第95話 届かなかった一人
二枚目の札は、前日の夕方に作り直していた。
最初の案は、『土を握って固まれば水が多い、崩れれば少ない』。けれどミナが試すと、土の種類によって同じ水分でも固まり方が違った。そこで、『その畑の見本と比べる』へ変更した。
エメリク校長と僕たち、もう一人の教師はその相談にいた。植物担当の教師だけは、校庭に残って子どもの迎えをしていた。
「後で私が伝えます、と言いました」
校長が額へ手を当てた。
伝えるつもりはあった。夕方、保護者から別の相談を受け、校長室へ戻った時には次の仕事へ移っていた。教師は翌朝、古い内容のまま校庭で待った。
「僕も、札を渡したので皆が知っていると思っていました」
作った人、伝える人、受け取る人。三人の間で、最後の一人だけが抜けた。
リゼは、魔道具の修理依頼でも同じだと言った。受付が聞き、工房へ紙を置き、担当が受け取ったと思う。けれど作業前に実物と依頼を指ささなければ、古い部品で修理を始めることがある。
学校だけの特別な問題ではなかった。教師も職人も、仕事の境目で同じように伝言を落とす。
僕は灯り木魔道具社でも、朝の予定板に『今日の場所』『使う資料』『安全上の変更』の三欄を試すことにした。教えるつもりで来た学校から、会社の手順を持ち帰ることになった。
「では、私のせいで授業が止まったのですね」
教師は肩を落とした。
「来る場所を知らなかったのは、先生のせいではありません。連絡を受け取ったか確かめる所がありませんでした」
校長が一斉に伝えるだけでは、誰が受け取ったか分からない。全員へ同じ紙を配っても、休みの人は見ない。
前日の伝言を順番にたどった。
校長は職員室で二人へ話した。一人はその場で聞き、もう一人は校庭にいた。聞いた教師は、『校長が後で本人へ伝える』と思った。ミナは新しい札を三組分ずつ教師の机へ置いたが、植物担当の机がどれか知らず、空いていた棚へまとめた。
誰も、『自分が最後まで届ける』とは思っていない。それでも皆、誰かが届けると思っていた。
「伝言を受けた人が、次の人へ渡す方式をやめましょう」
人を何人も通すほど、途中の一人が忙しいだけで切れる。変更した本人が共通欄へ置き、使う人が自分で確認する。受け取った印まで付ける。
ただし、印を押さなかった人を追いかけ続ける役も必要になる。そこで授業前の一分確認を、最後の受け取り場所にした。
「昨夜見ていなくても、朝ここで分かれば授業には間に合います」
完璧に全員へ即時連絡する仕組みではない。必要な時刻までに、最後の抜けを見つける仕組みだった。
僕たちは教師三人の予定板を見た。
それぞれ自分の授業は細かく書いている。だが、三人共通の変更欄がない。職員室の黒板に書く案は、校庭にいる人が見ない。伝書札を机へ置く案は、机へ戻らない日がある。
「授業の直前に、三枚を一緒に指しませんか」
僕は手順札を机へ並べた。
授業場所。今日使う札。大人が必要な場所。
朝の鐘の前、担当する教師が一分だけ集まり、指で示す。来ていない人がいれば、その時に分かる。変更がなければ、『昨日と同じ』ではなく、同じ札を指す。
「毎朝会議をするのですか」
「一分で終わらなければ、項目を増やしすぎです。話し合いが必要なことは放課後へ分けます」
試しに、僕が関係のない話を混ぜた。
「来月の収穫見学についてですが」
エメリク校長がすぐ、『放課後札』を机へ置いた。今決めない話を忘れないための札だ。一分確認を長い会議にしない一方、出た話を捨てない。
もう一人の教師は、今日休む子の名前を読み上げようとした。安全に関係する子だけは共有し、単なる欠席人数は出席簿へ任せることにした。
三日試すと、確認は最初の三分から、一分半へ縮まった。速さを競ったのではない。同じ三つを同じ順番で指すため、説明が要らなくなった。
一度、全員が『昨日と同じ』と言って終えかけた日があった。テオが窓から雨を指した。
畑はぬかるみ、水魔法の札を使えない。場所を教室へ替え、土の見本瓶だけで観察する授業にした。変更がなくても現地条件は変わるので、天気を見る印も場所札へ加えた。
翌朝、実際に試した。
場所は畑。今日の札は、土、水、片づけ。水の魔法だけは大人と一緒。三人が順に指す。
植物担当の教師が、『土の見本はどこですか』と尋ねた。見本瓶を学校へ置いたままだった。
前日なら、畑へ着いてから気づいたことだ。開始前に一分集まっただけで、教師は瓶を取りに戻れた。
「指すだけで、質問が出るんですね」
「分かったつもりでも、実物を見ると空白が見えます」
その日の授業は、六組全てが水の札まで進んだ。
一杯分の水を出す生活魔法を使う。魔力が強い子は、勢いよく出しすぎて土をえぐりそうになる。木の板へ一度受け、板の溝から畝へゆっくり流すようにした。
魔力が弱いテオは、手のひらに小さな水滴しか作れなかった。
「一杯になりません」
「一人一杯ではなく、組で一杯です」
六人の水を一つの桶へ集める。テオの水滴も、その中へ入った。足りない分は教師が足す。畑へ必要なのは、誰が一人で一杯出したかではなく、決めた量の水が届くことだった。
授業の最後に、道具を数えた。
小鍬十二。木札十五。水桶四。見本瓶一。手順札十八。
テオは、三枚目の後に片づけの絵がないことへ気づいた。
「灯りの授業には、最後に棚へ戻す札がありました。畑は、水をやったら終わりですか」
教師たちは顔を見合わせた。
道具を戻すことも、井戸の蓋を閉めることも、授業計画には書かれていた。ただ、子どもが見る三枚からは抜けていた。
一番苦手だったテオが、皆より先に手順の抜けを見つけた。




