をしてでも寝ていたいときはどうする~
曲亭馬琴と葛飾北斎が協力して作品を創る。その事実に驚きはあったものの、歴史は史実通りに動いていた。
彼らが新たに描く世界は保元の乱を舞台にした伝奇物語、平安時代と琉球王朝を交えた不可思議な作品だ。
主人公は源為朝、かの有名な崇徳院の下で戦った悪運強き男にして、弓の名手でもある。
「まさか、今この瞬間に名作が生まれているとはな」
「信乃、負けておられないのじゃ」
脳内彼女の溶姫さまがはっぱをかけてくる。俺もライバルとして、面白い作品を書かねば。
「次のネタは何にするのじゃ」
「うーん、何も思いつかない」
俺が知っている西洋文学の知識も徐々にネタが尽きてきた。俺が好きな短編は大体使ってしまっている。
「俺も曲亭馬琴に対抗して、長編書くかな」
しかし、何も思い浮かばない。これが燃え尽き症候群かと言いたくなるが、燃え尽きるほど俺は何かをやっていただろうか。
「信乃は『すといっく』、じゃのう」
のじゃロリさま、こと溶姫さまが褒めてくれる。褒められると調子に乗るのが人間の性で。
「そう、俺は極める男なんだよ」
と、その瞬間だった。
「信乃、聞け。あの男、私の指定した構図と真逆のことをした」
曲亭馬琴が俺に詰め寄り、鬼気迫る勢いで訴えかける。
「私の意図した世界が描ける男だと見込んだはずなのに、とんだ見当違いだった」
お互い生きる世界が違いすぎて、早速軋轢を生んでいる。
「もうよい、別の絵師に……」
「待て、馬琴」
諍いは収まることはなく、俺を巻き込んでより大きな争いになっていた。
「俺は見栄えを意識してこの構図にしたのだ。文句は言わせない」
「絵師の仕事は戯作者の物語を忠実に描くことだろう」
こだわり派の二人を止めるのは至難の業だ。
俺は自分が極める男だと自認していたことを恥じた。
だってこんな喧嘩するほど、我は通さないから。
「それに絵を描くのはいいが、部屋が汚すぎる」
潔癖の気がある曲亭馬琴は苛々と頭を掻きむしる。もう耐えられないと俺を差し出す。
「信乃、何とかせよ」
それは秩序ある世界に戻せということで、要するにお掃除しろという意味だった。
「俺は画材がそばにないと、絵が描けない。邪魔はするな」
「もう知らぬ」
葛飾北斎と曲亭馬琴のバトルに呆気にとられ、ぽかんとしていると。
「信乃、この男をどうにかしてくれ」
「俺は言うことは聞かねえ」
だから俺を巻き込むなと言いたい。だけど完全に俺を町奉行かなんかとかと勘違いしているよね。
「二人の主張は分かった。志が高いのは立派だけど、お互い歩み寄らないと完成しないぞ」
俺が正論を言うと、二人は口を閉ざす。
「むっ」
「ふん」
ものすごく何か言いたげだが、完成を目指す二人には効果てきめんのようだ。
「部屋に戻る」
「町に出る」
知性派元ニートと、無頼派絵師は真逆の方向を向いて去っていく。
「ふう、仲裁になったのかな」
さっき色々考えていたのに二人の争いのせいですべてが吹っ飛んだ。
「ネタだよネタ」
何も降りてこないどころか、無駄な労力を使ったことで思考が止まる。何をしていたんだっけと独り言ち、俺はごろんと横になった。
「信乃、ふて寝はよくないのじゃ」
「溶姫さま、ちょっとだけだからね」
そのまま板敷に寝転がっていると、意識が遠のく。全身バキバキに痛くなりそうだが、その時は何も考えていなかった。
「信乃、早起きをしないとなのじゃ」
「うーん、むにゃむにゃ」
彼女がしっかり起こしてくれると思い、俺はすっかり安心していた。
このまま幸せな夢の世界で過ごしたい。
「信乃、起きるのじゃ」
「ぐうぐう」
溶姫さまが俺の身体をぶんぶん揺らす。頭がぐらぐらして、片目だけ開ける。俺はただ寝たいだけ。だけど現実は厳しい。
ゴーン、ゴーン。
「明け六つには曲亭馬琴の茶を用意するのじゃろう」
時の鐘が鳴っていた。
「早起きは三文の徳というじゃろう」
俺は損をしてでも寝ていたいけど。そんな言い訳をしていると呆れた声で突っ込まれる。
「これはダメなのじゃ」
溶姫さまにも見放され、さすがにまずいかと焦った。でもネタは降ってこないし、書きたい題材が思い浮かばない。
こういう時は寝るに限る。
寝る子は育つ、だからね。
ゴーン、ゴーン。
「信乃、さすがに起きるのじゃ」
何度目かの時の鐘の音がしても、目は片目だけしか開けない。
学問は、余暇のスコレーから来ているという。
俺も暇にならないと、知恵が湧いてこないのだ。
「逍遥学派がいるなら、睡眠学派がいたっていいよね」
言い訳を並べていると、何かがひらめいた。そうだ。この体験を創作に生かすのだ。
そして三回目の鐘が鳴る頃に、目を覚ました。
「ユゴーのノートルダム・ド・パリを題材に書こう」
ユゴーといえばレミゼラブルの作者でもある。人間味あふれるストーリーが当時の人の心をとらえていたのだ。
捨て子だった主人公、カジモトは大聖堂の鐘を突く仕事をしていた。それを江戸の時の鐘に置き換え、寺に引き取られた青年が苦難を乗り越える物語にしよう。
でもよく考えると、ノートルダム・ド・パリは今より未来の時に書かれているんだよな。大丈夫かな。
問題はエスメラルダの立ち位置だ。華やかな遊女をモデルにするか、役者を題材にするか。
「信乃、ようやくすいっちとやらが入ったのじゃ」
「溶姫さまもありがとう」
そうと決まれば、実行するだけだ。ライバルたちに負けない良い作品にしたい。曲亭馬琴の代表作に埋もれてしまってはいけないから。
「よし、頑張るぞ」
「その意気なのじゃ」
気合を入れて、執筆にとりかかる。善は急げ、だ。
寝食を忘れ、寝ても覚めても書き続ける。
夜明けは近かった。




