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第十一話 つらしこの夜~売れっ子師匠は女好き? ~

 版元にパイプがあるという人って結構怪しいはずだが、あの山東京伝がいうなら本当かもしれない。俺と興邦くんは校正作業に入り、ほぼ缶詰で内容の修正に入った。

 俺よりも未来の曲亭馬琴の方が時間をかけている。興邦くんはじっと文章を読み返しては赤を入れている。

そしてその姿を物珍しそうに見ているのは山東京伝の新妻、菊園だった。

 彼女は元遊女なだけあって美しく、皆が心奪われた。

「信乃、脂下がりよって。私というものがありながらまったく」

 案の定のじゃロリさまが口をはさんでくる。

 静かな山東京伝宅ではありがたいが、お小言は耳が痛い。

「しかし、肝心のお師匠殿は引きこもって本当に大丈夫かのう」

 なんでも山東京伝は挿絵を描いたことで、過料処分とされたらしい。それ以来創作に対して消極的になっていた。

「このまま筆を折るなんてことがないといいんだけど」

 ぼそりと呟くと、ずっと静かに文章を読み返していた興邦くんが顔を上げる。

「山東京伝師匠のことか」

 彼は唯我独尊を地でいく男だから人の心配なんてしないと思っていたけど。

「本人にしかわからぬ苦しみというものがあるのだろう」

 一言漏らす姿に俺は少しだけ見直していた。自分のことしか考えられない人間ではなく、少しは成長したんだねと親のような心持だ。

「お二人とも、旦那さまのお話ですか。少しご相談があるでありん……おります」

 そして黙って俺たちの作業を見守っていた菊園が周囲を見渡してから、声をかけてくる。

 まだ吉原で働いていた時の言葉が抜けないのか、少しだけ不慣れな話し方だった。

「今旦那様はひどく気落ちしています。版元からの依頼も断っているような状況です。特に蔦屋重三郎さまからは何度も文をいただいていますが」

 それでもうんとは言わないらしい。

 それが心苦しいと思っているのだろう。そして彼女は必死に俺たちを見上げる。

「わっちからもお願いでありんす。旦那さまから創作への熱意がなくなったわけではないと信じているでありんす。だからあなた方を推薦しようとしているのでは」

 ですがと続ける。

「わっちはどうもこの頃の旦那さまの様子が心配で仕方ないのでありんす。好かねえことを言いたくはありません。ただ」

 惚れた相手には幸せでいてほしいのだと告げる。

 酸いも甘いもかみ分けた彼女が真剣に山東京伝のことを思っているということが伝わってきた。

 その言葉に突き動かされ、俺と興邦くんは立ち上がった。

「山東京伝師匠、此度は話があります」

「版元との話は進んでいる。ほかに何か心配事でも」

 彼はキセルをふかし、ぼんやりと庭を眺めている。完全に上の空だ。

 前回あれだけ創作について的確な指摘をしてくれたのに、本人の創作意欲はあまり見えない。

「師匠、蔦屋重三郎殿からの文も返していないというではないか」

「あいつは続きを書け、書けうるさい」

 ぼそっと吐き出す姿に少しだけ怒りのような感情が芽生えた。

 この人は画才も文才もあるのにすべてを手放そうとしている。

 もったいない。悔しい。才能が惜しい。

 みんなそう思っているはずだ。

「師匠のこと、みんな心配しているんですよ。いや、みんなあなたが筆を折らないか、その才能を自分で潰してしまうのではないか、気にかけているんです」

 俺は一思いに語る。

「あなたは本当にすごい人なんですよ。あれだけ絵が描けて、文章も面白くて、粋な作品を作り上げられるのはあなたしかいません。それが一度罰金取られたくらいでなんですか」

 俺だって知っている。お上に逆らえば、作家としての未来がないことくらい。

 寛政の改革。

 それは田沼政治の反動からくる、厳しい時代。

 松平定信が出した出版取締令が創作の世界でも威力を出し始めた時期でもある。

「あなたの作品を楽しみにしている人がたくさんいるんです。お上のやり方はあまりにも厳しすぎる。そしていつの時だって矢面に立つのは創作者だ」

 それが時代を反映した作品であればなおのことだ。

「お上が取り締まるのだって、本当はあなたの才能が怖いからだ。世間の声というものに怯えているからだ。どんな理由にかこつけても表現を規制するなんて間違っている」

 俺が松平定信について知っていることなんてほとんどない。

 お墓参りはしたが、まさかこんな形でかかわってくるとは思わなかった。

「だから諦めないでください。すべてを諦めて負けてしまうのは絶対に嫌だから」

 どんな名君でも人からの反発を招くものだ。それを取り締まりという形で封じることは許されることではない。

「みんな、あなたのことが、あなたの作品が大好きなんですよ」

「信乃の坊主、言ってくれるな」

 ずっと静かに聞いているだけだった山東京伝がふっと笑う。

「信乃の気持ちは嬉しい。あの蔦屋重三郎の文に返事でも書くか」

 推薦するだけのつもりだったがと付け足す。

「ここまで言われて、書かないでいられる作家はいない。私も負けていられないな」

 気持ちだけが先走って、いらないことを言ってしまったかもと振り返って怖くなったが、その心配はなかったようだ。

「信乃、おぬしには特別な力があるようだな」

 興邦くんも何か思い出したのかいつもより柔らかい表情で目を細めていた。

「信乃はまっすぐだ。時折羨ましくなるが、それも生まれ持ったものということだろうな」

 彼は腕を組みながらふむふむとうなずく。

「師匠を本気にさせたのだから腑抜けた作品を作るのは許さないからな」

 自信家な彼らしく、そう宣言された。

「それでこそ、作家だ。今日は久々に吉原に行こう」

 気が大きくなった師匠の山東京伝に誘われるまま、岡場所に向かうことになる。

 妻の菊園はやれやれと肩をすくめていたが、少しだけ嬉しそうだった。

「勘定はもちろん、均等にだぞ」

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