#5「奇妙な違和感」1
「登録者、三万二千人。昨日の朝から二万人増えたわ」
カサネがタブレットを見ながら、紅茶のカップを置いた。声は平坦だが、指先がカップの縁を何度もなぞっている。
「ランキングは四十一位! 先週の今ごろ、四百八十二位だったのに!」
パジャマ姿のアマネが、フライパンを握る俺の背中に飛びついてきた。危ない。目玉焼きが宙に浮きかけた。
「離れろ。焦げる」
「だってお兄ちゃん、四十一位だよ! 私たち、もう底辺配信者じゃないよね!?」
「底辺は卒業ね。ただし切り抜きの再生数は百八十万を超えているけれど、コメントの半分は、あなたの覚醒ではなくカメラの話よ」
「えー! ドローンじゃなくて私を見てよ!」
カサネが画面を向けてくる。『ボスの背後の歪み、何?』『0:42の空間、絶対おかしい』『撮影してる人、誰』。流れているのは、そんなコメントばかりだった。
「地磁気異常の仮説は、一応ノートにまとめたわ。投稿するか迷っているけど」
「やめとけ。長文は読まれない」
「……そう。お兄ちゃんが言うなら、やめておく」
素直すぎて拍子抜けする。
「ねえお兄ちゃん、ドローンのAIってほんとにすごいよね。どこで買ったの?」
「古い型だって言っただろ。ちょっと弄っただけだ」
「やっぱり。お兄ちゃんは構えてるフリしてるだけだもんね」
悪気ゼロの一言を食らい、俺は黙って目玉焼きを皿に移した。食器棚の上から、シュエットがじっとこちらを見ている。丸い目が、何かを訴えていた。
*
同じ朝。都内の高級ホテルの一室で、Sランク探索者の柊レイナは、タブレットの画面を睨んでいた。
遠征明けで、睡眠は三時間。それでも画面から目が離せない。再生しているのは、ある弱小姉妹配信の切り抜きだった。
ボス部屋。アイアン・ミノタウロスの斧が、少女の頭上に迫る。その直後、動画は〇・五秒だけ遅くなる。
「……ここ」
レイナは再生を止め、コマ送りに切り替えた。ミノタウロスの背後の空間が、陽炎のように歪む。次のコマで、黒鉄の装甲の質感が変わっている。硬質な光沢が、一瞬で紙のような鈍色に落ちていた。
「魔法の反応が先。斬撃が後。順序が逆よ」
アマネという少女の剣が、装甲を切ったのではない。先に誰かが装甲を壊し、切れる状態にしておいたのだ。
しかも、あの歪みは魔力の残滓の形に見覚えがあった。
深層。それも、Sランクの自分ですら数えるほどしか足を踏み入れたことのない領域。そこで稀に観測される、あまりに精密で、あまりに規格外な空間干渉の痕跡と、よく似ている。
「ありえない。こんな初心者姉妹の配信に、なぜ」
そう呟きながらも、手は別の動画を呼び出していた。昨日見かけた、もう一本の切り抜き。ジンという中堅配信者がコラボ中、頭上の岩に潰されかけた場面だ。
岩が、数センチだけ逸れている。
軌道を再生する。カメラの位置を割り出す。同じだった。ボスの装甲も、岩の軌道も、歪みの発生源はすべて、あのドローンの真後ろ。
「結界のカサネは違う。剣のアマネも違う。ドローン自体は魔力を発していない」
となると、残るのは。
レイナは配信者のプロフィール欄を開いた。メンバー紹介の一番下に、小さな文字でこうあった。
『荷物持ち兼カメラマン(顔出しNG)』
「……荷物持ち」
苦笑が漏れた。馬鹿馬鹿しい。だが、笑った後の胸のざわつきは消えなかった。
そのとき、端末が震えた。着信は獅堂ジンだった。
『おいレイナ! 見たか、あの切り抜き!』
「見たわ。ちょうど今」
『俺さ、あの岩、避けたつもりだったんだよ。でも後で見返したら、俺、動いてなくてさ。岩のほうが勝手に逸れてんの!』
「やっぱり気づいたのね」
『……おい、じゃあ俺、助けられたのか? 誰に?』
「それを確かめに行くわ」
通話を切り、レイナは窓の外を見た。眼下の街は、いつも通り何も知らずに動いている。
彼女はタブレットに視線を戻し、もう一度だけ、〇・五秒の歪みを再生した。
「この空間干渉を、深層で見たことがある。……でも、あの人は数年前に消えたはず」
誰のことを言っているのか、画面の中の少女たちも、荷物袋を担いだ青年も、知るはずもなかった。




