第5話:痕跡
「先生、見て」
私が指差した先。
煉瓦で舗装された冷たい道の上に、精緻な間隔で、真っ赤な雫が点在していた。まるで、何者かがわざと落とした道標のように。
「『狼』かしら?」
「十中八九そうだろうな。ヤツ特有の、気色の悪い遊びだ」
先生の声は低い。
グリムランドの端にあるこの町は、死の気配に慣れすぎた人々が、隣人の死にも無関心な廃人となって暮らしている。
私たちはその無気力な視線を背中で受けながら、血の滴を追い続けた。
辿り着いたのは、質素な藁葺き屋根の家だった。
中からは、異様な重苦しさと、微かな鉄錆の臭いが漂っている。
「おい、ルージュ」
先生が制止するのを振り切り、私は強引にドアを開け放った。
室内には、一人の婦人が座り込んでいた。
彼女は私の蛮行にも目もくれず、目の前の食卓へと視線を落とし続けていた。
食卓には焼きたてのステーキ。
それはまさに血も滴るようなミディアムレア。
付け合せの野菜の代わりに、添えられていたのはその肉の主の愛用していたと思しき円縁の眼鏡だった。
そして、その横に置かれたランチョンマットには、赤黒い血で書き殴られたメッセージが残されていた。
婦人は焦点の合わない目で、 何やらブツブツと呟きながら、
ただその血文字を見つめている。
『気をつけて行ってらっしゃい、だってさ。
無事に行けて良かったね?天国まで』
その言葉の意味を理解した瞬間、私の胃の底がせり上がった。
昨日か、あるいは今朝か。
家族にかけた温かいはずの言葉が、死の宣告へと反転させられたのだ。
「毎朝、あの人に言っていたのに……行ってらっしゃいって。昨日だって……その前だって……ちゃんと、ちゃんと!!
………『ただいま』って言ってくれたのに!!」
婦人の顔を絶望が覆っていた。
「先生……」
私は喉が引きつるのを感じた。
あの日の私と同じだ。
聖者のような顔をした悪魔に、家族の死を「料理」として突きつけられるという地獄。
婦人の震える指先が、ナイフとフォークを握ろうとしている。
絶望が、彼女を狂気へと追い込もうとしていた。
先生は表情一つ変えず、そっとそのナイフを婦人の手からするりと抜き去った。
その瞳の奥で、先生が何を思っているのかは分からなかった。
ただ、その手つきだけは、震える婦人から静かにナイフを遠ざけるほどに優しかった。
「……ルージュ。目を逸らすな」
先生の静かな命令が、凍りついた室内に響く。
「これがヤツのやり方だ。食卓の風景を地獄の絵画に変える。
お前がいつか、ヤツを撃ち抜くその日まで、この景色を焼き付けておけ」
先生の言葉尻がほんの一瞬だけ、揺れるように震えていたと感じたのは私の気の所為だったのかも知れない。
私は紅い頭巾を強く握りしめる。
床の血の滴は、まだ温かかった。
私たちはただ、その地獄の風景を凝視していた。
だが、そのとき私と先生は、決定的な事実を見落としていた。
その部屋の片隅。
何気なく置かれていた一冊の『聖書』。
その革表紙の装丁が、
亡くなったおばあちゃんが愛読していたものや、
先生の奥さんが最期まで大切にしていたものと、全く同じであったということに。
お読みいただきありがとうございます!明日も20時10分に次話を更新します。
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