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彼女が好きだったのは僕じゃなくて、僕の書く遺書だった  作者: 一ノ瀬 このは


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第二話 似ている文章

次に篠崎(しのさき)に声をかけられたのは、その翌日の放課後だった。


終礼が終わっても教室にはまだ何人か残っていて、掃除当番が黒板を消す音と、部活に行く前のやつらのだらだらした話し声が混ざっていた。

朝倉(あさくら)は鞄に教科書をしまいながら、今日はまっすぐ帰ろうと思っていた。


「朝倉」


顔を上げると、篠崎がいた。


「……なに」

「この前のやつ、また書いた?」


朝倉は、教室の後ろをちらりと見た。

窓際では女子が三人並んでスマホを見て笑っているし、廊下のほうからは別のクラスの男子が顔を覗かせて誰かを呼んでいる。


篠崎は少しだけ困ったように笑って、朝倉を見ていた。

朝倉はため息をつき、鞄を持って立ち上がる。


「……こんなところで話すことじゃないから」


そう言って篠崎を連れて教室を出る。

廊下を歩くあいだも、彼女はほとんど喋らなかった。


渡り廊下を抜け、旧校舎側の階段に入る。

人気のない場所へ来るにつれて、校内の音は少しずつ遠くなった。踊り場に着いて足を止めると、篠崎は改めて聞いてくる。


「で、書いた?」


朝倉は鞄の中を見た。結局、昨日はあれから何も書けずにそのまま寝たため、ノートに新しい遺書は無い。


「……書いてない」

「じゃあ、前に書いたやつはある?」

「……まあ、それなら一応あるけど…」


朝倉はしぶしぶノートを取り出した。

どうせ昨日も読まれたのだ。今さら隠したところで、何が守れるわけでもない。


篠崎は昨日のページを開き、そして過去のページを遡って見ていく。

朝寝坊したこと、数学の宿題を家に忘れたこと、廊下で人にぶつかったのに謝れなかったこと。

そういったくだらないことが書かれている遺書を、静かに読み返していく。


読み終わるまで、彼女は何も言わなかった。

風が少しだけ階段の窓を鳴らし、どこかの教室で椅子を引く音がする。

朝倉は自分のノートを読まれているあいだ、どういう顔をしていればいいのかわからなかった。


「……やっぱり似てる」


篠崎はそう言って、ページの端を親指で押さえたまま動きを止めた。


「誰に?」

「え?」

「今似てるって」

「……なんでもない」


篠崎はごまかすように言ったきり、目を背ける。

その横顔があまりにも寂しそうで、朝倉は何も言えなくなってしまった。


「……ありがとう」


ぱっとこちらを向き直った篠崎は、もういつもの顔に戻っていた。

朝倉は差し出されたノートを受け取り、鞄へしまう。

篠崎はそのまま立ち上がらず、窓の外を見た。グラウンドでは野球部がランニングを始めていて、一定の掛け声が聞こえてくる。


「また書いたら、読ませて」


先ほどの寂しそうな篠崎の顔が頭から離れず、朝倉は頷くことしかできなかった。



そのあとも、何日かそんなやり取りが続いた。


教室ではほとんど話さない。

放課後になると、自然とどちらともなくいつもの踊り場に集まるようになった。


その日のうちに書いたものを見せることもあれば、前日に書いた分を渡すこともあった。

篠崎はいつも最後まで読み、ありがとう、と返してくる。

たまに、読んでいる最中に笑顔を見せたり、悲しそうな顔をしたりすることもあった。


誰にも見せるつもりがなかったはずのノートなのに、気づけば篠崎がどんな顔をするか考えながら書いている自分がいた。

それが気持ち悪くて、でも少しだけうれしかった。


たぶん、その頃にはもう、篠崎を意識していた。


意識している、というのは大げさかもしれない。

ただ、朝の教室で篠崎が笑っている声がすると、なんとなくそっちを見てしまうとか、移動教室のときに廊下の向こうから来るのが見えると、それだけでちょっと落ち着かなくなるとか、そのくらいだ。



数日後の昼休み。

朝倉は課題の調べ物のために、弁当を早めに食べ終えて図書室へ行った。


ふと目を向けると、図書室の奥に委員会や部活動の古い冊子が並んでいる棚があった。

ほとんど借りる人はいないのか、そこの本だけ少し埃を被っている。


朝倉がなんとなく背表紙を指でなぞっていると、「文芸部」という文字が目に入った。


確か、篠崎も文芸部だったはずだ。


そのとき、篠崎の「似てる」という言葉が頭をよぎった。

文章を読んで似ている、と言ったなら、文芸部の誰かなんじゃないか?


そう考え、文芸部の部誌を引き抜いた。


去年のものを開いたとき、目次の下のほうに神谷(かみや)玲央(れお)という名前があった。

その名前には見覚えがあった。確か、去年事故で死んだ卒業生の名前だ。


朝倉はそのページを開いた。


文章は短かった。

駅前のパン屋のことが書いてあって、夕方になると割引シールが貼られるのを待つ時間が好きだとか、トングの先がトレーに当たる音がいつも同じだとか、そんな話ばかりだった。


どうでもいい、日常のことを綴っただけの文章。


朝倉はしばらくその文章を見ていた。何かが引っかかる。

ふと、そのとなりに見覚えのある名前があった。


篠崎(しのさき) (みお)


それを見た瞬間、気がついた。

似ているのだ。朝倉の遺書と、神谷玲央の文章が。


内容はまるで違った。


神谷玲央は好きなものを書いている。朝倉は嫌だったことを書いている。

けれど、その日常についての何気ない話を書く、というところだけは似ていた。


その事に気づいたことで、篠崎の「似てる」という発言についても、何のことかがわかった気がした。


冊子を棚に戻し、朝倉は図書室を出た。



その日の放課後、篠崎のほうが先に踊り場に着いていた。朝倉が階段をのぼりきると、こちらを振り返る。


「神谷玲央」

「え」

「神谷玲央の文章を読んだよ。図書室にあった」

「……そっか」


篠崎はそれだけ言って、すぐには続けなかった。

朝倉も、責めるみたいな言い方にならないように気をつけながら、壁にもたれた。


「僕の遺書が、神谷玲央の文章に似ていたんだろ?」

「うん」

「読みたがっていたのも、似ていたから?」

「……うん」


篠崎はうつむいた。


「ごめん」


風が窓を揺らす。白く曇ったガラスに、空の色だけがぼんやり映った。


しばらく沈黙が続いてから、篠崎が口を開いた。


「神谷先輩、去年交通事故で死んだの」

「知ってる」

「好きだったの」


朝倉は何も言わなかった。篠崎は目を上げないまま続けた。


「ちゃんと告白するつもりだった。時期とか、場所とか、そういうのまで考えてたわけじゃないけど、いつかは言うつもりだった。でも、その前に死んじゃった」


言い方があまりにも平坦で、朝倉はどう返事をすればいいかわからなかった。

慰めるのは違う気がしたし、「へえ」と流すわけにもいかない。


「朝倉の遺書を最初に読んだとき、神谷先輩を思い出した」

「……うん」

「だから、次も読みたくなったの」


篠崎が見ていたのは、自分ではなかった。

自分の文章を通して、その向こうにいる死んだ先輩のことを見ていた。


朝倉はその場では何も言えなかった。

ただ、何かが抜け落ちたように、心が冷えた。



その後のことは、あまり覚えていない。

気づけば机の前に座っていて、ノートだけが開かれていた。


-------------------------------------------------------------------------------------

母さんへ。

たぶん、最初にこれを読むのは母さんだと思うので、そう書きます。

これを読んでいるということは、僕はもうこの世にはいないのでしょう。

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いつもなら、このあとに自然に続いていたはずの言葉が、何も出てこなかった。

朝倉はしばらく白いページを見つめたあと、何も書かないままノートを閉じた。


その夜は、とうとう何も書けないままだった。

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