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第二十話 新たな門出~めでたい時は祝うのが信条です~

 履物商の会田家に婿入りが決まった。

 俺の友人である曲亭馬琴はぶつぶつ文句を言いながら晴着に着替えていた。

「信乃、やはり私はお前がうらやましい」

 浮草のような人生を歩んでいる俺に恨み言をぶつける。

「言いたくはないが私は結婚に向いていない」

 俺もよくわかっていると言い返すと、彼は黙る。

「ほら、今日はせっかくめでたい席なんだから、笑顔」

 会田家の義母がせわしなく動き、こちらの様子をうかがっている。

 結納の式って両家にとっても大事な席だからね。

「むう。面倒だ」

 不機嫌そうな顔をなんとか取り繕って、新郎の席に向かう。

「百や、準備はできたか」

 白無垢の姿で待ち構えているのは会田家の未亡人の彼女だ。

 白い打掛の内側には慶事であることを示す赤が入っていた。

「高砂や、この浦舟に帆を上げて」

 よくお正月で父親が謡っていた高砂が聞こえる。懐かしいような不思議な心持だ。

「しかしあの興邦くんがようやく結婚とはな」

「信乃、寂しいのかのう」

 脳内彼女ののじゃロリさまがはしゃぐ。俺のことをからかいつつ、痛いところを突いてくる。

「寂しいっていうか。俺もやっぱり一人になるのかと思うと急に考えちゃってさ」

 今まで散々迷惑をかけてきた曲亭馬琴が一人立ちをする。今までは彼がいたけど俺は未来から来た人間だ。いつかは戻る日が来る。でもその時が来るまで、俺はきっと一人だ。

「信乃案ずることはない。私がおるのじゃ」

 のじゃロリさまの言葉はありがたかった。

 この厳しい世の中彼女がいればどうにかなるのではないかと思える不思議な力があった。

「俺も蔦屋の家を出ないとな」

 住み込みで働くとしても限度がある。長い間世話になった恩があるが、戯作者として仕事をするためにも経済基盤は必要だ。

「信乃ならなんでもできるのじゃ。信じるのじゃ」

 周囲が楽し気にしているのを遠くに感じながら、俺は一抹の不安を覚えていた。

 貸本屋として働いてきた時もあったが、戯作者として独り立ちしたい。

 蔦屋という版元の世話になっているだけで満足していてはダメだ。

「信乃、友人の結婚が決まって肩の荷が下りたか」

 蔦屋重三郎が気を遣って声をかけてくる。

「そうですね。俺がいなくてやっていけるか心配ですが」

「私は信乃の心配もしている。もう腹は決まったのか」

 俺が独り立ちしたいことに気づいていたようだ。

「困ったらいつでも来なさい。仕事は山ほどある」

 そして優しい言葉を投げかけてくれる。

 この界隈で生きていくのは厳しい。だけど俺には夢がある。

 覚悟を決めるのは俺も同じだった。

「おめでとうございます」

 結納の儀が終わり、新婦のお色直しをして各々が喋りだす。

「新郎新婦の新たな門出だ。皆で祝うぞ」

 山東京伝師匠も新しい奥さんの百合を連れて騒いでいる。

「師匠には世話になったな」

 珍しく殊勝にも曲亭馬琴が彼に感謝している。

 執筆仲間も交えた華やかな式となった。

 こんな時が来るなんて思いもしなかった。

 山東京伝が手鎖の刑に処され、蔦屋重三郎の財産が没収された。

 寛政の改革ですべてが暗い闇にのまれそうだった。

 それを乗り越えられたのはみんなの力があったからだ。

 松平定信の政治の名残はあったが、今は庶民が堂々と創作にかかわることのできる時代だ。

 それがありがたかった。

 そして時代が変わるのだから自分自身も変わらなければならない。

 いつまでもすねをかじっている場合ではない。

「信乃の口から祝いの言葉が欲しい」

 まさかの曲亭馬琴から頼まれる。

「ご結婚心よりお祝い申し上げます。新たな門出を心から……」

「そう堅苦しい言葉はいらぬ」

 俺の渾身の言葉は遮られてしまった。

「でもなあ。なんか実感がないというか」

 あれだけ俺に頼ってきた男が婿にもらわれ、一人立ちするのは不思議な感覚だ。

 彼の兄に頼まれたのも遠い昔のように思える。

「身を固める覚悟をしたんだから言わせてもらうけどな。幸せになれよ」

 それは周囲を幸せにすることも含めてだ。

「かたじけない」

 武家として生まれ寂しい暮らしをしていた彼が、夫婦となる相手を見つけたのはめでたい限りだ。

 心配事はあるが、二人なら何とか乗り越えられるだろう。

 そう信じることにした。

「信乃との出会いは母の葬儀だった。あの時の言葉がなかったら私はこうして戯作者として出発することもなかっただろう」

 母の死を悼むこともせず、一人皮肉屋を気取っていた彼を思い出す。

 俺たちが出会わなかったら、創作に励むこともなかったのかもしれない。

 だとすれば俺たちが出会ったのも運命だ。

「両親に晴れの日を見せることは叶わなかったが、師匠や友人に囲まれて私は幸せだ」

 あの頃の自分に言ってやれる言葉があるとしたら何だろうなと一人呟く。

「夢を追い続けた日々は決して楽ではなかったが幸福だった。皆に感謝申し上げる」

 いつもは文句ばかり言う彼がこんなことを言うとは。

 彼も成長したのだと実感する。

 だからもういいよな。

 曲亭馬琴が所帯を持つと決まった日に。

 俺はこの深川の町で一人生きていくことを決めた。

 もう彼の心配をしなくたっていい。

 人の一生は重荷を背負って歩くがごとくなっていうけど。

 お荷物だと思っていた彼が俺の手を離れて進んだのだから。

 俺も一歩前に進まなければ。

 戯作者として、一人の人間として。

 生きていくことを決めた。

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