第十八話 武士には向かない職業~客商売は得意な人の方が珍しい~
蔦屋重三郎の手代となった俺たちが直面したのは厳しい現実だった。
蔦屋に推薦した山東京伝は自信を持てといったけれど彼の仕事は想像を絶する忙しさだった。
「これ信乃、摺師の手配はどうなっている」
「戯作者が逃げただと、引きずり出して書かせろ」
「店番を一刻ばかり頼む」
蔦屋重三郎は有能だった。そして彼の周囲も実力者そろいだ。
やることは山ほどある。
版元だから原作を集めて、絵をかかせ、出版する。そして店で販売もする。
手広い商売をしているのだから内部は忙しくて目が回りそうだ。
「瑣吉はどこにいった」
番頭さんが血眼で俺の友人を探す。興邦くんは表向き武家の身分を捨て、町人となった。それと同時に名を改め、瑣吉として生きることになった。
だけど。
「あいつを見つけたら習作を出させろ。完成まで待てないからな」
興邦くんは仕事に見事に馴染めなかった。才能はあるが気難しく完璧主義者だから完成が遅い。だからいつもお尻を叩かれる。
「ぷろでゅーさーというものは本当に忙しいのじゃな」
脳内彼女ののじゃロリさまはため息をつく。
目が回る忙しさに俺もへとへとだった。
「有能な人間ほど、仕事が回ってくるとはいうが、そろそろ寿命が縮みそうじゃ」
蔦屋重三郎は財産を没収され、間借りしていた店舗を半分まで減らされた。その分を取り戻すべく、血眼になって働いていた。
それは周囲も驚くくらいの勢いだった。
「寛政の改革を推進した松平定信がお役御免となり、規制もゆるくなってきたからな」
そう。あの寛政の改革は長くは続かなかった。それは庶民の反発や、緊縮財政による経済の疲弊、将軍である徳川家斉との対立など複合的な要因で、松平定信は解任されたのだ。
「五、六年金も少々たまりつめ、かくあらんとは誰も知ら川」
世間ではこんな歌が流行り、俺たちを追い詰めた松平定信の失脚はあっけないものだった。
「しかし外交問題もまだある中、本当にこの国はどうなってしまうのじゃろうか」
外交問題って何かあったっけ?
「北から使者が来たのじゃ。父は政治は得意じゃないから心配じゃのう」
北というとロシアか。大黒屋光太夫を連れてラクスマンが来たという話を親父が熱く語っていたのを思い出す。
だが肝心の松平定信が失脚しても寛政の改革の路線は継続していた。
この国の内憂外患が始まったのもこのころかもしれない。
俺たちの力ではどうにもならない局面に向かいつつあった。
「信乃、店番が終わったら習作でもいい。作品を見せてくれ」
習作か。俺は山東京伝とのやり取りを思い出すのだった。
その日、俺は創作に燃えていた。
あの日アンデルセンの人魚姫を題材にしようと決意した。
「信乃、そのネタは面白い。ぜひ書いてみてくれ」
天才とは近くにいるもので、アイデア一つで奇天烈な作品が出来上がった。
その名も、『箱入り娘面屋人魚』だ。
浦島太郎が鯉の遊女と浮気をして、彼女が産んだ子供が水揚げされ、遊女として働くというストーリーだ。
魚人として客を取るが生臭さから人気は出ず、学者を利用してご利益があると喧伝して人気者になる。
彼女を最初に拾った男は最後は金持ちになり、一緒に幸せに暮らしましたとさ、というお話に落ち着いた。
洒落や皮肉が利いた魚の擬人化作品。後にも先にもこれしかないだろうと思わせる強烈な個性があった。
俺はもっとヒューマンドラマよりの話の方がいいと思ったが、やはり山東京伝の作品には有無を言わせぬ魅力がある。
落ち込んでいる間にも作品をコンスタントに出す。その姿勢に俺は感服した。
やはり彼も作者なのだと実感する。
そんな彼が送り出してくれたのだからそれに恥じぬ働きをしようと心に誓ったのだ。
「おいそこの丁稚、蔦谷重三郎の店はここか」
店番をしているとこれまた貧しい身なりの男が声をかけてくる。
なんかデジャヴだな。
前にも同じことがあったような。
「俺は丁稚じゃないです。ここで働いているけど」
でも名前がわからないので探しようがない。
「中で蔦屋重三郎と打ち合わせをする予定だ。帰ってくるまで待たせてもらう」
不遜な男だがその顔からは自信が溢れ、貧しい身なりとは対照的だ。
「お茶を出します。少々お待ちを」
「いや、いい。贅沢は好かない」
そして本を絵草紙を物色しだす。
「普段は勝川派の門徒として絵を学んでいるが、兄弟子と馬が合わなくてな。悩んでいるのだ」
彼は絵というもの全般に興味があるのだろう。だから挿絵も描く。
それが面白くない人間もいるはずだ。
「悩むくらいなら、好きにやった方が結局は自分のためになると思うけど」
それは俺自身が悩んでいた過去から得た答えだ。
ただ率直に自分の思ったことを言っただけだったけど。
「確かに、丁稚の言うとおりだな。俺も好きにやることにするか」
もう十二分に好き勝手している気がするけど。
この男にも悩みがあるのだろう。
「よくわからないけど、お役に立てたならよかった」
「信乃、お客さんか」
蔦屋重三郎が戻ってきて男の相手をする。
それを確認した後、興邦くんがやってきた。
「信乃、かくまってくれ。私にはこの生活は無理だ」
どうやら番頭さんに原稿を催促されているらしい。
悲壮な声で訴えかけられると何とも言えない気分になる。
蔦屋の家は家長を筆頭に創作に厳しい家だった。




