6.DAY16 十月十四日(火) 政府発表
隼矢は携帯から顔をあげると、向かいで明日奈が遅い夕食のパスタを勢いよく頬張っているのを見て、思わず笑った。
「相当腹減ってたんやな」
「もう限界。今日まともに休憩とれてないもん」
明日奈はそう言って、ケチャップのパスタをフォークで巻き取る。夜十一時を過ぎても開いている、隼矢の最寄り駅前のファミレス。明日奈がここで頼むものは、いつも決まっていた。
「仕事そんなに忙しいん?」
「ハロウィンキャンペーン始まるから。ずっとバタバタ。店ん中、今オレンジだらけ」
「想像つくわ」
最後のひと口を飲み込んだところで、隼矢が携帯を見ながら言った。
「そうや。明日奈、これ見た?」
画面には、硬い表情のニュースキャスターが映っている。テロップには《臨時ニュース》の文字。
「あー、なんか夕方から騒いでるやつ? 今日そんなん見る暇なかった」
「今どこもこればっかやぞ」
隼矢はイヤホンを片方外し、明日奈に渡した。明日奈は「なにそれ怖」と苦笑しながら耳につける。
イヤホン越しに、緊迫したアナウンサーの声が流れた。
《ただいま、臨時ニュースをお伝えします。
政府は本日、全国の医療機関から報告されている、いわゆる「細胞老化現象」について、新たな解析結果を発表しました。
発表によりますと、この現象は感染症などの疾病ではなく、生体活動そのものに共通した変化である可能性が高いということです。
専門家チームの解析では、細胞老化速度の増加に一定の規則性が確認されており、この変化は時間経過とともに拡大している可能性があるとしています。
また、この影響は機械的な時間には確認されておらず、人間を含む生命活動にのみ生じていることが改めて確認されました。
さらに、現在まで確認されている範囲では、この現象は人間だけでなく、動植物を含む広範囲な生命体に共通して現れているということです。
政府は現時点で、直ちに深刻な健康被害が発生する状況ではないとしています。
一方で、
「将来的に人体の代謝や老化へ影響を及ぼす可能性は否定できない」
としており、現在、複数の国際研究機関による緊急解析が進められています。
政府は国民に対し、「冷静な行動をお願いしたい」と呼びかけています。
以上、臨時ニュースでした。》
明日奈は、途中から食い入るように画面を見つめていた。
ネットでは、信じられないような話が次々に流れている。どこまでが本当で、どこからがデマなのか、もう明日奈にもわからなくなっていた。
問題なのは——この話が、自分にどれほど関係してくるのかだった。
細胞の老化速度。
その言葉が、頭の奥に重く沈む。
老化が早まるってことは……。
ガン細胞も、早く増えるってことになるんかな。
そう考えた瞬間、自分の頭の中に埋め込まれた爆弾のタイマーが、カチリと音を立てて動き出したような気がした。
明日は病院の日だ。
手術を受けるかどうか、返事をしなければならない。
なのに、まだ決めきれない。
そして、そのことを隼矢に話す勇気も、まだ持てなかった。
黙り込んだ明日奈に気づき、隼矢がことさらに明るい声を出す。
「でもさ、世界中で騒いでるけど、ほんまにそんな大変なんかな。細胞とか言われても、俺、『生物』とってなかったし、いまいちピンとこないんよね」
隼矢は肩をすくめ、冗談っぽく笑った。
「逆に、植物の成長めっちゃ早いってニュースもあるやろ。野菜とか安くなったりしてな。あ、お肉も育つの早なったりして」
わざと空気を軽くしようとしているのはわかった。
でも、その言葉が、今の明日奈には鋭く胸に刺さった。
明日奈は視線を落としたまま、何も返さない。
「どうした? ほんまに疲れてる?」
いつもの明日奈なら、軽く返していただろう。
けれど今は、胸の奥に引っかかった言葉が消えなかった。
「たいしたこと……」
「え?」
「たいしたことなんや! これは……!」
気づけば声が強くなっていた。
頭の中の爆弾が、急速に膨れ上がっていくように感じた。
戸惑う隼矢の顔を見て、明日奈は我に返る。
「あ……ごめん」
自分でも驚くほど声が震えていた。
「今日、ほんま疲れてる。ごめん、やっぱ帰るわ」
そう言って、立ち上がる。
隼矢は慌てて口を開いた。
「え、ちょ――」
けれど明日奈は、もう一度「ごめん」とだけ言って店を出ていった。
追いかけようとして、隼矢は足を止める。
明らかに、いつもの明日奈じゃなかった。
仕事忙しいはずやのに、平日の今日、わざわざ会おうって言ってきたのは、明日奈のほうだった。
なのに、なんで……。
怒った、というより、追い詰められてるような顔だった。
隼矢はため息をつき、冷めかけたドリンクバーのコーヒーを口に運ぶ。
今度、焼肉でも誘うか。
肉食ったら、ちょっとは元気出るやろ。
そんなことを考えながら、隼矢は明日奈の出ていった扉をぼんやり見つめていた。
*
明日奈は改札を抜けると、逃げるように階段を駆け上がった。
ホームへ出たところで、ようやく立ち止まり、大きく息を吐く。
やってしもた。
頭ではわかってた。隼矢は悪くない。なのに、腹の奥がぐちゃぐちゃに煮えていた。
何に苛立っているのか。
ほんとうは、自分でもわかってる。
——わたし、怖がってるんや。
ネットに並ぶ言葉が頭をよぎる。
老化。寿命。進行。加速。
——怖いんや。——でも、どうせ人はいつか死ぬ。
だったら、やれることあるなら、やらなあかんやろ。
ぐずぐず悩み続けている自分に、もううんざりしていた。
仕事だって、まだやりたい。
隼矢とだって、まだ——。
そこで思考を止める。
明日奈は、自分の頬を両手でぱん、と叩いた。
「しっかりしぃ、わたし」
小さくつぶやく。
閻魔様には、まだ迎えに来てもらったら困る。
わたし、まだ終わってへん。
明日、病院へ行く。手術を受けるかどうか、その返事をする。
さっきまで決められずにいた。
でも今は、はっきりわかる。
やる。
やってやる。
こんなところで終わってたまるか。
電車が風を巻き込みながらホームへ滑り込んできた。
涙が込み上げる。けれど明日奈は、ぐっと奥歯を噛みしめ、それを押し戻した。
*
翌朝。
明日奈は病院で、榊原医師に手術を受ける意思を伝えた。
手術日は、二十五日の土曜日に決まった。




