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告解者  作者: カナタ


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第35話:潔白の壁





 セヴランの調査は、


その後も決して実を結ばなかった。




 彼は、密かに教区の記録を洗った。


信徒名簿、寄進の記録、行事の出欠簿。




――手に入る限りの世俗の紙片を、幾度となく読み返した。




司祭たちの外出の記録も突き合わせた。


誰が、いつ、どこへ出かけたか。


それだけは、教会の外の帳簿にも残る。




 だが、その先には、決して越えられない一線があった。




 告解室の中で、誰が、何を、誰に語ったか。 




 その一点だけは、彼の権限がどれほど強くとも、指一本触れることを許されない。




教会法という、もう一つの国の法が、そこにだけ聳え立っている。




司祭が誰の告解を担当したか――




その記録すら、世俗の役人には開示されない。




信徒は司祭の名を知って列に並ぶが、その組み合わせの記録は、教会の内側だけで完結し、外へは決して漏れない仕組みになっている。




 セヴランは、幾度となくその壁の前で足を止めた。




 もし、あの告解室の中身にだけ触れることができたなら――




誰が、いつ、何を語ったか。




その記録さえ辿れたなら、答えはとうに出ているはずだった。




 だが、それは彼の手の届かない場所にある。




 どれだけ調べても、何も出てこない。


 むしろ、皮肉なことに――




 調べれば調べるほど、セラファンの評判は輝きを増していくばかりだった。







 その頃、大聖堂では、いつもと変わらぬ朝が始まっていた。




 セラファンは、まだ夜も明けきらぬうちから起き、身支度を整える。




祭服に袖を通し、鏡の前で襟元を正す。




乱れ一つない所作は、幾度繰り返しても同じ滑らかさで完結する。




 朝の祈りを終えると、教区の子供たちに読み書きを教える時間が待っている。




彼の声は穏やかで、一人一人の理解の速さに合わせて丁寧に言葉を選ぶ。




手習いの遅い子には、根気強く同じ文字を何度でもなぞらせる。


子供たちは彼を慕い、彼の周りに自然と輪ができる。




「セラファン様、これで合ってる?」




「ああ、上手だ。よく書けていますね。何度も練習頑張りましたものね」




 少年が照れくさそうにはにかむ。




 セラファンも彼の顔を慈しむように微笑む。




その笑顔に、作られたものは何一つ見当たらない。




 昼過ぎには、貧しい家庭を見舞う。


手ずから運んだパンと、変わらぬ微笑み。




老いた寡婦の手を取り、




「お加減はいかがですか」




 と尋ねる声には、演技の翳りなど微塵もない。




「あぁ、こんな私のところにまでいつも足を運んでくださって、神に感謝いたします。セラファン様のおかげで生きる希望を持てるのです」




彼女が涙ぐみながら礼を言うと、彼は困ったように、けれど嬉しそうに首を振る。




「私など、何一つ大したことはしておりませんよ」




 夕刻、教会の会計を担う年配の女が、彼に深々と頭を下げる。




「セラファン様のような御方が、この教区にいらっしゃること、日々神に感謝しております」




「私など、まだまだ未熟者です」




 柔らかな笑みを返しながら、彼は次の予定へと向かう。




 その一日のどこにも、綻びはない。




乳香の香りだけが、彼の通った後に、いつも微かに残っている。







 ある日、教会の評議員の一人――街でも指折りの毛織物商人が、庁舎の廊下でセヴランを呼び止めた。




「判事殿。妙な噂を耳にしましたが」




 男の声には、笑みの形をした威圧が滲んでいた。




「セラファン様のような高潔な方を勘ぐるなど、どうかしていますよ。


あの方がいらっしゃらなければ、この教区の何が保たれているとお思いか」




 セヴランは、表情を変えなかった。




「噂とは、どのような」




「とぼけずとも結構。あなたが、あの方の身辺を嗅ぎ回っているという話です」




 商人は、一歩距離を詰めた。




「よろしいですか、判事殿。


あの方は、この街の子らに文字を教え、貧しい者にパンを配り、病人を見舞う。それを、あなたのような御方が根拠もなく疑うことが、どれほど教区の信頼を損なうか。分かっておいでか」




「根拠の有無を判じるのが、私の仕事です」




「根拠が、ない」




 商人は、笑みを絶やさぬまま、語気だけを強めた。




「ないでしょう、判事殿。あるなら、とうにお縄にしているはずだ。


ないから、ただ嗅ぎ回っておられる。それを、この街では『言いがかり』と呼ぶのですよ」




 セヴランは、しばらく男を見つめた。




 やがて、静かに一礼した。




「――ご忠告、痛み入ります」




 それだけ言うと、彼は自室へ戻った。




 扉を閉め、椅子に腰を下ろす。


 机の上には、開いたままの記録簿があった。




 何も出てこない。




 むしろ、探れば探るほど、あの男の白さは輝きを増していく。




子供たちの敬愛。


寡婦たちの感謝。


有力者たちの庇護。




そして、教会法という、


決して開かれない一枚の扉。




 その全てが、まるで最初から、この男を守るためだけに用意されていたかのようだった。




 セヴランは、ペンを取った。




 証拠にはならない。法廷では、何の意味も持たない一文だと、彼自身が誰よりも分かっている。




 それでも、彼は記録簿の余白に、また一行、書き加えた。




 ――白すぎる者は、疑われない。




そういう風に、この街はできている。

お読みいただきありがとうございます!明日も20時10分に次話を更新します。

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