第四話 朝日出るも闇が呑む
夜が明けるまで一行はひたすらに歩き続けた。夜が開けてもしばらく歩いた。丑の刻(午前2時)から巳の刻(午前10時)くらいだろうか。歩いたその道のりはおおよそ四里(約16km)ほど。森を抜けた一行は街道に出ていた。もう六里ほどいけば大月の国の城下町だ。さすがにそこまで来たら、追手は手を出せないだろう。
だがこの時点で、魁が高熱を出した。滝のような汗をかき、釘が刺さっていた足はまるで熟れすぎた柿のように赤黒く膨れ上がっていた。呼吸も荒い。
忍びの里の毒消しを怪我したうちに使えればあるいはこうはならなかったかもしれないが、ないものはない。城下町の医者に診せればどうにかもしれないが、そこまで持つかどうか……そして持っていたとしても、治療を受けさせられるだけの金子があるか、そもそも突然転がり込んできた子どもを診てくれる医者がいるかどうか……
「休まないと」
雫が言った。声色は平坦で努めて感情を殺そうとしていた。雫とて休まずに進み城下町に行きたかった。だが、梢と拓の体力も限界だ。その場ですぐに眠ってしまいそうな状態である。
凪は頷かなかった。しかし雫の言うことも正しい。黙って彼はひざまずき、背中の魁を下ろした。凪の背中は魁の汗で絞れるのではないかと言うくらい濡れていた。
「は、ははは……寒いよ、凪兄ぃ……」
火がついているかのように熱い身体だが、まるで雪山の中にいるかのように魁は身体を震わせて歯を鳴らす。薬がない今、どうすることもできない。
雫は自分の服を裂いて魁の汗を拭く。そして励ます。これくらいしかできない。
「頑張って、魁……もうちょっとで城下町だから……!」
実際はまだまだ先だ。今の速度で六里を走ろうとすると……日は暮れて亥の刻(午後10時頃)になってしまう。ましてや、梢と拓を休ませるとなると、もっとかかる。
「はは、がん……ばらないと、な……さっき、ああは……言った、けど……死ぬの、怖いし……」
震え声で言う魁。とても数刻前に「俺を置いていけ」と叫んだ者とは思えない。
いや、こちらが本音なのだろう。忍びの訓練を受けているとは言えまだ子どもなのだ。死ぬことが怖くて当たり前なのだ。凪と雫は何も言えなかった。
鳥の泣き声と風の音に混じって、静かな寝息が聞こえてきた。疲れ切った梢と拓はそうそうに寝てしまったのだ。
「凪も少し休んだほうがいいよ。魁を背負って疲れたでしょ?」
自分は後で休むから先に休むように雫が言う。その間、何か食べ物と水を調達してくると言う。
彼女が戻ってくるまで休めそうにないが……凪は頷いた。
「……俺も、ちょっと寝る……」
そう言って魁は目を閉じたが……閉じる前、目が上をぐりんと向いていた。その様子に凪は一抹の不安を抱く。
魁と、梢と拓の近くで凪は膝を抱えて座る。頭をぐらりと揺らされた感じがしてハッとする。気持ちが切れて眠りかけていた。いや、本当に寝ていないか? 慌てて太陽や影を見るが、位置は変わっていない。良かった。眠りこけていなかった。
無理もない。途中細かな休みがあったとはいえ、魁を背負って八時も歩いていたのだ。疲れもする。だがここで寝てしまい、追いかけてきた兵士に襲われたり、あるいは関係ない野党に襲われてしまうなど、忍びとして失格である。
立ち上がり、作務衣の上を脱ぐ。引き締まった身体があらわになる。そのしなやかかつ硬く鍛え上げられた筋肉は、重厚な岩というより鞭や刀を思わせた。
作務衣を絞るとやはり魁の汗がぱたぱたと道に落ちた。こんなに汗をかいていたのかと凪は魁を見やる。冷静で感情を表にすることが少ない彼でも、今ばかりは憂慮の色に染まっている。
濡れた服を来ていると体力を奪ってしまう。凪は適当な棒を広い、それに作務衣の袖を通して干す。
少しして雫が戻ってきた。両手に肉厚な野草を抱えている。
「……これで水はちょっとだけなんとかなると思う。でも……」
地面に落ちて染みとなっている魁の汗の後を見て雫は顔をしかめる。到底足りない。むしろこの汗を飲めばよかったかとすら思ってしまう。
雫は気分を入れ替えるように首を振り、革袋はないかと訊ねる。草をこの中に入れておけば水滴が内側について一口分にはなるはずだ。凪と雫は自分の空の革袋の中に草を詰めた。
「……あと二里(約8km)いけば鰆沢のはずだ。茶屋がいくらかあるはずだからそこまでいければ……」
だが、いくらか忍び道具は持ち出せたもののほぼ着の身着のままで飛び出した二人だ。金子はおそらくうどん一杯で尽きる。水はもらえるだろうが……
「うぅう……」
眠りながらもうなされている魁の声が凪を意味のない思考の森から抜け出させる。
「……置いて、い……ないで……」
絞り出される声。その声色と内容に凪と雫は胸が締め付けられるような思いだった。
そしてそれが最後の言葉となった。まもなく凪の荒い呼吸は止まり、脈も途絶えた。
「くそっ、くそっ……!」
地面を叩く雫。さきほど魁の汗を吸った大地が、今度は雫の涙を吸う。
泣けばそれだけ水分を失うから泣くな、とうつむいている凪はつぶやく。しかしその声には力がなく、本人も泣きたくて仕方がない様子であった。
すっと凪が苦無を取り出す。その様子に雫はぎょっとする。まさか飢えのあまり魁の亡骸を喰らうつもりかと。雫の視線に気づいた凪は、感情を押し殺した声で言う。
「……埋めて弔うぞ。このまま放置したら野犬が食う」
最後に魁は「置いていかないで」と言った。これは魁を置いていくような行為に感じた。しかし彼の屍を担いで行くのはあまりにも非効率的だ。梢や拓の心にも良くない。街にたどり着くのも遅れる。ここに情をかけるわけにはいかない。
さりとて野ざらしにするのはあまりにも無情すぎる。できることは、弔うことなのだ。
「そう……だね」
泣き腫らした目をぬぐう雫。凪は苦無を使って穴を掘りはじめる。苦無は武器のみならず、こうして穴を掘るのにも使われる。忍びは多くの道具を持つわけにもいかない。故に一つの道具がいくつもの機能を兼ね備えているのはよくあることだ。
それでも魁の亡骸を十分に埋める穴を作るには時間がかかった。十分な穴を掘ったころにはあれだけ熱があった身体が嘘のように身体は温もりが急速に失われつつあり、手足を折り曲げるのに力を要した。
土を盛り終えたところで、梢と拓が起きてきた。間一髪と凪と雫は胸を撫で下ろす。目を擦りながら梢が訊ねる。
「……かい兄ちゃんは?」
「……死んだ」
容赦なく凪は伝える。これが繭など四か五歳くらいの子どもならまだ誤魔化したかもしれないが、梢や拓はおおよそ八か九。この事実は受け止めてほしかった。自分たちがそうだったから。さすがに埋葬するところは見せるべきではないと思ったが。
「……そっか」
凪の気持ちを子どもなりに汲み取ったのか、梢はそれ以上何も言わなかった。拓も鼻を一回すすっただけで、何も言わない。
そんな健気な二人の頭を凪や雫は撫でてやりたかった。いや、あるいは自分が撫でられた気分だったかもしれない。
結局梢と拓が寝ている間、凪と雫は一睡もしていなかったが、この二人に弱みを見せるわけには行かないと思うと、もう少し頑張れそうな気がしてきた。
「……行くぞ」
「ああ、行こう」
凪の号令に雫が応じ、さらに梢と拓が後ろに立った。高く昇り切ろうとしている日を背に、一行は歩き出す。燃えていた里はもう見えなかった。
そのようなわけで、さらなる犠牲者が出て重たい話が続く今回でした。戦で失われるのはその時の戦いだけではなく、その後にも悲劇が続く……というのも書きたかったですが、苦無を掘る道具にも使っていたとアピールしたかったのも本音です。
苦いシーンもこのあたりにして、次からは再起の物語です。お楽しみください。




