9 私の覚悟
それから、私は何時か関りを無くす前提でいた隣国に、生きていく術を馴染んでいく術を探すようになった。
元から武術の類は、あの猪突猛進両親が私の親なのだから、普通の令嬢らしくはないが嗜んでいた。
幼い頃は、「令嬢に必要ないでしょう!?」と心の中で何度も思っていたが、嗜んでいて良かったと思った。お陰で刺客の類に応戦出来たから。
尾有りの刺客は尾無しの刺客と違って、毒という間接的な攻撃を選ばない。彼らは過去の尾無し達と同じ方法は取りたくなかったし、己の手や牙で直接的に傷つけたかっただろうし、殺したかったのだろう。
ええ、かかってきなさい。
ファリが現在進行中でこの国の毒に晒されながら生きているのなら、私もこれくらい制圧してみましょう。
私は逃げやしない。正面切って立ち向かってやる。その為にもっと強く賢くならなければ。
帰国する度に、父や母に稽古をつけてもらうように頼んだ。
父は最初は怪訝そうな顔をしたが、「食われない為、浸食されない為、私は力が欲しいんです」と言えば、満足げに笑い容赦なく稽古をつけてきた。流石、生粋の勝負好き。
気づけば髪を下ろしたままにすることは無くなっていた。昔から邪魔だから結んでおくことが多かったが、誰かが高い位置で結んだこの髪を尾のようだと評したのを聞いてから、自分への表明として丁度いいと感じた。
ファリがくれた真っ白なシュシュでその尾を飾るときに、初めの頃はこんなことをしたって、私と彼は別の国の人間で、それ以上に別の種族だなんて自嘲したが、そのうちそんな自分への嘲笑いすらも無駄だと分かってくる。
ファリは、そんなことを気にしない。
ファリは、私がどこの国の人間であろうと、どんな種族であろうと、笑ってくれる。
ファリと違ったって、いいよ。
それでも、この髪型を貫くのは、尾有りに少しでも近づけるように振る舞うのは、私の戦略だ。
この姿は私の戦いなのだ。
私は尾無しとして生まれたけれど、尾有りに敬意を示そう。
私は尾無しとして生まれたからこそ、尾無しを否定もしない。
私は尾無しとして生まれたが、尾無しも尾有りも公平に相手をしよう。
私は尾無しである。でも、だからこそ私は尾有りと尾無しが手を取り合うというあの子の自由な願いを、私なりの力で、私にしか出来ない方法で手伝いたい。
***
いつか、こういう日がくるとは覚悟していた。
分かりきっていたことだ。
だから、その日が来ても冷静に振る舞えると思っていたのだ。
牙が届かないと知った尾有りが、挫折の末に尾無しの愚か者どもと同じように毒を使う日が来るのを予測していたよ。
でもね、こんなにも愚かだとは知らなかったよ。だから油断してやらかした。
よりにもよって、ファリの誕生日にこんなことを起こすだなんて。
大衆の面前でやるとは流石に予想出来なかった。
手に違和感を感じた私は、目の前の灰色目の狼の尾有りを私は睨みつける。
セルセラ、狼の尾有りの権力者。
革命時代には、処刑の予定だった南の尾無しの権力者達を処刑日待たずに嚙み殺したことで有名だ。
つまり、理性を放棄した感情の塊だ。
そんな奴の身体検査もしなかったとは、随分と警備がザルな……いや、意図的にか、今日は王達と私達の席は離れている。
王は意図的に問題を引き起こさせたな。
狐の尾有りが王妃にいるから、最近尾有りの中でも犬に近しい尾有りが力をつけていたから邪魔だったのだろう。力を削いどかないと、別系統の尾有り達が不満を抱くのだろう。
いや、そんなものですらないのかもしれない。
王のは私を危険に晒すか、殺させるかして、この国にお母様を呼び寄せたいのかもしれない。
でなくては、同盟国の令嬢と自分の唯一の後継者を危険に晒すなんてしない。
なんて……なんてっ、愚かにも程がある!
「ふざけんな……ファリ! 私から離れなさい!」
尾有りが、尾有りの国の後継者を殺すとは思えないが、ファリが私を庇いでもしたら逆上して危害を加えそうな性質を、この理性を憎しみで焼き切ったセルセラは持っている。
尾有りが、尾有りの国の後継者を害する、それはこの国の崩壊に繋がる。
あの子の願いが、あの子の誕生日にぐちゃぐちゃにされる。そんなのを許してはいけない。
――そのあとはもう必死で細かいことは覚えていない。
意識を失う直前にあの子に「だいじょうぶだよ」と声をかけたかったのを覚えている。
***
「お前は馬鹿か?」
死の淵から這い上がった娘に対して、一番にかける言葉がこれなのは、我が父ながら人の心を学び直した方が良いと思う。私がもう少し繊細な子だったら普通に傷ついていただろう。
ベッド脇の椅子に座っている姿は、一糸の乱れも無く、私とは正反対だ。
だが、目覚めた時にいたのが父でほっとする。母が来たら、あの愚王の思う壺だ。
「しくじりました。他人の理性や計画性を信じすぎました」
「それに関してはこちらの落ち度でもある。仮にも王なのだから、最低限、隣国との関係性や自国の状況を考える前提だが、あれを王として足る人物として認識したのが間違いだった」
「お母様は?」
「知り合い親戚総動員させて屋敷からの外出をさせてない。
一応出ていくときに回収してくるから安心しろとは言った」
「回収……」
娘に対して物体みたいな物言いはどうかと思ったが、あの母を自国に無理矢理置いてきたのはとんでもない労力だっただろう。まあ親戚総動員ってことは軍関係者何人も巻き込んだんだろうけど。
一旦、胸撫でおろすと、父は不機嫌そうに口を開く。
「だが、さすがの私も娘の死体回収をしに来たつもりはなかったぞ。
こんな状況下で無理に婚約を続行しなくていい。
感情だけで成り立っている国を同盟国にしている意義もない」
「不覚をとっただけです。普段はこんなことは……」
「うちの国から付けた奴らに吐かせたが、お前色々こちらへの報告を止めさせていたようだな……自己犠牲しろとは言ってない」
色々バレているのか、ギロリと自分と同じ色の瞳で睨まれる。
口は悪いが、父なりに心配してくれてはいるのだろう。
吐かせたという言葉は不穏だが、吐かされたであろう人物は『シアナ嬢ちゃん、悪いねぇ。怒られっけど、そういうスリルも楽しそうだから付き合ってあげる』と以前言っていたので大丈夫だろう。……うん、私の実家周りって血の気が多い変人が多いな。あとで謝っとこう。
「引き揚げるぞ、うちの陛下からも許可は得た」
母国の王はこの国から利用価値すら見出せなくなったか……まあ、当然か。
尾無しってだけで革命時に手伝った同盟国の人間すら、軽視し理性的に話すことがかなわなくなる国だ。
国として終わっているし、統制もとれてないと見ているのだろう。おまけに内部分裂する要素がいくつもある。
そんな場所に私を置いといても、人質扱いしかされないだろうし、人質を差し出して得られるメリットもない。祖国の王と父の判断は妥当だ。
私もその判断に従うべきだ。
ずっと心配していた母は、ようやく安心することだろう。
私自身も、祖国で穏やかに静かに生きていくことが出来るだろう。
………………でも、そこにファリはいない。
私は立ち上がろうとする父の手首を掴む。
「お父様、私はこの国も王も気に食わないです。お父様や国王陛下のご意見も、お母様の心配も重々承知しております……」
目覚めたばかりでろくに力が入らないが、それでも、私は私の意思を貫きたい。
「ですがっ、ファリード殿下がいずれこの国の王になるのだからっ、話は別ですっ!」
聞けと、その手首を引っ張り、自分と同じ空色の瞳を真っすぐ見つめる。
『漠然と自由に生きたいと言われてもな。その自由とはなんだ。
自由を手に入れてお前は何をする気だ』
父の問いに、私はもう答えを出せるようになっている。
「こんな滅茶苦茶な国でも、ファリード殿下なら真の平和と相互理解を実現出来ます! あの子なら立て直せますっ!」
私にとって、自由とはファリだ。
だから、私はそれに全てをかける。
あの子の自由さが何より尊いと知っているから。
昔みたいに、父からの冷静な指摘を恐れることはない。
だって、これは私の意思だから。誰にも譲れない思いなのだから、意図しなくたって、誇らしげな笑みが浮かぶのだ。
「あの子を王とする国を、私は見届けたいっ、私は関わりたいっ。
いや、そうしますっ! 私がファリと変えますっ!」
この国が、この世界が、ファリに苦しさを強要するのなら、
私はそんな国も世界も変える。
世界がファリに変われっていうなら、私が世界を変える。
あの子が望むような、世界に変える。
毒を制して、解毒してやる。
私の言葉を全部聞いた父は、しばらく沈黙したあと空いてる手で口を覆って肩を震わせた。
ここで泣くのが父親っていうものなんだろうが………………生憎、うちの父は涙腺というものが消え失せているのかってくらいに泣かない。
笑っているのだ。この父は。
でも、真顔じゃないということは心に響いているということだろう。
「お前は、とことん母親似だな」
まだ若干笑ったまま、父はそう言う。その目は通常より優しい。
正直、肯定的に捉えられる可能性は充分考えていたが、ここで母親を引き出されると思わなかった。
でも、今、幼い頃から不可解だったことが一つ納得がいった。
父と母は利害一致で結婚した。
だが、実は国や母にその結婚はメリットはあっても、父には大して母と結婚するメリットは無かった。
本当に父が国の利益だけを望むなら、母を殺す方が効率的だった。でも殺さず結婚した。
結婚後も母や私関係で起こるトラブルに対して、毎回父なりにだが、まっすぐぶつかって付き合ってくれる。利益だけ考える人間にしては随分とまあ丁寧すぎるのだ。
普段の言動が、人間の感情をご存じでしょうかってなるくらいに精神脳筋な人だけど……人間らしい面もあったのだ。
「お父様似では? ………………お母様守る為に結婚したんでしょう」
「お前らしくない発想だな。その方が国にとってよかったからそうしただけだ。
そしてあいつは守られる気はないし、私も守る気はない。まあその根性は気に入ってるがな」
語る父に照れは一切ない。本当に言葉通りのことしか自己認識出来ていないのだろう。
ああ、なんというか残念な人だな。
相手の母も、その文言通り受け取っても満足そうに自分勝手している残念な人だから、丁度いいのか。
愛してると言って母を縛ろうとしているこの国の王と、
愛してるとも自覚せずに母に自由を与えた父、
そんな二人と母は会った。
その結果、私とファリが婚約した。
不思議なめぐり合わせだが、これから肝心なのは私とファリはどうしていくかだ。
それを示すかのように父は窓の外を見て、急に語り出す。
「そういえば、お前の殺そうとした奴の家族が、今日、犯人の尾有りの前で公開処刑されるそうだ。
ちなみに犯人セルセラの独断行動だと確証は取れているが、赤子も子供も含め皆殺しだそうだ」
「正気ですか? そんなのこの国でやったら、内乱起きて崩壊しますよ。なんで放置したんです?」
「お前の事件と内乱を理由に、私情だけで動く支配者など排除出来るだろう。こんな状況ならまとめて膿出させて争わせた方が静かになるだろ」
しれっと飛んでもないことを口にする父に、私は起きてばかりでカラカラの喉でも息をのんでしまう。
そこまで完全に、この国を見限る気満々だってことか。
自国の為に生きるって言いきっている父親なだけある。
でもまあ、これをわざわざ私に伝えたということは、猶予をくれるって訳か。
別に現王はどうなっても構わないが、ファリが確実にその渦中に巻き込まれることは間違いないし、ファリがそんな状況になったら更に傷つく。
さあ、どうする?
そんなふうに試してくる父に、私はサイドテーブルに置いてあったコップに入った水を一気に飲み干し、勢いよく置く。
「どこでその処刑は行われます?」
***
波乱はあったが、いったん状況は落ち着いた。処刑は阻止できた。
尾無しの人間でも、罪のない尾有りの女子供の処刑を阻止したということで、私への視線も幾分か和らいだ気がする。
これを足掛かりに、この国の憎しみによる盲目を改善する方法を探して実行していくか。
手始めにセルセラの家族の長女テファを私のこの国での侍女にした。
正気かと父や、なんならルムア王妃に嘘だろという目で見られた。
まあ普通なら、自分を暗殺しようとして捕まった男の子供を侍女にはしない。
でもセルセラの家族はこれから肩身が狭い上に……大黒柱であった父親があの始末。
確実に困窮する。
一人の身勝手な行動を止める機会も与えられず、そのせいで不幸のどん底に落ちるのはあまりの不憫だし、どん底に落ちた時に恨みが向けられるのは私だろう。
馬鹿一人の為に、傷つく弱い存在を看過するのも、己の敵対者を増やすのも趣味ではない。
私の目的に対して、非効率的どころか、阻害要因になり得る。
どうにか出来るうちに改善するに越したことは無い。
だが、その命令を受け取り、今目の前に現れたテファという少女は顔面蒼白だった。
「わ、わたしはどうなっても構いません。その代わりに母や弟や妹のことはっ……」
泣きそうな顔で灰色耳を後ろに伏せながら言うものだから、
なるほどそういう見られ方をしているのか、私の想像力の欠如で怖い思いをさせてしまったなと、妙に俯瞰視してしまう。
「いや別に貴方を虐めるつもりなんて無いよ」
「寛大なご慈悲で命を救って頂いたことは理解しておりますし、感謝しております。
ですが、貴方様には私達を罰する権利がございます」
絨毯の上で頭を下げる彼女の声は震えている。
どうすれば、あんな馬鹿なことをしでかした男の娘がこんな責任感の塊に育つんだ。
「貴方方を罰するつもりはない。貴方方は知らなかったんだもの」
「でもわたしの父は貴方様を殺そうとしました。一族連座で殺されてもおかしくは無い程の大罪です」
まあ確かに、この国や、この国の前の国でも一族連座での処刑は珍しくない。土地柄そういうことはよくあるのだ。
「生憎私はこの国以外での出自だし、変わり者の母の教育でそういうのは得意じゃない」
「ですがっ、貴方は死の淵を彷徨った! わたしのことが憎くないのですかっ、わたしのことを怖くないのですかっ、父への復讐はしたくないのですかっ」
そう下を向いたまま叫ぶ彼女の焦点はおそらく合ってない。
よっぽどの恐怖に耐えてここにいるのだろう。
そして、その恐怖は私の事件があってから染み付いたものではきっとない。
上の世代から、父親や母親から、周りの大人から、歴史から、今の尾無しの尾有りへの視線から、徐々に蓄積されたものだ。
憎悪、嫌悪、恐怖、復讐、それはこの国の毒だ。
尾無しは、尾有りの逆転に屈辱を感じ嫌悪してまた虐げる機会を狙っている。
尾有りは、尾無しの過去の所業を憎悪と恐怖し、再度逆転させる可能性を潰すために虐げる。
今、目の前の少女が私と結び付けてる光景は、再び上に立った尾無しが、尾有りをまた虐げる、それも革命後から蓄積された恨みも携えての再度の蹂躙をするさまだ。
そんな想像と、私が被るのだろう。
だから、怖いのだろう。怖いのに、家族の為にその恐怖に身を晒している。
馬鹿げた想像だとか、事実と異なっているなんて、彼女の恐怖を軽視することは簡単に出来る。
でも、そんな軽視をしたって、何も変わらない。断絶が広がるだけだ。
彼女のそれは、私同様、生まれ育って生きて染まってきたものだ。むしろ、ここで自分の父の為にと行動をしないだけ、この子は理性的だし、家族のことをよく考えている。
ねえ、だから私は、目の前の少女をこれ以上怖がらせたくない。
「貴方の国の殿下はね……毎年私の誕生日プレゼントをよく悩んで贈ってくれるんだ」
急にそんな話を始める。
ついていけないのか、彼女は口を開いたまま固まっている。
「幼い頃から、尾無しに殺されかけてるのにね……尾無しである私の誕生日プレゼントを本気で考えて、本気で私の誕生日を祝ってくれるんだ」
「………………」
「『シアナとぼくを殺そうとした人は全然違うもの。怖がる理由なんて無いよ。尾無し、尾有り、関係ないよ』って言ってね。
それを聞いた時に、私もそうなりたいと思ったの」
ゆっくりと、私は若干高い位置にあった椅子から降りて、彼女と同じように絨毯の上に座る。
「だからね今回の侍女の件は形式上命令だけど、実はお願いなんだよ。
家族が食っていけるだけのお給金をあげるから、
私の侍女になって貴方方のことを教えて欲しいんだ」
テファが恐る恐る顔を上げる。
瞳の灰色やその鋭い牙がセルセラそっくりで若干恐怖がよみがえるけど、
目の形や、尻尾や髪の毛艶といった細かいところは全然違う。
何より殺気を感じない。
「親世代はもう恨み合うことをやめられないし、止めるのも、既に傷つけられた人たちからしたら許せるものじゃないと思う。
でも私達はその次の世代だからさ。まだ私と貴方自身は牙も刃も向けてないから。
私達は傷つけあうより手を取り合う方が、私達やその次の世代の子達が幸せになれる気がするんだ」
そう笑って震える手を差し出した。
手の平にも腕にも包帯はまだ巻かれたままだ。
持ち物チェック等はしてるし、私の方は小刀等も隠し持っているが、狼の要素をもった尾有り相手に本気を出されたらとも頭によぎるよ。
でも、私はこうしたいんだ。
「我儘でしかないけどさ、お願い」
夢物語みたいなことでしょう。
でも私はそれに、本気で賭けてみたいと思ったんだよ。
貴方たちの国の王子に、ファリに出会ったから。
彼女はしばらく私の手の平をぽかんと見つめて、耳と尻尾をピンと立てていたが、
「……わっ………………わ、わたしでいいのなら」
そう、向こうも恐る恐る手を差し出してくれた。




