第三十五話 ピンチはチャンスというけれど~事件は突然起きるもの~
無事に上方旅行を終えた俺たちは創作に燃えていた。新しく触れた文化に、自分たちの個性を出す。例えば曲亭馬琴だったら勧善懲悪で王道の中にも歴史や古典の文化を入れ、読者からも好評を得ていた。
「ただいま、二代目」
そして俺はというと、新たな西洋文学の下地に異国見聞録風の作品を作り上げだした。その名も長政旅行記。ガリバー旅行記をパクリつつ、山田長政を主人公とした作品だ。
「番頭さん、どこにいるんだ」
「今はいないぞ」
やたらと身なりがボロボロの壮年の男に声をかけられる。誰だろう。どこかで見覚えがあるような。
「勝川……なんだっけ? 」
以前俺の作品の表紙を書いてくれた絵師なのは覚えている。才能があって、自信家な男で、俺のことを丁稚扱いしていたことを思い出した。
「今は葛飾北斎だ」
「はい? 」
ちょっと待て。どういうことだ。俺はあの葛飾北斎に挿絵を描いてもらっていたのか。
「信乃、まさかこの男が葛飾北斎じゃったとはのう」
脳内彼女こと、溶姫さまも興奮でどんどん肩を叩く。当然だが痛い。
俺だって知らなかったよ。
しかし振り返ってみれば、卓越した美術の才能に堂々としすぎた佇まい。改めて考えると俺はすごい人に上から目線でアドバイスしていたのではないかと不安になった。
「あれからお前の忠告通りしたいようにしたら、破門されて今は自由に描いている。それはよかったんだが」
男は頬をポリポリと掻く。何かきまりが悪そうな顔だ。
「やりすぎて二代目蔦屋が処罰されてしまった」
言わんこっちゃない。俺はどうしてこうも極端な人間に出会うのだろう。俺のしたアドバイスはよかったのかはマジでわからない。
「ってちょっと待った」
蔦屋が処罰されたと聞いていてもたまらなくなる。
初代が亡くなってから数年が経つが、またお上に目をつけられたのか。
「なんでも俺が出した狂歌本の潮来絶句集の装丁が派手だといちゃもんがついて処罰された。相変わらず陰険なやつらだぜ」
お上の反発を招いても我が道を行くその姿はすごいが、なんというか。出る杭は打たれるという言葉は本当なんだなと思い知らされる。
芸術家とはそういう人間なのかもしれない。
「二代目はどこにいるんだ」
「今は奉行所に連れていかれている」
また手鎖の刑に処罰されたら大変だ。俺は駆け出す。
「それよりお前、新作は書いたのか」
男に肩を掴まれ、問われる。今はそれより落ち着けと諭されているようだった。
「長政旅行記とはな。面白そうだ」
俺が書いた原稿をつらつらと読み上げる様に、気が抜けそうになる。この緊張感のなさは何なんだ。
「暹羅の国で王に重用された山田長政という男が追放されて、異国を訪れた形をとった見聞録か」
確かに江戸のこの頃に異国の文化や技術の研究が流れてきている。それを踏まえて、海の向こうの珍道中を俺たちの上方旅行の経験を交えて記した。
「大人の国、小人の国、馬の国と空想の話とはいえ面白い」
ちなみにガリバー旅行記の作者スウィフトは、ロビンソン・クルーソーのデフォーと同じ時代を生き、ともに芸術、宗教、政治への造詣も深かった。風刺という形をとりながらもアイルランド出身で司祭となったスウィフトには当時のイギリスに対して思うところがあったのだろう。
これから江戸も激動の時代となる。だから俺もあえて挑戦的な内容にした。
「褒めてくれるのは嬉しいけど、二代目のところに急がないと」
俺は焦る思いをおさえて、どうにか進もうとするが。
「仏さまのお話とは打って変わって、野心的な作品になりそうだ」
男は子供のように笑い、腕を組む。
「だからそうしているうちにも二代目が……」
「坊主、急がば回れって言葉があるだろう」
俺は何度か聞いたことがあったが、大体焦っているときは耳に入らない。
「ここは人助けと思って、俺も挿絵を描いてやると決めた」
だが一つ困っていることがあると笑う。
「曲亭馬琴という男がいるだろう。あの男に会いたい」
どうしても会いたいが偏屈なので断られているという。
あの葛飾北斎と曲亭馬琴がともに作品を作り上げるのならば楽しみだが。
「嫌だと申している」
背後から声がする。振り返るといつもの偏狭な曲亭馬琴の姿があった。
「どうしてだ」
「お主は私の意図を汲んで挿絵は描けないだろう」
「そんなことはない」
確かにお互い自由人だから苦労しそうだ。
「約束を反故にする男に見える」
「それはお前の目が曇っている」
「いうことなど聞かない顔をしている」
「それはお前の我が強いだけだ」
「やはり気の強そうな声が……」
いい加減にしないか。俺はブチ切れそうになった。
「子供じゃないんだから喧嘩するなよ」
こめかみがひくつくのを感じながら二人を仲裁した。こいつら本当にウマが合わない。
「まあいい。今回のところは許してやる。土下座してお願いしますといっても次はないかもしれないぞ」
「ふん。そう思える日が来るといいが」
偏屈と自信家との戦いは平行線だった。しかしいつまで喧嘩しているつもりなんだ。
「あのな、二代目が大変なんだぞ。二人とも……」
「ただいま戻った」
懐かしい声がする。番頭さんだ。
「おう、戻ったか」
「大したことはなかった。お家断絶とまではいかないさ」
別に驚きはないのか葛飾北斎はにかっと笑う。
「さすがは天下の蔦屋だ。そう来なくっちゃ」
「私も心配はしたが恐れてはいなかった」
こいつらはどうしてこうも豪胆なんだ。俺にはない図太さと肝っ玉の大きさが備わっている。生まれつきなのか。
「信乃、心配性で苦労するのじゃ」
あの憧れの北斎に多少呆れつつも俺に同情してくれるのは、脳内彼女の溶姫様だけだった。
「うう。優しさが沁みる」
「何を泣いている」
曲亭馬琴が呆れた顔をする。なんで相手の方がやれやれみたいな態度なんだ。
喧嘩の仲裁はしたけれど、なんか腑に落ちない。
「馬琴、信乃。ここは相談なんだが」
二代目が神妙な顔つきでこちらを見る。
「この通り、処罰されて金がない」
売れる作品を作ってくれ。
そう頭を下げられた。
「顔をあげてくださいよ」
あれだけ世話になった相手なのだから困ったときはお互い様だ。
「頼まれたからには最高の作品を作るって」
「蔦屋にふさわしい原稿を渡すに決まっている」
ピンチこそチャンスという。
俺たちは新たな転機を迎えつつあった。




