表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
27/35

第二十七話 ビルカバンバ


 山の奥に都を造った。

 ビルカバンバという。

 白い肌の連中が知らない場所だ。谷が深く、道が狭く、雲が低い。雨が多く、木が密で、日が差しても地面まで届かない。

 クスコとは違う。

 クスコは乾いていて高い。空が近い。石が光る。

 ビルカバンバは湿っていて暗い。石は苔に覆われる。鉄は錆びる。服は乾かない。

 だが馬が来ない。

 馬が来ない場所が、今の我には必要だった。

 石を積んだ。壁を建てた。神殿を造った。太陽の像を安置した。

 小さな都だ。クスコとは比べものにならない。だが我の都だ。

 マスカパイチャを新しく作り直した。赤い糸を編んで、額に巻いた。

 我はここで王になり直した。

 誰の許しもなく。横に誰も立たせず。

 民が集まった。クスコから逃げてきた者。山の村から降りてきた者。アタワルパの残党で行き場を失った者までいた。

 一万。それが我の国の人口だ。

 小さい。だが生きている。

 白い肌の連中は何度か攻めてきた。

 谷に兵を送り込んできた。馬を連れてきた。

 谷の入り口で待った。

 道が狭い。馬が並べない。一列になって入ってくるところを、上から石を落とした。

 退いていった。

 また来た。また退かせた。

 三度目の後、来なくなった。

 白い肌の連中には、もっと大きな問題ができていたのだ。

 自分たちで殺し合い始めた。

 ピサロとアルマグロが争った。アルマグロが負けて殺された。アルマグロの息子が怒って、フランシスコ・ピサロを殺した。

 フランシスコ・ピサロが死んだ。

 あの男が死んだ。

 我を王にし、我に鎖をかけさせ、我の都を奪った男が、自分の仲間に殺された。

 報せを聞いて、我は何も感じなかった。

 フアンの時と同じだ。空だ。

 もう怒りは空になっている。空になったところに、別のものが入っている。

 ビルカバンバの朝の霧。子供の声。畑の芋。

 我はここで暮らしている。

 年を経るごとに、恐れが薄くなっていった。

 恐れが武器だと言った。あの言葉はまだ正しい。だが武器を置く日もある。

 子が育っている。

 ティトゥ・クシという。我と妻の子だ。

 クラ・オクリョは、ビルカバンバに来てから少しずつ声が戻った。全部は戻らなかった。だが子を抱く腕は強い。

 ティトゥ・クシは走り回っている。六つか七つか。よく転ぶ。転んでも泣かない。

 この子はクスコを知らない。白い肌の連中を見たことがない。鎖も蝋燭も知らない。

 それでいい。知らなくていい。

 ——七人のスペイン人が来た。

 ピサロを殺した側の残党だ。負けた側の人間が、行き場を失って山に入ってきた。

 殺すべきだ、と家臣が言った。

 我は迷った。

 白い肌の男が七人。武器を持っている。剣と、鎧と、わずかな火薬。

 だがこの七人は、ピサロを殺した男たちだ。

 ピサロを殺した者は、我の仇を半分討ったことになる。

 それに、この七人を殺しても、何も変わらない。殺さなくても、何も変わらない。

 我は受け入れた。

 住む場所を与えた。食い物を与えた。

 七人はビルカバンバに住み着いた。

 奇妙な暮らしだった。

 我の宮殿から少し離れた場所に、白い肌の男が七人、住んでいる。畑を耕している。鶏を飼っている。我の民と、言葉が半分だけ通じる会話をしている。

 ある日、七人のうちの一人が、庭で何かをしていた。

 鉄の輪を投げている。地面に棒を立てて、離れた場所から輪を投げて、棒に入れようとしている。

 何度も外している。外すと笑う。入ると声を上げる。

 我は見ていた。

 見ていたら、誘われた。

 投げてみろ、という手振りだ。

 我は鉄の輪を受け取った。

 重い。冷たい。

 棒に向かって投げた。外れた。

 もう一度投げた。また外れた。

 三度目に、棒に当たった。入らなかったが、当たった。

 白い肌の男が声を上げた。我も声を上げた。

 ——笑っていた。

 我は笑っていた。

 演じていない笑いだった。

 丁寧でもなく、冷たくもなく、何も隠していない笑いが、口から出ていた。

 蝋を垂らされた顔で。小便をかけられた顔で。鎖の跡が残った手首で。

 輪を投げて、笑っていた。

 それから何度か、輪投げをした。昼過ぎに、庭で。七人と我と、時々、家臣も混ざった。

 勝ったり負けたり。負けると悔しい。勝つと嬉しい。それだけの遊びだ。

 恐れを忘れている。

 恐れを忘れている時間があることを、我は知らなかった。

 一五四四年。

 その日も庭にいた。

 輪投げをしていた。

 七人のうちの三人が、我の近くにいた。

 輪を投げた。外れた。笑った。振り返った。

 刃が見えた。

 腹に入った。

 熱い。

 もう一本、入った。背中だ。

 膝をついた。

 庭の土に手をついた。手首の鎖の跡が見えた。

 顔を上げた。

 刺した男の顔を見た。知っている顔だ。昨日も輪を投げた男だ。

 なぜ、とは思わなかった。

 恐れていなかったからだ。

 恐れることが武器だと、我は言った。

 恐れを忘れた日に、刺された。

 ——戸口に、子が立っていた。

 ティトゥ・クシ。

 走ってこようとした。家臣が抱きとめた。

 子の顔が見えた。

 泣いていた。声を上げて泣いていた。

 この子に渡すものがある。

 マスカパイチャ。ビルカバンバ。チャスキが走る道。石を積んだ壁。

 小さい国だ。だが国だ。

 我はこの国を渡す。

 渡す先は、あの戸口に立っている子だ。

 渡せたのかどうか、我にはもう分からない。

 分からないまま、庭の土を見ている。

 土の上に、鉄の輪が転がっている。

 さっき投げた輪だ。棒には入っていない。

 外れたまま、転がっている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ