第4話:聖者
厳かなる大聖堂。
祭壇、パイプオルガン、彫刻。
それらが形作る調和の空間に、
少年少女たちの讃美歌が美しく響き渡る。
ステンドグラスを透かした朝の光が、まるで神の祝福のように床を彩っていた。
ここは、全てが灰に帰したグリムランドにおいて、
唯一「救い」が残された場所――大聖堂。
その片隅に、重厚な扉を備えた【告解室】がある。
「今日は、どうなさったのでしょうか」
扉越しに響くその声は、余りにも静かだった。
すべてを赦し、慈しむかのような、甘やかな響き。
「うぅ……っ。……今まで、誰にも話すことが出来なかったのです。
司祭様、……私の話を聞いていただけますか」
懺悔に訪れた男の声は、恐怖と安堵で震えていた。
「勿論ですよ。神の御心のままに。
この場所では何を話してもいいのです。
迷える子羊よ。
どうか、その心を解放するお手伝いを私にさせてください」
「セラファン様……! なんと、慈悲深いお言葉か」
男は救われたように顔を上げた。
セラファン――
その名は、古き言葉で「熾天使」を意味する。
神の御前に仕え、最も高き場所で輝くとされる天使。
この大聖堂において、最も高潔であると謳われる司祭に、これほど相応しい名はなかった。
絵画から抜け出したかのように美しい黄金色の髪、
深い海底を連想させるかのような青い瞳。
その微笑みは、触れれば溶けてしまいそうなほど、穏やかで美しかった。
セラファンは、男の言葉を一つひとつ拾い上げるように、優しく頷く。
男は救われたように、その膝を折った。
セラファンはただ、ゆっくりと頷く。
「……妻の、妹と」
男の声が掠れる。
「一度だけのつもりでした。
けれど、気づけば私は何度も……。
妻に悟られてしまったら、家族が壊れてしまう。私はどうすればいいのでしょうか。
妻は何も悪くないっ。
今日だって、『気をつけて行ってらっしゃい』って笑顔で見送ってくれたんです!
……そんな、そんな存在を私はっ………」
セラファンは沈黙を挟んだ。
それは、獲物を逃さないための静かな間だ。
急かさない。
すべてを吐き出させ、
その罪の味を熟成させる時間。
「……それは、さぞお辛かったことでしょう」
セラファンの声に、
初めてわずかな濁り――獣の吐息のような低音――が混じる。
「あなたが守ろうとしたもの。
そして、裏切ってしまったもの。
その両方を、あなたは今も胸に抱えている。
……それは耐え難い苦しみですね」
「司祭様……っ!」
「主の祈りを十回、アヴェ・マリアを十回。心を込めて唱えなさい。そして――」
セラファンは、格子越しに顔を寄せる。
「今夜、もう一度だけ、私のところへいらっしゃい。
あなたの魂が、本当に軽くなったかどうか。私が、確かめて差し上げましょう」
セラファンはそう微笑み、
男の名前を静かに胸の内で反芻した。
その瞳は、羊飼いが迷える子羊を選別するかのように、昏く光っていた。
『狼』の悪夢が街を支配する中で、
彼だけが唯一、人々の心の澱を濾過し、救済を与えていた。
セラファンはその慈愛に満ちた瞳の奥で、男の懺悔を聞き漏らすまいと熱を帯びていた。
まるで、極上のワインの香りを愉しむかのように。
聖者の仮面を被ったセラファンの指先が、告解室の壁を優しく撫でる。
その微笑みは、
食前の祈りを捧げる敬虔な信徒のように美しかった。
お読みいただきありがとうございます!明日も20時10分に次話を更新します。
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