11.DAY24 十月二十二日(水) 奈良県橿原市
明日奈は朝から落ち着かなかった。
——店は大丈夫やろか。
オーナーと相談して、今日から閉めることにした。
もう二度と開くことはない。そう分かっていた。それでも最後の日まで隅々を磨いた。
三日前に政府が「終末宣言」を行ったあとも、昨日までは、大阪の街は静かだった。
異様にといってもよかった。
でも、やはり予想していたように徐々に街の治安は悪くなっていた。
まだ日本はましなようだ。世界では、もっと本格的な暴動になっているところも多い。
店のことを考えていて、ふと店に自分のジャケットを置きっぱなしだったのを思い出した。
新ブランドの契約をとった日、記念にと買ったそのブランドのジャケット。
わたしの初の大仕事だった。
そう思うと、じっとしていられなくなった。
明日奈は、店の様子を見がてら、自分のジャケットを取りに大阪まで行くことにした。
まだ大丈夫だろう。
そう思って近鉄の大和八木駅に向かう。
その時スマホが鳴る。隼矢だった。一瞬、ためらいが指に出る。一週間前の別れ方が最悪だったのを思い出した。今度あったらちゃんと全部話す、そう決めていたのに……、あの終末宣言だった。
店長として、明日奈はこの三日、走り回っていた。
だから、結局あのまま。
明日奈は一度だけ深呼吸した。それからいつもの声を作った。
隼矢は変わっていなかった。
「大阪へ行くって大丈夫かよ。あっちこっち相当やばいことになってるみたいやぞ。やめとけよ」
「大丈夫だって。昨日まで店やっててんから。ちょっと見たらすぐ帰ってくるし。それより、夜さ、焼き肉行こ」
「わかった。無理すんなよ。やばいって思ったら引き返せよ。――そんなら、肉だな。今日は俺がおごるから、楽しみしてろ」
「オッケ~。あっ、待った。やっぱ韓国料理にしよ」
「え~、なんやそれ」
「前に見たサムギョプサル、極厚豚やで。一度食べたかってん」
隼矢のいつもの笑い声が響く。
「わかった。そんならそれで」
よし、ここんとこがんばったから。今日は肉食うぞ!
明日奈は、スマホをデニムのポケットにつっこむと前を向き、駅へ踏み出した。
大和八木駅北口。人はいる。だけど、ばらけた感じで、立っている人同士の距離が妙に広く感じる。
駅前のコンビニは、ちゃんと開いていた。
自動ドアがゆっくりと開き、中へ入る。客は数人。大阪のような押し合いはない。
目の前のおばさんが、棚の前でじっと立ったまま止まっていた。手にとっては、また戻す。また別の物を見ている。
「どれがええと思う?」
突然、話しかけてきた。おばさんは本気で悩んでいる顔だった。
「え、……わたしなら、これ好きです」
そう言って、デカ盛りのプリンを指さすと、おばさんは、それを手に取った。
「そんなら、食べてみよか」
そういうおばさんのカゴには、缶詰が幾つも入っていた。
明日奈はペットボトルを手にレジに向かう。
客の一人が、店員に聞いていた。
「明日も開いてる?」
店員は少し考えて「……来れたら」と答えていた。
改札は、静かだった。
通る人もいる。だが、急いでいる人はいない。
電車は減っていた。来ても、どこまで行けるか分からないと、アナウンスがある。
それでも、明日奈は乗った。
じっとしてても、しゃあない。今行かなければ、もう行けない。そう思った。
たった一晩で、確実に世界は変わっていた。
駅前の植え込みは、もう茶色くなり始めていた。
ニュースでは海洋プランクトンが大量死したと言っていた。
身近な草は、どんどん枯れていき、森があちこちで死に始めている。草花はその生命サイクルが短いだけに、よりその変化が顕著だという。
寿命の短い猫や犬も、死に始めているらしい。
刻一刻と、世の中の機能は止まっていく。
終末の日まであと十日。
明日のない社会。
それは都会の方が、より変化が大きかった。
一時間遅れで着いた大阪の街は、一晩で様変わりしていた。
それまで小規模な騒乱はあっても、なんとか守られていた社会秩序が、この日、一気に崩れだしていた。
大阪城近辺で大規模な暴動が起き、環状線は動いていなかった。
街は、どこもシャッターを閉め、開いている店は少なかった。
地下鉄を乗り継いで、なんとか大阪駅まで着いたのは、もう昼を過ぎていた。
大阪駅の巨大な屋根の下に、人の流れはまだあった。
止まってはいない。むしろ、多すぎるくらいだった。
行き先のない人間が、行き先を探して動いているだけの流れ。
アナウンスが繰り返されている。
「現在、全線において運行の見通しが——」
中央改札口の前で立ち止まっている人が多かった。
改札機は動いている。ICカードも反応する。それでも改札の前で立ち止まる人がいる。通った先に何もないと分かっているからだ。
駅前広場では、スーツ姿の男がスマホを掲げていた。
「今、ここです。大阪駅前、見ての通り——」
配信は続いている。言葉もはっきりしている。
「まだ人は動いています。ただ——」
言葉を探している。適切な言葉が見つからない男は、そのままスマホを掲げていた。
そう…どこにも向かっていない。みんな、もうどこにも向かっていないんだ。
明日奈はそんな人の中を、まっすぐに自分の店に向かって進んだ。
ぐんぐん人込みをすり抜け進む。
ざわめきの中、目的のない人たちの言葉が、さざめく。
「店、もう開いてない?」
「まだやってるとこあるぞ」
そちらを見ると、シャッターが半分だけ開いた店に人が集まっていた。
列ではなく、塊だった。
「一人一つまでにしてください!」
店員の声が通る。まだ若い。まだ元気だった。
高架下では、何人もが座り込んでいた。
疲れているわけではない。ただ、動く理由を失っている。
「東京、もう終わってる」
「大阪城、やばいやつらの集まりになってるって」
「自衛隊が出てくるんちゃう」
「帰る?」
「どこに」
座り込んだ人たちの目は、どこも見ていないようだった。
駅の大型ビジョンは、ニュースを流している。
同じ映像が繰り返される。
終末宣言から四日。専門家のコメント、曖昧なグラフ。画面一杯で声高に演説する男。
その前で立ち止まる人は少ない。もうみんなわかっている。
横断歩道では、人が渡る。
信号は守られている。奇妙なほどに。赤で止まり、青で進む。ルールは残っている。
だがその意味なんて、もうないのだとみんな気づきながら、しがみついている。そんな気がした。
自分の店が見えると、それがまだいつもの見慣れたものだったので、ホッとした。
辺りは静かだ。そう荒れてもいない。
明日奈は、シャッターを半分開け、中に入った。
店でジャケットをとり、羽織ってみる。左のフロントに大きな刺繍のある黒のエンブロイダリ―ジャケット。これを着て走り回った日々を思い出す。
その時——
店のシャッターをガンガンとなぐる音が響いた。
はっとして外を見ると、白い上着をはおった一団の男たちが見えた。
「もしも~し、ここまだ開いてますか?」
その中の一人が、シャッターの下にしゃがみ込んだ。異様に大きく折れた鷲鼻が目につく。
気づくと、別の男が二人、もう店に入ってきている。
「すみませんが、店、今日はやってないんです——」
明日奈の言葉など、男たちは聞いていなかった。
「あ、大丈夫。見つかったから」
鼻の男が二人に目配せをした。
すると、いきなり二人は明日奈に近寄り、彼女を羽交い絞めにした。
悲鳴をあげようとする明日奈の口を、後ろから男がタオルでふさぐ。
「静かにしててね。今からちょっといいとこ行こうか。うちのボスがさ、飲み相手探してんだよね」
そういうと、明日奈は店の外へ引きずり出された。外には、黒のワンボックスカーが横付けされている。
車に押し入れられると、車は勢いよく発進した。
恐怖の中、男たちが身に着けている白い上着に見覚えがあった。
終末宣言以降、毎日のように駅前で演説をやっているSCだ。
「現代のシェパーズ・クレード」、通称SC。テレビやネットでも、動画が繰り返し流れるようになった。
SCという組織は、以前からあったそうだが、終末宣言以降、急にメディアへの露出が増えた。
代表といわれる男が、「この世の終わりを心静かにむかえましょう」と、もっともらしく唱えていることぐらいは知っていた。さっきも駅前のビジョンで見た。SNSでは、若者を中心に爆発的な盛り上がりを見せているという話もきいた。
そんな集団が、なんで……
車が大きく曲がる。肩が窓にぶつかった。息ができない。心臓だけが、壊れたみたいに速く鳴っている。
どうして。
なんで、わたしが。
その答えは、誰も教えてくれなかった。




