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告解者  作者: カナタ


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第2話:【例外】






 先生は語らない。




 だが、その背中がすべてを物語っている。


彼が纏う死の気配は、私よりもずっと濃い。




 彼がかつて大切にしていたもの——


妻のヴァイオレットと、娘のイリス。




 あの日、先生が帰宅したとき、キッチンには食欲をそそる芳醇な香りが漂っていたという。




「……信じられた。いつもの食卓の風景が、そこにあると」




 先生は一度だけ、酒に酔った夜にそう呟いた。




 中身を知らずに鍋の蓋を開けたとき、目に飛び込んできたのは夕食の情景ではなく、母娘でお揃いの髪飾りだった。




 赤茶色のスープの中で、




それはまるで、愛する者たちが溶け出しているように見えたという。




 先生は、その場で嘔吐した。




 耐え難い臭気と、内側からせり上がる拒絶。




洗面所へと駆け込む彼の視界に、バスルームのドアが映る。




 その先に、何があったのか——


先生は、それ以上、語らなかった。




 ただ、鏡にだけは、赤黒い血で、


こう書き殴られていたという。





『お父さん、お仕事お疲れ様でした。どうだった? 大好きな人たちのお味は?』





 その瞬間、先生の中で何かが死んだ。




 人間としての情愛、日常への希望。




それら全てを自分は自ら引き裂き、


ただ「狼を殺すための機械」へと身を堕とした——そう、先生は言った。




「……ルージュ」




 ふと、先生が私を呼ぶ。




 彼は、私が「鏡」を見て怯えた夜、一度も目を逸らさなかった。




 鏡の中の血文字と、私の記憶の奥に潜む『シエル』の残像。




 彼はその両方を、自らの瞳に焼き付けている。




「狙いを定める時は、相手が獲物を狙う時だ」




 先生の声は、凍りついた刃物のように静かだ。


 人間であることをやめた彼の手は、


 迷いなく銃の安全装置を外す。




 私もまた、紅い頭巾を深く被り直す。




 人間などというものは、とっくにあのスープと共に飲み込んでしまった。




 次は、私たちが「狼」の晩餐を作る番だ。




 聖者の仮面を剥ぎ取り、その喉元に、最高の絶望を叩き込んでやる。







 森の草むら。泥と血にまみれ、死を待つだけの私を見つけたのは、彼だった。




 私を見るなり、彼の瞳から色が消えた。




「……っ! イリス!!」




 名前を呼ばれた気がした。




 それは私を呼ぶ声ではなく、彼が過去に置き去りにしてきた誰かの名。




 その一度きりの、悲痛な叫びが、途切れかけた私の意識を、現実に引き戻す。




「…………っ、だぁれ……?」




 掠れた声。


私の喉から漏れた音に、彼はハッと息を呑んだ。




 凍りついていた彼の表情に、初めて、熱が宿る。




「……生きてたんだな。……本当に、生きてたんだな」




 その、低く、どこか震えた安堵の響きを聞いた瞬間、私の意識は糸が切れたように、再び深淵へと沈んでいった。










 目覚めたとき、そこには見知らぬ天井が拡がっていた。




 夕暮れの延長線上なのか、あるいは深い闇の底なのか。時間の感覚など、とっくに失われていた。




 記憶が、ひどく曖昧だった。




「目覚めたか。ここは自分の私室だ」




 傍らで銃の手入れをしていた男が言った。




 私は弾かれたように身を起こそうとして、激しい頭痛に顔を歪める。




「ここは……私は、一体?……おばあちゃんっ!!おばあちゃんは、どこ!?」




 問いかけに対する答えは、彼の静かな首振りだった。




 言葉にせずとも、すべてを理解せよという、無慈悲な通告。




「『狼』は、狙いを定めた獲物を、皆殺しにする」




 その残酷な宣告と同時に、私の脳裏に、あの日の「スープ」の芳醇な香りが蘇った。




 内側からせり上がる拒絶。私は口を両手で覆い、床に蹲る。




「君の名は?」




 淡々とした、冷たいほどに平坦な声。




「……ルージュ。私はルージュよ。


 ……あなたは?」


「自分はノワール。奴を追っていた。そこで、君を見つけたんだ。【例外】をね」




「例外……?」




「ああ。奴は、狙った獲物を生かしておくような真似はしない。これまで一人として、例外はいなかった。だが君は今、生きている」




 先生は銃口を磨き上げ、私を真っ直ぐに見据えた。 




 その瞳には、かつて私を地獄へ突き落とした『狼』の首を求める、鋭利な飢餓感が宿っている。




「ルージュ、自分には君のその目と記憶が必要だ。奴の正体、その仮面を暴くために」




 それが、私たち二人の誓い。 





 共に地獄の淵を歩く、復讐という名の契約だった。



お読みいただきありがとうございます!

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