第37話:『紅い頭巾のお嬢さん』
木曜日の昼前のことだった。
教会前の広場を歩いていると、聞き覚えのある声に呼び止められた。
「あ! お姉さん、お姉さんも来て!」
振り返ると、以前、告解の列で何度か見かけた顔の少年が、こちらに向かって笑顔で手を振っていた。
彼の周りには、同じ年頃の子供たちが数人、地面に何かの図形を描いて遊んでいる。
そして、その輪の中心に――
セラファンがいた。
日に透けた髪がキラキラと輝いてまるで天使の輪っかのようだった。
綺麗なひと。
そんな本来抱くべきものではないはずの感想が溢れていた。
我に返った私の足が、一瞬竦んだ。
逃げるべきだ、と頭のどこかが告げる。
けれど、
既に少年の声で、周囲の視線がこちらに集まっている。
逃げれば、それこそ不自然になる。
私は、笑みを作った。
「――こんにちは」
「こんにちは」
セラファンが、顔を上げる。いつもの、ミサで見せる慈愛に満ちた微笑みだった。
「奇遇ですね。よかったら、少し」
少年が、地面に描いた図形――
どうやら石蹴り遊びの区画らしい――
を指して、得意げに言う。
「セラファン様が教えてくれたの! お姉さんも一緒にやろうよ!」
「うん……そう、だね」
私は、輪の中に加わった。
他に選択肢はなかった。
セラファンは、子供たちの順番を丁寧に整理しながら、時折私の方にも軽く声をかける。
「そちらの足からの方が、やりやすいですよ」
ごく自然な、司祭としての気遣い。
石が、区画の外に弾かれる。
子供たちの笑い声。
その只中で、彼がふと、私にだけ聞こえる声で言った。
「今日は、赤いもの、身につけていないんですね」
私の心臓が、跳ねた。
「……洗濯中で」
咄嗟に、そう答えた。
「そうですか」
彼は、それだけ言うと、また子供たちの方へと視線を戻した。
何でもない一言のはずだった。
それなのに、その声の奥に、確かに何かが滲んでいた気がした。
愉しんでいる。
それが、何に対する愉しみなのか、私には分からなかった。
石蹴りの輪の中で、子供たちの笑い声だけが、いつまでも明るく響いていた。
しばらく、他愛のない話が続いた。
今日の天気、広場の花壇に咲き始めた花、子供たちの成長――
何の変哲もない、司祭と信徒の世間話。
けれど、ふと、彼の視線が私の顔に留まった。
「何か、お困り事はありませんか?」
唐突な問いに、喉が詰まった。
「……いいえ、特には」
「そうですか」
彼は、小さく首を傾げる。
「どうやら、少し窮屈そうに見えたので」
その言い方は、あくまで柔らかく、心配そうだった。
作り物とは思えない、慈しみに満ちた眼差し。
「困ったときには、いつでも力になれますから」
「……ありがとうございます」
声が、少し掠れた。
「そう」
彼は、微笑んだまま、続けた。
「土曜日の夕方は、特に……」
私の背筋を、冷たいものが伝った。
それが何を意味するのか、私は既に知っている。
けれど、彼の顔には、疑う余地のない善意しか浮かんでいない。
「セラファン様!」
少し離れた場所から、別の子供が彼を呼んだ。
「――あぁ、もう行かなくては」
彼は、軽く会釈をすると、踵を返した。
数歩、歩きかけて、彼はふと振り返る。
「では、また」
その口元に、いつもと変わらぬ、あの美しい笑みが浮かんでいた。
「――紅い頭巾のお嬢さん」
そう言い残して、彼は子供たちの輪の中へと戻っていった。
私は、その場から、しばらく動けなかった。
子供たちの笑い声は、まだ遠くで続いている。
何も知らないまま、無邪気に。
私は、自分の手のひらを見た。震えてはいなかった。ただ、酷く冷たかった。
――土曜日の夕方は、特に。
あの言葉の意味を、私は知っている。
彼が、その言葉をどれほど無邪気な善意として口にしたか、それもまた、私は知っている。
その二つが、同じ声、同じ笑顔から生まれていることが、どうしようもなく恐ろしかった。
紅い頭巾のお嬢さん。
その呼び方だけが、いつまでも耳の奥に残っていた。
私は、洗替用の茶鼠色した頭巾の紐を、無意識のうちに強く握りしめていた。
もうすぐだ。
もうすぐ、先生があの部屋に入る。
私は、震える指先を握り込み、広場を後にした。
お読みいただきありがとうございます!明日も20時10分に次話を更新します。
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