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第二十二話 下駄は下駄屋~雨の日は下駄と傘のセットで決まりだ~

 江戸っ子はお洒落に気を遣い、派手な下駄が人気だった。

 そして履物屋では日常的に下駄を販売、鼻緒をすげ替えるなどのサービスも提供していた。

 つまり客相手の商売ということだ。

 これが俺の友人には苦痛だったのは想像に難くない。

「しかし婿殿の姿が見えませんね」

「あの人はいつも籠って、仕事の手伝いなどした試しがないのよ」

 怒っているのは妻よりも義母の方だった。

「山東京伝の口添えで縁談を思い切って引き受けた私がバカだったわ」

「あの人は商売上手で煙草屋もやっているからな」

 クリエーターが皆商売上手なわけではない。

 特に山東京伝に関しては商売のセンスがずば抜けている。芸術だけでないのだ。

「戯作者でしたっけ。だったら宣伝の口上でも考えてもらったらいいのでは」

「婿はそういうことはしないのです」

 完璧主義者で気難しい曲亭馬琴がしたがらないのは想像できる。

 見事に結婚後に嫁実家とうまくいっていないパターンだ。

 また高学歴ニートに逆戻りしている。

「子供が生まれたら変わるのかしら」

 いや、彼は昔からそうなので、子供が云々は全くもって関係ない。

 悲壮感と苛立ちが混じった表情でつぶやく彼女になんとも言えない気持ちになる。結婚って結局は人間関係なのだと実感する。

「仕事はしない代わりに、手習いを教えては小銭を稼いでいるようですが」

 完全なプー太郎というわけではないらしい。それが彼のやり方ということか。

「それに私たちの会田姓を使わず、瀧澤清右門と勝手に名乗って」

 一番の不満はそこらしい。

 彼女は愚痴もそこそこに客に商品を用意する。

「あら旦那、雨が降ってきましたね」

 履物屋には下駄とセットで傘も売っていた。雨の日は下駄を履き、傘をさすというのが江戸っ子だった。

 店の奥に隠れていた百が現れる。

 結納以来だったので、働いている姿は初めて見る。

「お客さん、どうかなさいましたか」

「友人の様子が気になっていて。信乃と申します」

 ざあざあ雨が降り始め、帰るのも難しい。

 それに曲亭馬琴に会うのが目的だ。彼の様子を確認して、問題を聞きださなければ。

「あら、信乃の旦那でしたか。うちのはまだ部屋に籠って何か書いています」

 普段は書き物をしているか、手習いを教えるかのどちらからしい。

「小銭を稼いでいるので問題はないのですが」

 家業を一切手伝わないので義母が気を揉んでいるのはわかる。

「しかも千蔭流の一門に弟子入りしようとしていて」

 百の気苦労は絶えないようだ。

 俺も彼女の気持ちは痛いほどわかる。

「信乃、実は嫁の方の肩を持っているのではなかろうか」

 のじゃロリさまが呆れた顔で見てくる。

「あの男も勉強好きじゃのう。加藤千蔭に師事しようとするとは」

 彼女の説明によれば加藤千蔭はあの寛政の改革で隠居するまでは町奉行の与力だったらしい。ただし隠居してから学芸に専念していた。

つまり今でいうところの警察署長が芸術も嗜んでいたというところか。

「千蔭流の書を習いたいのだと熱心に語るところを見ると、邪魔するのも気の毒で」

 百は優しい性格なのか、曲亭馬琴の芸術への情熱を否定しなかった。

 それが唯一の救いでもある。

「俺もあの人とは長い付き合いだけど、なかなか大変だろう」

 気難しく、完璧主義者で癇癪持ち。普通の人間だったら付き合おうとは思わない性格。

 だけど才能があり、好きなことには努力を惜しまない。

 そういうところが人を惹きつけるのだ。

「私は前の夫を亡くしてからというものの、心が空っぽになった気がして」

 周囲には再婚を勧められたが気乗りはしなかったらしい。

「こんな年増の婿になろうという人がいるとは思わなかったの」

 だから縁談が来たときは嬉しかったのだと笑う。

「いや、うちの方こそ、友人が婿にもらってもらえるとは夢にも思わなかった」

「割れ鍋に綴じ蓋なんていいますけど、私はこれで幸せなんです」

 不器用な夫を彼女なりに愛しているのだろう。

「母は怒っていますが、最初から彼に向いている仕事だとは思っていませんから」

 強い女性だった。

「それに年明けには子供が生まれます」

 新しい命が宿る腹をさする姿に俺は不思議とほっとした。

「母は子供が生まれれば腰を据えて仕事をするだろうと信じていますが、私はいいのです」

 諦めているわけでもなく、まっすぐ前を見据えていた。

「彼の夢を一緒に見届けたいのです」

 絵草紙の話をするとき、目を輝かせて語る姿が好きなのだという。

 戯作者として名を上げたいという夢を応援してくれる、そんな存在ができたのかと驚く。

「でも本当にいいのか」

 彼女は愛情深い。そんな彼女に苦労をかける男のことを放っておけないのは俺も同じだ。

「何かあったらすぐに駆け付けるから」

「信乃の旦那は心配性ですね」

 そう笑い、彼女は外を見やる。

「雨、止みましたね。傘を貸し出そうかと思いましたが大丈夫そうですね」

 先ほどまでの土砂降りが止み、青空が広がっていた。

「旦那が来たことは言いませんから」

 また来てくださいねと笑顔を向けられる。

「いやはや骨折り損のくたびれ儲けというやつじゃのう」

 のじゃロリさまがぽつりと呟く。俺が心配して先走りした結果となった。

「憎まれっ子世に憚るという言葉もあるし、案外信乃の方が苦労性じゃのう」

 会田家の複雑な事情を知れば知るほど心配になるが、俺にできることは少ない。

 俺のお節介は余計なお世話だとわかっていた。

 ヒーローになりたかったわけではない。

 ただ何かできると思いたかっただけだ。

「信乃、こういう時は旨いものを食べるのじゃ」

 慰めてもらうのは何度目だろう。

 俺はその日、長屋でそばをゆでた。なぜだか友人の顔を思い出した。

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