↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
告解者  作者: カナタ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

39/50

第38話:招待




土曜日、15時半過ぎのこと。




 告解室へ向かう道すがら、先生が、ふと足を止めた。




「自分にはもう、何もないからな」




 前を向いたまま、独り言のように言う。




「……だけどお前は違う。まだ未来さきがある。ルージュ」




 その声には、諦めにも似た静けさがあった。




 私は、思わず、先生の腕を掴んだ。




「先生、冗談でもそんなこと言わないで」




 声が、震えた。目の端には涙が滲みかけている。




「私が、あなたの弟子が――


待ってるでしょ、ここで!!」




 先生は、振り返らなかった。




 しばらく、何も言わなかった。


 やがて、短く。




「――ああ」




 それだけだった。 




 振り返らないまま、彼は片手だけを、私の方に向けて軽く振った。




 行ってくる、というつもりなのか、心配するな、というつもりなのか。




 その手の意味を、私はまだ、正確には読み取れなかった。




 先生の背中が、大聖堂の入り口へと吸い込まれていく。




 私は、その場に立ち尽くしたまま、ただ見送ることしかできなかった。




 振り返ると、夕日が、燃えるような赤だった。




 街も、教会の尖塔も、私の影さえも、全てをその赤の中に塗り潰していく。




 いつもなら、綺麗だと思えたはずのその色が、今日だけは、ひどく不吉に見えた。











格子の向こうに、小さな窓がある。




 そこから差し込む夕日が、告解室の中を橙色に染めていた。




 まぶしい。




セラファンは、目を細めながら、格子越しの人影を見つめる。




 いつもと変わらぬ、静かな午後の一角。




だが、この客には、どこか他の信徒とは違う空気があった。




 言葉数が少なく、けれど、神経の張り詰め方が違う。


まるで、獲物を見定める猟師のような




 ――ああ、そうか。




 この男は、狩人だ。




「懺悔したいことがある」




低い声。


落ち着いてはいるが、


感情を殺している質の声だ。




男は、一拍置いてから、続けた。




「爪の間に、血がこびりついて取れないことがある。


何度洗っても、擦っても、


消えない気がする時が」




 セラファンは、黙って耳を傾ける。




「撃った瞬間、獲物の瞳から、何かが抜け落ちる。魂と呼ぶのかもしれない。


空洞になる。それでも――


その目は、こちらを見つめ続けている。


何日経っても、瞼を閉じても、あの目だけは、消えない」




 男の声には、感傷はなかった。


ただ、事実を淡々と並べるような口調だった。それがかえって、その罪の重さを際立たせていた。




「命を奪うことに、慣れてしまった自分がいる。慣れてしまったはずなのに、あの目だけは、いつまでも慣れない」




 ありふれた告白だった。




狩人や肉屋、あるいは戦を経験した者から、幾度も聞いてきた種類の罪だ。




 セラファンは、いつも通りの柔らかな声で応じる。




「命を糧とすることは、神が人に許された営みの一つです。


それでもなお、心を痛めることができる――




それ自体が、あなたの誠実さの証でしょう」




 定型の言葉。


何百回と繰り返してきた、慰めの型。




 だが、格子の向こうの気配は、それだけでは終わらなかった。




「――もう一つ、ある」




 男の声が、少しだけ低くなった。




「近頃、街を騒がせている『狼』の噂は、知っているか」




「ええ、存じています」




「あれを、仕留めたいと思っている自分がいる。自分と同じ『人間』かも知れないのにだ」




 セラファンの、


内側の何かが、微かに揺れた。




 面白い。




 いつもの言葉とは、違う質のものだ。




動物を殺す罪の告白の延長で、


人ならざるものを狩る意思を語る――


偶然にしては、出来すぎている。




 あるいは、ただの正義感に燃えた愚か者かもしれない。




あるいは。




 この男自身が、既に何かを掴みかけているのかもしれない。




 どちらでも、構わなかった。




 むしろ、後者であるならば、なおのこと。




 呼んでやるのも、一興だ。




「それは、立派な志ですね」




 セラファンは、微笑んだ。




格子の向こうからは、その表情までは見えないはずだった。




それでも、彼はいつも通り、慈愛に満ちた笑みを浮かべる。




演技ではなく、これもまた、彼にとっての"本気"だった。




「もしよろしければ――


もう一度、私の元にいらしてはいかがでしょう。


狼について、少し、詳しい話ができるかもしれません」




 彼は、懐から一冊の臙脂色の聖書を取り出す。


教区の紋章が押された、正式な招待の証だった。




「今夜、遅い時間に。誰にも邪魔されず、お話しできる場所があります」




 その本が、格子の隙間から差し出される。




 男の指が、それを受け取った。




 夕日が、その一瞬だけ、二人の指先を同じ色に染めた。




 ――さて。




 告解室の外で、次の客が待つ気配がする。




 セラファンは、いつものように、その顔に慈愛に満ちた笑みを浮かべたまま、次の"客"を出迎える準備をした。







お読みいただきありがとうございます!明日も20時10分に次話を更新します。

もし少しでも気に入っていただけたら、下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援していただけると執筆の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。