第15話:白亜
土曜日の朝。
もう何日、こうして教会の扉を叩き続けているだろう。
寺院、修道院、名もなき小さな礼拝堂
――この閉ざされた世界で、人々は驚くほど深く信仰に縋って生きている。
おかげで、街の至る所に祈りの場所があった。
皮肉なことに、それが私たちの足を鈍らせる。
「今日もまた、空振りかもしれない」
そんな諦念が、靴底の疲労と共に染み込んでくる。
石畳の先に、その建物は聳え立っていた。
サント・リュミエール大聖堂。
街のどこからでも見える、白亜の尖塔。
朝靄の中でその輪郭は、まるで天そのものへ突き刺さる剣のようだった。
これほど巨大で、これほど荘厳で、これほど多くの信徒に慕われている場所が、あの悍ましい事件に関わっているはずがない。
白亜の壁面は朝日を浴び、
あまりにも清らかで、あまりにも神々しい。
そう。
まるで、この世の罪という罪を寄せつけないかのようだった。
そう、心のどこかで結論づけようとしている自分に気づく。
きっと、ここも空振りだ。次を探そう。
そう、先生に告げようとした時だった。
「どんな可能性も否定すべきではない」
先生の声が、静かに、しかし確かな重みを持って響いた。
私は思わず口を噤む。
その声には苛立ちも、咎める響きもなかった。ただ、事実を事実として置くだけの、いつもの平坦さ。
けれどそれが、今の私にはひどく鋭く刺さった。
見た目の荘厳さで、可能性を消してしまうところだった。
おばあちゃんを、ヴァイオレットさんとイリスちゃんを、ローズさんの旦那様を、メアリさんを奪った『狼』は、私たちが「まさか」と切り捨てたがる場所にこそ、平然と潜んでいるかも知れないのだ。
私は頷き、頭巾を深く被り直した。
「……行きましょう、先生」
私たちは、静かに歩を進める。
大きな扉を押し開けると、外の喧騒が嘘のように消えた。
ひやりとした空気が頬を撫でる。高い天井、幾重にも重なるステンドグラスから差し込む光の帯。埃すら、まるで意味ありげにその光の中を漂っているように見えた。
朝の礼拝には、まだ早い時間だった。
がらんとした身廊の隅で、一人の老人が箒を動かしていた。
灰色の作業着、節くれ立った指。長年この場所に仕えてきたのだろう、その所作には迷いがなかった。
先生が、静かに歩み寄る。
「少し、尋ねたいことがある」
老人は箒を止め、皺だらけの顔をこちらへ向けた。
訝しむでもなく、ただ淡々とした目でこちらを見ている。
「巡礼者かね。それとも、何か困りごとかい」
私は懐から、あの赤茶色の聖書を取り出した。使い込まれた革の感触が、もう何度目になるか分からないほど手に馴染んでいる。
「これと同じ聖書を、ここで見たことはありませんか」
老人は箒を壁に立てかけると、老眼鏡を押し上げて聖書を覗き込んだ。
長い、長い沈黙があった。
「……ああ」
ぽつりと、老人が呟く。
「これは、うちのだ。うちで配っているものだよ」
心臓が、跳ねた。
私は思わず先生の顔を見た。
先生の瞳には、これまでの空振りの時とは違う、静かな光が宿っている。
「間違いありませんか」
「間違いない。この装丁は、うちの製本屋に特別に頼んでいるものでね。街のどの教会とも違う。……もう何十年もこの場所を掃除してきた。目に焼き付いとるよ」
老人は聖書を私に返しながら、ふと目を細めた。
「洗礼を受けた者、あるいは……」
言葉が、そこで一瞬、途切れた。
「あるいは?」
私が問うと、老人は少し考えるように箒の柄を握り直した。
「あるいは、司祭様に特別に目をかけていただいた者にだけ、直接お渡しになる。誰にでも配るものじゃあ、ないんだよ」
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