第二十三話 マンコ・インカ
兄たちが殺し合っている。
我の名はマンコ・インカ・ユパンキ。父はワイナ・カパック。タワンティンスーユの主であった人だ。
であった、と書くのは、父が死んだからだ。
顔に出ものができる病で死んだ。どこから来た病かは分からない。北の方から、道を伝って、人から人へ移って来たと聞いた。
父が死んだ。跡継ぎに決めていた兄も、同じ病で死んだ。
残った兄が二人いる。
ワスカルとアタワルパ。
ワスカルはクスコにいる。父の都だ。正統な跡継ぎは自分だと言っている。
アタワルパはキトにいる。北の都だ。父の軍を引き継いで、自分のほうが強いと言っている。
正統か、強さか。
我は、どちらでもない。
父の子は多い。我はその中の一人に過ぎない。母の身分は高くない。跡を継ぐ器だとは、誰にも思われていない。我自身も思っていない。
だが父の血は流れている。
父の血が流れている男は、どちらの兄にとっても邪魔だ。生かしておけば、旗に使われる。
ワスカルの側にいれば、アタワルパの兵に殺される。アタワルパの側にいれば、ワスカルの兵に殺される。どちらにもつかなければ、どちらにも殺される。
だから山に隠れている。
我は十七だ。
山の洞穴に、従者が三人いる。食い物は芋と干し肉。火は焚けない。煙が出れば見つかる。
夜、空を見る。星が近い。山の上では星が手に届く。
クスコの宮殿では、星を見る必要がなかった。壁があり、屋根があり、火があった。
今は石の上に寝ている。
この国は大きい。北から南まで、人が歩いて三月かかる。石を敷いた道が山を越え、谷を渡り、すべての町を繋いでいる。
道の途中に倉がある。タンボという。食い物と水と服が置いてある。使いの者はタンボからタンボへ走って、言葉を運ぶ。チャスキという。
チャスキが走れば、クスコからキトまで五日で言葉が届く。
その道を、今、殺すための言葉が走っている。
報せは断片で届いた。
山の下の村から、時々、人が来る。従者の親族だ。見つかれば殺される。それでも来てくれる。
ワスカルの軍がアタワルパの軍とぶつかった。最初はワスカルが押した。だがアタワルパの将軍が強い。キスキスとチャルクチマク。この二人がワスカルの軍を崩した。
ワスカルが捕まった。
この報せを、洞穴で聞いた。
捕まった、と聞いて最初に思ったのは、これでアタワルパが勝つ、ということだ。
次に思ったのは、次は我だ、ということだ。
アタワルパの兵がクスコに入った。
ワスカルの血縁を探している。父の血が流れている者を、片端から殺している。妻も。子も。
逃げた。
洞穴を出て、さらに高い山に入った。空気が薄い。従者の一人が倒れた。置いていけなかった。担いで登った。
山の上で、下を見ている。
下で帝国が壊れていく。
道は残っている。倉は残っている。チャスキは走っている。だが走る言葉が変わった。クスコから出る声がアタワルパの声になった。
同じ道を、違う声が走っている。
帝国は、もう壊れている。
我は山の上でそれを知っている。
ある日、別の報せが来た。
北の海岸に、見たことのない者たちが来ているという。
白い肌で、顔に毛が生えていて、銀色の服を着ている。四本脚の獣に乗っている。棒を持っていて、棒が雷のような音を出す。
百人もいないという。
我は聞いた。興味を持たなかった。
百人が何をする。この国には戦える男が何十万もいる。兄たちが殺し合いに使っている兵だけで踏み潰せる。
海岸の百人より、山の下のアタワルパの将軍のほうが怖い。
次の報せが来た。
アタワルパが捕まった。
百人に、捕まった。
カハマルカという町で、アタワルパが白い肌の連中に会いに行った。兵を何千も連れて行った。
広場に入った。
門が閉じた。
何千もの兵が広場で殺された。アタワルパは輿から引きずり降ろされ、捕まった。
何十万の兵を持つ男が、百人に捕まった。
なぜか。
我は山の上で考えた。
考えて、一つだけ分かった。
アタワルパは百人を恐れなかった。恐れなかったから、広場に入った。
我は恐れている。
兄の兵に怯え、山に隠れ、洞穴で芋を齧り、星を数えて夜を過ごしている。
だが恐れている人間は、広場に入らない。
恐れることが、武器になる。
これが、我の最初の学びだった。
山を降りる時が来た。
アタワルパが捕まっているなら、我を殺す者がいなくなった。
白い肌の連中は百人しかいない。その百人がアタワルパを倒した。
兄の敵は、我の味方になりうる。
我は山を降りた。
恐れたまま、降りた。




