第七話 月夜に米の飯
砕牙の店は水堀の近くにあった。正面はほどほどの通りに面しておりここで呼ぼうとすると人目につく。勝手口のほうは路地裏であり、入り組んでいて人目につきにくい。だが大声を上げると周囲の住民が起き出して何事かと言われよう。
時は東の空に白みが差した頃。
凪が扉の前でしゃがみ込み、扉を叩く。
「なにやつじゃ」
いかにも頑固そうな低いどら声が扉の向こうから響いた。
「助けてくんろ。家が焼かれてさまよっているだ、腹減っただ」
普段は全く使わない訛りの言葉で凪は扉の向こうに話しかけた。扉の奥の男がぐふふと笑う。
「その手は食わぬぞ、ガキどもめ」
「手を食わぬなら足を食えっ!」
喧嘩腰の口調で凪は言い返す。何を、と低い怒声が扉の奥から響いた。
「誰が足なぞ食うかっ!」
「タコなら食うだっ」
ほう、とまるで感心したような声を男は漏らす。ややあって男は訊ねる。
「貴様ら、誰の差し金だ」
「差し金はないだ。虎の差し歯ならあるだ」
その言葉にややあってから、扉の小窓が開いた。一拍置いて男の目がぎろりと凪を睨む。その目を凪は見返した。
次の瞬間、扉が開いた。入れと言われる。凪は慎重にその歩を進め、家屋の中に入る。
齢五十手前、背は低いが筋骨隆々とした、ごま塩の頭髪と髭の男が待ち構えていた。
「砕牙殿、ありがとうございます」
「……なるほど、子どもだが賀神の者だな」
頭を下げる凪に砕牙と呼ばれた男は唸った。右手を後ろに回している。おそらくその手には刀が握られているはずだ。最後まで警戒を解いていない。
砕牙の許しを得て凪は雫たちを呼び寄せる。こうして一行は無事に賀神忍流の者、砕牙の家に入った。
「おい、先程の話は本当か?」
砕牙が押し殺した声で訊ねる。
実は先程の会話、全て町人として潜り込んでいる忍に助けを求めるときに使う賀神忍流での符合だ。
すなわち、ここの国とは異なる訛りを用いて何があって助けを求めているのかを伝える。今の場合、家を焼かれた……すなわち里を焼かれたというのがそれだ。
次に救援を求められた忍のほうがその手は食わぬと言うので、助けを求める側が足を食えといい、さらに問いに対して「タコなら足を食う」と返す。
最後に救援を求められた側の忍びが「誰の差し金か」と訊ねるがこれは師匠や後見人のことを訊ねている。助けを求める側が答えるが、師匠が男なら何かの差し歯と答える。凪たちの場合、師匠は虎牙なので虎の差し歯と答える。なお、女性が師匠なのであれば、何かの挿花と答える。
これらの符合を通して砕牙は知った。彼にとっても故郷である忍びの里が焼かれたと。
「そうか……もう三十年も離れているから何もかも変わっただろうが、それでも焼かれるのは寂しい物があるな」
ふぅ、と嘆息する砕牙。しかしその表情はすぐに消した。彼も忍び。情を押さえつけることには慣れていた。
「他の皆は……」
砕牙は少し言葉を選んだ。無事かなどとは尋ねない。もちろん分かっている。そうでないから凪たちはここに来たのだし、他に人がいないのだ。
「アタシたちだけで逃げるのに必死だったから……」
他の町に逃げ出せたか、あるいは……二人の脳裏に、助けられなかった子どもたちの姿、そして刃の姿がよぎる。
そうか、とだけ言って砕牙はそれ以上言及しなかった。忍びの厳しさは彼は現役で知っている。
「なにはともあれここまで十里ほど(約40km)、よく来た。大変だっただろう。飯にするがいい」
ワシの飯もあるしな、と言って砕牙はかまどに向かった。一行は居間で待つように伝える。
程なくして砕刃は湯気の立つ椀を五つ持ってきた。中身は粥だ。昨日の未か申の刻(午後2-4時頃)にうどん、それも凪と雫は汁のみだった、四人の腹がぐうとなった。
椀を受け取り、礼を言ったのちに一行はガツガツと粥を食い出した。
「ゆっくり食え。敵はおらんし、飯も逃げはせん」
苦笑いしながら砕牙は自分の粥も食べる。しかし凪と雫の匙は止まらない。汁を除けば丸一日半、ろくなものを食べていない状態だったのだ。それも、生きるか死ぬかの極限の里の襲撃を切り抜けて。素朴な梅粥はこの世のものとは思えないほどの旨さがあった。
「助かりました……本当に」
凪と雫が落ち着いたころには、朝日が差し込んでいた。明け六つ(午前6時)の鐘が鳴っている。
「さて、ワシはちょっくらそちらの仕事をしてくる。おぬしらはここで待っておってくれ」
そう言って砕牙は机に向かい、文を書く。凪と雫がもたらしたものは、自国領内への侵略の速報である。それを速やかに主君に伝える必要がある。
手短に書をしたためた砕牙はそれを収め、出ていこうとするが、その前に首を捻って凪たちを見た。
「おそらくおぬしらも近く、詳しく話を聞きたいと呼び出される可能性があるが……どうじゃ、これを機に大月家の家臣に仕えることを考えぬか?」
「え?」
砕牙の言葉に凪と雫は聞き返した。思えばそうだ。里から逃げ出しここにたどり着くのに必死で考えていなかった。
何事も無ければ自分たちは忍びとしての試験を受けて合格し、忍び名をもらい、正式に何処かに仕官するなりしていたことだろう。だが里が焼かれ、それが不意にたち消えた。自分たちはまだ忍び名をもらっていない半端者だ。
これから先どうするのだろうか……
「……今聞くことではなかったな、すまん」
そう言って砕牙は謝り、家を出た。後には凪と雫、そして満腹になり眠たくなってうとうとし始める梢と拓が残された。
一部の読者さまからかなりハラハラしたとコメントをいただきましたが、このようなわけでとりあえず無事に保護されました。
符合の一部は吉川英治の『宮本武蔵』の城太郎と武蔵の会話からとっていたりします。
さて、「仕官するか?」という話が出たのでそろそろ脱出パートは区切りをつける感じになります。この後もお楽しみただけましたら幸いです。




