第十五話 コルテス
船に乗せられた。
揺れる。わたしは船というものに慣れていない。川の上の丸木舟しか知らない。これは丸木舟ではない。板を組んだ大きな箱で、中に部屋がある。
二十人は甲板の隅にまとめられた。
日差しが強い。潮の匂いがする。波がぶつかるたびに板がきしむ。
隣の女が吐いた。その隣の女も吐いた。わたしは吐かなかった。吐くものが入っていなかった。
西へ向かっている。
太陽が昇る方角から逃げるように走っている。海岸線が右手に見えている。知っている土地が後ろへ流れていく。
知っている土地と言っても、売られた先の土地だ。惜しくはない。
三日目に、間の男と目が合った。
アギラールという名前だと、誰かが言っていた。
この男は船の上でも何か唱えている。朝と夕に、目を閉じて、手を組んで、長く唱える。白い肌の連中の中にも同じことをする者はいるが、この男のは長い。
唱え終わると、膨らんだ本を開く。もう何も読めないほど傷んでいるのに、開いて、指でなぞっている。
——この人は、何かを数えている。
何を数えているのかは分からない。だが数えている人間の指の動き方は、どの土地でも同じだ。
西へ進むにつれて、海岸の様子が変わった。
村の形が変わった。建物の積み方が変わった。旗の色が変わった。
言葉が変わった。
浜から舟が寄ってきて、男たちが何か叫んでいる。
わたしの体が先に反応した。
ナワトルだ。
聞き間違えない。わたしの最初の言葉だ。売られる前に毎日話していた言葉だ。
ポトンチャンでは聞かなかった音が、今、海の向こうから来ている。
胸が詰まった。
詰まったが、顔は動かさなかった。
白い肌の連中の長が、甲板に出てきた。
この男の名はコルテスという。背は高くない。声がよく通る。目が動く。人を見る時に、値踏みをしている。何ができる人間か、何に使える人間かを、常に量っている。
わたしは量られる側の人間だ。慣れている。
コルテスがアギラールを呼んだ。
浜の男たちと話をつけろ、ということだろう。
アギラールが舷に立った。
浜の男に向かって、マヤの言葉で呼びかけた。
返事がない。
もう一度呼んだ。
浜の男たちが顔を見合わせた。振り返って、仲間と何か話した。
ナワトルだ。
あの人たちはナワトルを話している。マヤの言葉は通じない。
アギラールが振り返った。コルテスを見た。首を振った。
「分からない。この言葉は知らない」
白い肌の連中の言葉で言ったのだろう。わたしには音しか聞こえない。だが、首の振り方と、コルテスの顔が曇ったことで、意味は取れた。
通じない。
間の男が、間として使えなくなった。
コルテスが何か言った。部下の何人かが集まってきた。声を低くして話している。
困っている。
わたしは甲板の隅に座ったまま、それを見ていた。
二十人の中の、端の一人として座っている。
黙っていれば、このままだ。船に乗せられて、どこかへ連れて行かれて、誰かに渡されて、何かをさせられる。名前がまた変わるかもしれない。変わらないかもしれない。
どちらにしても、わたしは数のままだ。
数のままなら、安全だ。
見えない人間は殴られない。聞こえない人間は使われない。要らない人間は、要らないまま、どこかの隅で生きていける。
わたしは今まで、ずっとそうしてきた。
ポトンチャンの主人の家で、隅にいた。求められたことをして、求められないことはしなかった。言葉が分かることを見せなかった。分かると知られれば、使われる。使われれば、壊される。
だから黙っていた。
——だが。
浜の男たちが帰りかけている。
舟の向きを変え始めた。話が通じないから、帰る。
帰ったら、もう来ない。
コルテスはこの先へ進めなくなる。ナワトルが通じる土地に入ったのに、ナワトルを持っていない。
わたしは持っている。
わたしが口を開けば、あの帰りかけている舟が止まる。コルテスの言葉がアギラールを通ってマヤになり、マヤがわたしを通ってナワトルになり、ナワトルが浜の男に届く。
届いたら、何が起きるか。
分からない。
分からないが、届かなかった場合に何が起きるかは分かる。何も起きない。わたしは数のままで、船の隅で、次の持ち主を待つ。
何も起きないことの安全。
何かが起きることの危険。
——わたしは立ち上がった。
甲板の隅から、三歩。
舷に寄った。
浜の男たちに向かって、声を出した。
ナワトルで。
「待って。話ができる」
舟が止まった。
男たちがこちらを見た。
アギラールがこちらを見た。
コルテスがこちらを見た。
船の上の全員が、わたしを見た。
——二十分の一が、数でなくなった瞬間だった。
浜の男が何か言った。ナワトルだ。全部聞こえる。
わたしはそれをマヤに変えた。
「この土地の長が会いたいと言っている。贈り物を持って来たと」
アギラールが目を見開いた。
マヤだ。この女がマヤを話した。
アギラールがそれを白い肌の言葉に変えた。コルテスに伝えた。
コルテスが何か答えた。アギラールがマヤに戻した。
「歓迎する。こちらも贈り物がある。浜で待つ、と」
わたしはそれをナワトルに変えた。浜の男に向かって言った。
男がうなずいた。舟の向きを元に戻した。
——通った。
言葉が通った。
三つの言葉が、二人の口を通って、繋がった。
コルテスがわたしを見た。
あの目だ。値踏みの目。何ができる人間か、何に使える人間かを量る目。
だが今日の値踏みは、いつもと少し違った。
量り終えた後の目が、変わった。
この男は、わたしが何であるかを理解した。
——わたしも、理解した。
今、わたしは数ではなくなった。
数ではないものは、名前を持つ。
名前を持つものは、使われる。
使われるものは、壊されるか、なくてはならないものになるか、どちらかだ。
どちらになるかは、わたしが決める。




