第二十五話 ビタミンB1~二代目は大体苦労する~
和製クリスマスキャロルが世に出る頃、蔦屋重三郎がこの世を去った。
死因は脚気だと聞く。
葬儀はしめやかに営まれた。
「あのお年でつい先日まで元気にご活躍されていたのに」
彼の死を悼み、葬儀には多くの人が駆けつけた。
当然俺や曲亭馬琴、山東京伝も参列し、少ないながらお香典も出す。
「まさか私よりも早く亡くなるとはな」
苦楽を共にした友人に先立たれ、山東京伝も言葉少なだ。
あの寛政の改革で苦しんだことを思い出すと、今の活躍があるのも彼のおかげに他ならない。
彼の代を継ぐのは誰か、皆が気にしていた。
血筋を残すことを優先するのか、それとも商売を生かすことを選ぶか。
もう決めていたのだろう。
蔦谷重三郎二代目を担うのは、あの番頭さんだった。
厳しくもあたたかく迎え入れてくれた、彼が二代目蔦屋重三郎を引き継ぐのだ。
「先代より長年のご愛顧、まことにありがたく思います。以後二代目蔦屋をごひいきに」
悲しみの表情で挨拶をして回っていた。
「信乃、人の別れとはわからないものだ」
「出会いがあれば、別れがある、か」
人情溢れる蔦屋重三郎に世話になった絵師、戯作者は多い。役者絵で有名な東洲斉写楽だけでなく、有名、無名の作者たちが集まり、彼の死に涙した。
「あの人、才能を見抜く力だけは並外れていたからな」
「惜しい人を失くしたものだ」
しめっぽいのは好きではないが、悲しいものは悲しい。
そういうものだ。
「生前蔦屋には大変お世話になりました」
番頭さんに声をかけている男がいた。
聞けば文筆業だけでなく挿絵も描いているらしい。多彩な男だ。
「十返舎一九と申す。心学時計草はじめいくつか出版していただいたことは忘れませぬ」
ってちょっと待った。あの東海道中膝栗毛で有名な作者じゃないか。
彼の代表作は知っていたけどまさか葬儀で出会うとは思わなかった。
「浪人となった私を救ってくれたのも彼でした」
蔦屋重三郎はすごい人だったのだと改めて感動した。
「生きているうちに恩返しがしたかった」
「そのお言葉だけで十分です」
番頭さんは静かに目を閉じ、ひたすら感謝の意を示す。
何度目かの葬式だけどこの時ほど人が集まり、悲しんでいるのを見たことはなかった。
「馬琴、そなたは新しく子供が生まれるそうだな」
番頭さんがひとしきり挨拶を終えると最後に声をかけてきた。
「輪廻転生というが先代も生まれ変わり、新たな命としてこの世にやってくるかもしれないな」
涙の席でまさか自分の子供の話題になるとは思わなかったのだろう。
曲亭馬琴は複雑そうな顔でうなずくだけだった。
「こうして出会ったのも何かの縁だ。二代目としてさらに商売に励まねば」
血筋ではなく、仕事で選んでもらったのだからと呟く。
責任のある立場には慣れていただろうが、改めて商売を引き継ぐというのは大変だろう。
「今後ともご贔屓に」
挑戦的なことを続けてきた蔦屋の魂は引き継がれた。
彼の瞳から伝わってきた。
「信乃、浮かない顔じゃの」
長屋に戻り、一人絵草紙を読み返しているとのじゃロリさまが声をかけてくる。
「俺も今後を考えちゃってさ」
あれだけ人に愛された男もこの世を去ってしまう。
当然のことだが、やはり悲しかった。
「俺はこの世界の人間じゃないから、死んでも困る人はいないと思うけどさ」
そうだ。未来から来た俺に身よりはない。
唯一の友人である曲亭馬琴も家庭を持ち、ただの寂しい独り身だ。
江戸の町にはそういう人間がごまんといる。
浪人や、田舎から逃げてきた農民。誰も彼もが仕事にあぶれている。
「信乃、それは違うのじゃ」
のじゃロリさまは続ける。
「信乃には皆がいるのじゃ。友人も、師匠も、仕事仲間も、みんな味方じゃ。それに私だっておる」
励ましてくれるのが嬉しくて俺は小さく笑った。
「いつか死んで、この世からいなくなっても生きていた証は残るのじゃ。蔦谷だってそうじゃろう」
死を悼むことはあっても生きていたころにもっと感謝すればよかったと思う。それが後悔というものか。
「色々世話になったけど、全然ありがとうとか言えなかったな」
「よいのじゃ。蔦屋だってわかっているのじゃ」
悲しんでいるのがその証拠だと言われ俺は静かにうなずく。
「そうだな。ありがとうのじゃロリさま」
「感謝されて悪い気になる人間はおらん。二代目も頑張るつもりじゃろう」
あの厳しい番頭さんがなるのだから心配はない。
「新たに生まれる命もある」
曲亭馬琴の子供が生まれる。それは何かの偶然かもしれないが、蔦屋の命がめぐりめぐってきたようにも思える。
「ややこは楽しみじゃ。今は無事に生まれることを祈り、ともに喜ぶことも必要じゃ」
その子供が様々な因果をもたらすことを俺たちはまだ知らなかった。
彼の名は鎮五郎という。
後の宗伯で医者となることを運命づけられた男。
そしてその妻は晩年の曲亭馬琴の執筆に尽力したみちである。
「やっぱり歴史って不思議だな」
こうして命が続いていくのも人の営みがあってこそなのだ。
まだ生まれぬ子供に思いを馳せ、夜が更けるのであった。




