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告解者  作者: カナタ


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第34話:白すぎる





 判事庁舎の扉を押し開けると、埃と羊皮紙の匂いが鼻を突いた。




 ノワールは、案内も待たずに奥の部屋へと進んだ。机に向かっていたセヴランが、顔も上げずに口を開く。




「何の用だ」




「奴の事件について、何か掴んでることはないか」




 セヴランの手が、初めて止まった。


ゆっくりと顔を上げ、値踏みするような視線をノワールに向ける。




「一般人には見せられない」




 平坦な、けれど有無を言わせない声だった。


彼は再び羊皮紙に視線を落とし、それきりノワールを見ようとはしなかった。




 ノワールは、それ以上食い下がらなかった。ただ、部屋を出る間際、壁に貼られた賞金首の公示に目をやる。




害獣討伐の依頼、


賞金首の指名、


――そのどれにも、判で押したように同じ署名がある。




 セヴラン。




 毎回、この名だ。




狼の被害が出るたび、真っ先に公告を出すのはこの男だった。


捜査権限のない自警団や、記録係の誰かではない。


この男自身が、事件を追い続けている。




 ノワールは、それだけを確認して庁舎を後にした。








 その週の終わり、いつもの酒場の隅で、セヴランは一人、盃を傾けていた。




 彼が頼むのは、いつも同じ一杯だった。




この店に置いてある中では一等値の張るスコッチ。


他の酒には目もくれない。




「安酒は舌が荒れる」と、以前店主にそう漏らしたことがあるという。




判事という職務柄、酒に呑まれるようなことはない。




ただ、その一杯だけを、決まった曜日、決まった時間、決まった席で、ゆっくりと味わう。




それが、彼にとって唯一の弛緩の時間らしかった。




 その隣に、ノワールが腰を下ろした。


 セヴランは、一瞥もくれずに言った。




「私は誰かとつるんだりはしない」




「そうか」




 ノワールは、それだけ言うと、自分の分の安酒を頼み、黙って飲んだ。




 何を話すでもなく、二人はただ同じ空間にいた。セヴランは追い払うことも、席を立つこともしなかった。




 その次の週も、ノワールは同じ席に座った。




 セヴランはスコッチを、ノワールは安酒を。


互いに口数少なく、ただ隣り合って盃を傾ける時間だけが積み重なっていく。




 また、その次の週も。




 ある晩、セヴランが盃を傾ける手を止め、横目でノワールを見た。




「アンタ、その安酒のどこが美味い」




「美味くはない」




 ノワールは、盃の中身をひと息に呷った。




「ただ、ここに座る理由がいる」




 セヴランは、それきり黙った。


だが、その日から、彼が盃を置くタイミングが、心なしかノワールに合わせたものになっていった。




 何度目かの週、彼が小さく息をついた。




「アンタもしつこいな」




 初めて、彼の口調から刺々しさが抜けていた。


 ノワールは何も答えず、ただ盃を傾けた。







 ある夜、ノワールは一人ではなかった。


 隣に、ルージュを連れていた。




 セヴランの視線が、彼女に向く。




値踏みするような目だったが、すぐに酒に戻った。今夜も、いつものスコッチが一杯、彼の手の中にあった。




「アンブル」




 ノワールが、静かに口を開いた。


それはルージュの祖母の名前であった。




「ヴァイオレット。イリス」




 セヴランの手が、盃の縁で止まった。




「聞いたことあるか」




 沈黙が落ちた。酒場の喧騒だけが、二人と一人の間を埋めていく。




「俺達は、ヤツを追っている」




 ノワールの声は低く、それでいて揺るぎなかった。




 セヴランは、しばらく何も言わなかった。盃の中の酒を見つめたまま、動かない。




 やがて、彼は盃を置いた。飲み干してすらいない、その琥珀色の液体を、店の卓に残したまま。




「――時間、あるか」




 それだけ言うと、席を立った。








 案内されたのは、判事庁舎ではなく、セヴランの自宅だった。




 質素な、しかし手入れの行き届いた住まい。玄関を抜けてすぐの一室、その壁一面が、書架で埋め尽くされていた。




 几帳面な筆致で綴られた記録簿。




年代順に並べられた資料。


日付、被害者の名、状況、そして――誰にも見せられなかったであろう、独自の考察の走り書き。




「始まりから、全部だ」




 セヴランが、抑揚のない声で言った。




「メアリの時から。誰も、まともに調べようとしなかった。娼婦一人の死に、誰が金を払う」




 彼は書架の一角を指でなぞる。




「ヴァイオレットとイリスの時も、私が判事になったばかりで、上から睨まれた。




『よそ者の女子供の事件に、そこまで熱を上げるな』とな」




 彼の指が、また別の記録の上で止まった。




「アンブルの件も、テオの件も、ポールの件も――全部、ここにある」




 しばらく、部屋の中に沈黙が満ちた。


 セヴランが、ぽつりと呟く。




「…………最近、大人しかったんだけどな」




 ノワールが、視線を上げた。




「ほら」




 セヴランは、書架の最新の一冊を手に取り、開いて見せた。




「加わったんだよ。最近、ルーシーって名前がな」




 ルージュの体が、微かに強張った。




 セヴランは、しばらくその頁を見つめたまま、動かなかった。やがて、誰にともなく、独り言のように呟く。




「調べるだけ調べた。教区の記録も、司祭たちの外出記録も――分かるものは全て。」




 彼は、資料の余白に視線を落とす。




「何も出てこない。だが、な」




 彼はペンを取り、その余白に、静かに一行を書き加えた。




 ――一番"白い"やつほど、私は信じない。




 書き終えた文字を、彼はしばらくの間、じっと見つめていた。




 証拠にはならない。法廷では、何の意味も持たない一文だ。




 それでも彼は、ペンを置かなかった。

お読みいただきありがとうございます!明日も20時10分に次話を更新します。

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