第三十四話 最後の観光~ミーハー心に火をつけるのはいつだって自分自身~
大坂の地で勉強ばかりで息が詰まる。俺と曲亭馬琴の出した結論だった。ずっと文人たちの批評を聞いてばかりでもつまらないしね。
「やはり曾根崎心中の舞台でもあるし、上方文化を学ぶにはぴったりだ」
だがしかし。俺にはそれよりも優先せねばならないものがあった。
「伊勢湾、瀬戸内で取れた鳥貝、ニシンの昆布巻きエトセトラエトセトラ」
「信乃、お主はほっこりを買ったではないか」
河岸で甘藷を食べながら他のネタを探していた。
「俺は他の食べ物も成敗しないと大石内蔵助が浮かばれないだろう」
「確かに忠臣蔵の天川屋はあったが、それとこれとは関係ないだろう」
やはり上方は創作の中心。ミーハー心と食欲に火が付いた。当然白い目で見られる。
「信乃、みーはーとは何じゃ」
脳内彼女こと溶姫さまも聞いてくる。彼女も俺と似ているので気持ちは分かってくれるはずだと思ったが。
「支援者になりたいという気持ちになることだよ」
ちょっとカッコつけたのは大目に見てほしい。ファンとは推しを支えることを本望としているし、嘘じゃないよね。
「上方の文化に触れる良い機会じゃが、信乃の場合は食べすぎじゃ」
「はい」
少し反省するが、俺は懐から銭を引っ張り出す。
「甘いものならいいよね」
「私は甘藷で腹いっぱいだ」
あの甘いもの大好きな曲亭馬琴すらギブアップとは。少し残念だ。
仕方がないので河岸で芝居役者たちが稽古をしている様を観察する。声はよく通るし、華がある。
「芝居小屋はたくさんあるし、やはり江戸に負けず劣らず栄えている」
「和事はやはり上方に限るな」
ちなみに和事とはやつし事といって、高い身分の人が訳あって色ごとの世界に興じていく役のことである。今でいうメロドラマ風の話だね。
「しかし色事に関しては私たちは少し弱い部分がある」
冷静に分析するが俺たちの懐は寒い。それは買い食いのしすぎによるもので、山東京伝師匠に向ける顔がない。
「実は帰りの資金が尽きてしまった」
「……はい? 」
まさか馬鹿正直に打ち明けられるとは思わなかった。このまま道頓堀に飛び込むか。
「信乃、全然めでたくないのじゃ」
しっかりと溶姫さまからも突っ込みが来る。やはりここは一発当てるしかない。
「富くじを買おう」
昔からギャンブルとは流行るもので、こと富くじに関しては江戸でも人気だった。東海道中膝栗毛の弥次さん喜多さんだってやっていたしね。
「どれだけご法度とされようと、金は天下の回りものだ」
そもそも富くじ自体が摂津の国が発祥の地のため、昔からあるものなのだ。
「そうと決まれば富くじ小屋に行こう」
現代でも宝くじは大人気だし、ギャンブルとは人の射幸心を煽る存在だ。一発逆転、夢があるじゃないか。
「まずは札を買おう」
そこで、座摩神社のくじのために並ぶ。
「そこの江戸の人」
小さな子供が横入りをしようとする。何か事情でもあるのだろうか。
「おにいはんら、おねがいやす」
「あんだら、何しよって」
関西人同士が言い争いを始める。皆金のために目が血走っている。
「まあまあそこは俺に免じて許してやってください」
俺は上背があるので、迫力があるのか小柄な彼らはビビって大人しくなった。
子供に意地悪はいけないよね。
「俺たちも一発逆転しないと江戸まで帰れないし、みんな事情があるんだろう」
「おおきにやで」
子供は少し寂しそうに笑い、懐から銭を出す。他の人が一両、二両と出す中、子供は二十四文を出していた。子供の持つ額としては高い。
「おっ母が病気か」
「どうしてそれを」
子供は居心地悪そうに頷き、お守りを取り出す。
「お百度参りがあるやろ、行けども行けども一向に治らんのや」
いよいよ金も尽き、最後は神頼みやと笑う。
どうしてかその時以前上田秋成と対面した時のことを思い出した。
みな家族を思い、最後の最後まで必死に尽くそうとしている。
だったら。
「これ使いな」
「信乃、良いのか」
俺の分は子供に渡すことにした。確かに俺たちは金がないが、親の生き死にがかかっているわけではない。
曲亭馬琴は驚いてはいたが、俺の行動を否定しなかった。
「俺の分は任せた」
「承知した。ただし、食い物には使わせないからな」
彼は頷き、富くじの札を買う。
「お兄はんら、おおきに。お礼がしたいんや」
話し言葉からすると子供は京の人間のようだ。貧しい身なりだが、言葉遣いはきれいだし、整った顔をしている。
「危ないから変な男についていくなよ。人さらいだって珍しくないから」
つい心配して変なことを言ってしまう。
「うちは雪駄屋なんや。行商に来ることだってある」
少しむっとした声になって主張するのが子供っぽくていじらしい。
「そうだ、一つお願いがある」
鼻緒をすげ替えて欲しいと頼むと子供は手早く直してくれた。京は雪駄が有名なのだ。曲亭馬琴の婿入り先も下駄屋だから何かの参考になるだろう。
「ありがとうな」
「このくらいでほんまにええんか」
子供にこれ以上何かさせるわけにもいかない。
「あとは当たりが出たらおっ母にほっこりでも買ってあげてくれ」
甘藷は栄養があり、身体に良い。俺はおやつで食べていたくらいだし。
「おおきに」
そうやって子供は去っていった。もう二度と会うことはないかもしれないけど、それでもこうして出会えたのだから。願いが叶うことを祈った。
番号の書かれた桐の小札が箱に入れられ、錐で突き上げて、選ばれた番号を買ったものに金子が贈られる。
「信乃、私が見てくる」
札を片手に曲亭馬琴が神社の中の奥へと進む。皆富くじの結果に一喜一憂していた。
「残念だが、外れだ。致し方ない。別の方法を考えよう」
少し肩を落としていたが、彼は冷静だった。俺の方はというと。
「ああ、ほっこり食べるんじゃなかった。箱根の黒卵から始まった俺の浪費のせいだ。ごめん」
「良いのだ。私だって、甘味を食していたわけでもある」
「ううっ悪い」
いつの間にか俺たちは傷をなめあい、互いにああでもないこうでもないと言いあう。そもそも旅の目的を忘れかけていたが。
「お兄はんら」
小さな声がして振り返ると。
「うち、当たったみたいや」
嬉しそうに笑う子供の姿があった。
『口上
当日殊之外混雑ニ付
当札ノ御方明日
四ツ時金子
御渡可申掛以上
月日 世話人』
子供の手には八十八番の札があり、世話人の方へと向かう。
「信乃、さすがじゃ。日々善いことをするといいことがあるのう」
溶姫さまが俺の肩をバシバシ叩く。嬉しいが、痛い。
「こないな額もろうてどうしよう」
「おっ母だけじゃなくて自分のために使えばいい」
子供が相談してきて俺たちは素直にそう返す。
「お兄はんらにお礼がしたいんや」
だったらと俺たちは顔を見合わせる。
「最後に上方歌舞伎を見物したい」
今は亡き初代尾上菊五郎が演じた仮名手本忠臣蔵を見ることを約束した。
「よっ音羽屋」
屋号を呼び、見栄を切る役者を応援する。今でいうところのライブ感覚だ。
俺たちは旅の最後で見る演目に感動しつつ、かつての偉人たちの功績をどう戯作者として落とし込むか考えた。
華やかな街に、華やかな文化。その中には苦しい生活や悲しみの中にいる人たちだっている。その憂いを忘れられるような作品が作りたいと俺は決意した。
「戯作者として山東京伝師匠に恥じない作品を書こう」
自然と覚悟が決まった。
江戸に帰ったら。
この溢れる熱意を創作にぶつけたい。
「お兄はんら、うちお礼したいねん」
「歌舞伎見せてもらっただけでもありがたいのに」
子供は悪戯っぽく笑う。
「帰りのお駄賃や」
こっそりと旅の資金を渡してくれた。
「おおきにな。お兄はんのおかげでうちも希望が持てたんや」
だからこそ渡したいのだと言ってくれた。
「お兄はんらは戯作者なんやろ。貸本屋で借りるさかい教えてや」
「私は曲亭馬琴」
「俺は信濃木偶」
そうだ。これから創作の道を極め、師匠や上方でお世話になった上田秋成に恥じない戯作者となりたい。
新たな目標を立てて、江戸へ帰る。その足取りは軽快であり、希望に満ちたものだった。




