第十九話 テノチティトラン
山を越えた日に、見えた。
谷の底に、水がある。
湖だ。
湖の上に、町がある。
——町ではない。
わたしが知っている町は、道があって、家があって、市場があるものだ。それは町だ。
あれは町ではない。
白い壁が湖の上に広がっている。神殿の段が何本も空に突き出ている。道が水の上を走っている。三本の道が、湖を渡って陸と繋がっている。
水の上に、都がある。
わたしは立ち止まった。
後ろで白い肌の連中がざわめいた。彼らも見ている。
アギラールが何か言った。聞こえなかった。
コルテスは黙っていた。
腕を組んで、目を細めて、湖の上の都を見ていた。あの値踏みの目だ。だが今日は、量り終わるまでに時間がかかっている。
わたしが生まれた土地では、テノチティトランの話は誰でも知っていた。水の上の都。世界の中心。モクテスマの座る場所。
聞いていた。だが見たことはなかった。
売られた時、わたしは子供だった。都に行くような身分ではなかった。その後ポトンチャンに行き、マヤの言葉を覚え、ナワトルを忘れないようにして、それだけで手いっぱいだった。
今、見ている。
わたしが生まれた世界で一番大きなものを、征服者の横に立って見ている。
道を歩いた。
水の上の道だ。石で固めてあって、十人が並んで歩ける幅がある。両側に水がある。水の上に小舟が浮かんでいる。数えきれない。
道の上を人が行き来している。荷を担いだ人。花を持った人。子を連れた人。
この人たちは、わたしたちを見ている。
見ているが、逃げない。
チョルーラでは逃げた。ここでは逃げない。多すぎるからだ。わたしたちのほうが少ない。圧倒的に少ない。
五百の白い肌と、一万のトラスカラ兵。
この都の人間は、数え方にもよるが、二十万はいる。
その二十万の中を歩いている。
道の端まで来た。
人垣ができていた。その奥から、行列が来る。
最初に来たのは掃除をする者たちだった。道を掃き、布を敷いている。
次に来たのは貴族たちだ。耳飾り、唇飾り、腕輪。翡翠と金と鳥の羽。
裸足だ。
全員が裸足で、目を伏せている。
最後に来た男は、担がれていた。
四人が担ぐ輿の上に、座っている。
天蓋がある。緑の羽で編んだ天蓋で、縁に金と翡翠が縫い込んであり、光っている。
輿が降ろされた。
男が立ち上がった。
二人の貴族が左右から腕を支えた。足の下に布が敷かれた。この人の足は地面に触れない。
モクテスマだ。
背が高い。痩せている。顔は長く、鼻が通っている。目が暗い。暗い目で、まっすぐにこちらを見ている。
コルテスがこちらを見ている。
「マリーナ」
この男はわたしをそう呼ぶ。洗礼の時につけられた名だ。三つ目の名前。マリナリでもなく、ポトンチャンで呼ばれた名でもない。
呼ばれれば振り向く。それがわたしの仕事だ。
モクテスマの前に出ていく合図だった。
わたしは歩いた。
コルテスの半歩後ろ、アギラールの半歩前。これがわたしの位置だ。
コルテスがモクテスマの前に立った。
二人の男が向き合っている。
片方は鉄の服を着て、剣を腰に吊り、海を渡ってきた男。
片方は羽の衣をまとい、足を地面に触れさせない、二十万の都の主。
その間に、わたしが立っている。
モクテスマが口を開いた。
ナワトルだ。テウティレよりさらに硬い。さらに正確だ。一語ずつ、彫り物のように置かれていく。
聞いた。
全部聞こえる。
この人は、待っていたと言っている。
東から来る者を、古い言い伝えの通りに迎える。この都はあなたのために用意した。疲れたであろう。休まれよ。
——本当にそう言っている。
この人は、この都を渡すと言っている。
嘘か。嘘だと思う。宮廷語はそういうものだ。言葉の通りに受け取ってはいけない。チョルーラの「来るな」が柔らかすぎて「来るな」に聞こえなかったように、この「渡す」も形式だ。
だが、わたしはどう変える。
そのまま渡せば、コルテスは「都を貰った」と思うかもしれない。
形を変えれば、コルテスには「歓迎されただけ」と届く。
——わたしはそのまま渡した。
モクテスマが言った通りに変えた。
なぜそうしたのかは、分からない。分からないが、そうした。
この人の言葉を、わたしが勝手に削ってはいけない気がした。
王が言ったことは、王が言ったこととして届けるべきだった。
コルテスが聞いた。
笑わなかった。うなずいた。深くうなずいた。
何を考えているかは、読めなかった。この男の顔が読めないのは初めてだった。
コルテスが答えた。
アギラールがマヤに変えた。わたしがナワトルに変えた。
遠くから来た。あなたの名は聞いている。友として参じた。あなたの都は美しい。
モクテスマは聞いていた。
聞きながら、わたしを見た。
コルテスではない。わたしを見た。
一瞬だった。
目が合った。暗い目だ。何かを探している目だった。
わたしの口から出てくるナワトルが、正しいかどうかを見ている。
この人は分かっている。言葉が二つの口を通っていることを。わたしが間にいることを。
間にいる女が何を変え、何を変えなかったか。
それを見ている。
わたしは目をそらさなかった。
目をそらしたら、この人に嘘がばれる。嘘はついていないが、嘘に見える。
モクテスマが目をそらした。
わたしではなく、コルテスのほうを向いた。
うなずいた。
一行は、都に入った。
用意された宮殿に案内された。石造りで、中庭があり、泉がある。部屋がいくつもある。五百人が入って、余る。
わたしは部屋の隅に座った。
壁に絵が描いてある。鳥と蛇と水の絵だ。色が生きている。
この都は美しい。
この都を、あの男は欲しがっている。
そしてこの都の主は、それを知っている。
知っていて、招き入れた。
なぜかは分からない。宮廷語が柔らかすぎて、本当の意味がどこにあるのか、わたしにも読めない。
分かっていることは一つだけだ。
二十万の都の中に、五百人が入った。
橋は三本。その橋を落とされたら、出られない。
——わたしは、水の上にいる。
どこにも逃げ場がない水の上に。




