第92話 貸す土地、残す境界
学校から僕の小屋までは、子どもの足で半刻ほどだった。
会社の小屋の横には、麦穂村でもらった土地がある。家、家庭菜園、道具置き場。その西側に、まだ何も植えていない細長い空き地が残っていた。
「ここなら三十八人分の畝を作れます」
エメリク校長は、空き地の端から端まで大股で測った。
「学校へ譲っていただけませんか」
僕は返事をする前に、家庭菜園を見た。
最初にもらった土地だ。報酬として受け取り、休みの日に野菜を育て、リゼと夕食の話をした場所。空いているからといって、使い道がないわけではない。
空き地には、僕がいつか果樹を増やそうと思って立てた細い棒が二本あった。具体的な日付も苗も決めていない。それでも、何も置いていない土地と、何も考えていない土地は違う。
学校へ貸せば、平日の昼には子どもたちが来る。静かに本を読みたい日、会社から家へ戻って休みたい日、畑の声が聞こえる。授業が終わった後の片づけを、誰かが忘れることもあるだろう。
子どもの学びに役立つという理由だけで、そうした変化まで見ないふりをしたくなかった。
「週に何回、何時から使いますか」
「今の予定では週二回です。ただ、育ち具合によって観察日を増やしたい」
「休日にも来ますか」
「芽が出たら、見たい子は来るでしょう」
エメリク校長は、質問されて初めて、土地以外に借りる物があると気づいた。時間、井戸、家の周りの静けさ。僕も聞いて初めて、自分が守りたい範囲を知った。
「譲るのではなく、授業の期間だけ貸すなら考えられます」
自分の口からその言葉が出て、少し安心した。
「もちろんです。春の授業が終わるまでで」
「正式な返事は、使い方を書いてからにします。今日は候補地として見てください」
校長は一瞬急ぎたそうにしたが、うなずいた。子どもたちへ『ここが学校の畑になる』ではなく、『借りられるか相談する土地』と伝え直す。
僕は、期待させてから断るのが苦手だった。だから先にいいと言ってしまう。でも、相談中だと正直に伝えることは、期待を裏切ることではない。
校長はすぐにうなずいた。
ミナは、薬房でセラから学んだ植物の手入れを授業へ使えると言った。薬草だけでなく、食べられる葉、触ってはいけない草、水が多すぎる時の見分け方。生活魔法を小さな畑で試せる。
「私が先生をしてもいいんでしょうか」
「薬師見習いだから、教えられることがあります。知らないことは、知らないと言えばいいです」
万能な先生を一人探すより、知っている人が一時間ずつ持ち寄る。学校の手紙に書かれていた子どもたちの願いにも近かった。
ミナは畑の授業を三つに分けた。
最初は、植物を勝手に口へ入れない。次に、土の乾き方を見る。最後に、少量の水を出す生活魔法を使う。
「薬草の名前を十個覚える授業は?」
エメリク校長が尋ねる。
「それは、三つができた後です。私も一つにします」
授業で使う苗も、薬房から無料でもらうのではなく、学校の教材費で買うことにした。セラは子どものためなら寄付すると言ったが、毎年続けるなら苗代がどこから出るか分かるほうがよい。
ただし、育ちすぎて売れない小さな苗は、薬房から練習用として分けてもらう。その数と通常価格を記録し、学校が翌年必要な予算を計算できるようにする。
「善意で始めると、善意が切れた年に授業も消えますから」
ミナが言った。薬房で、患者家族の宿代を誰が払うか曖昧だった経験を覚えている。
エメリク校長は教材費の帳面を開き、苗、土、道具の三行を新しく作った。畑はまだないのに、続けるための場所は先にできた。
校長は少し残念そうだったが、百項目の巻紙を思い出してうなずいた。
子どもたちと土地を見に来た。
テオは家庭菜園と空き地の間へ立ち、地面にある古い境界石を見つけた。石は草に半分隠れている。
「こっちから学校ですか」
「まだ、どこまで貸すか決めていません」
僕が答えると、子どもたちは空き地を走り回り始めた。畝の場所、道の場所、水桶の場所。学校の畑だと聞いただけで、もう自分たちの場所になったように考えている。
一人が家庭菜園の端にある若い果樹を指した。
別の子は井戸の滑車へぶら下がろうとした。リゼがすぐ止め、井戸は授業の道具ではなく暮らしの設備だと説明する。
「学校の畑になったら、何でも学校の物ですか」
子どもから質問が出た。
「借りる場所だけです。家も井戸も、シュウさんたちの物。畑も、決めた時間に使います」
ミナが答えた。
子どもたちは地面へ一本の縄を置き、どちら側なら走ってよいか試した。説明を聞くだけより、境界が見えると動きが変わる。果樹の前には自然に立ち止まり、空き地の中で畝を相談し始めた。
「これは授業で使っていい?」
僕は、いいですよ、と言いかけた。
果樹はリゼと植えたものだった。まだ実はならない。枝を観察する授業には向いているが、三十八人が触れば折れるかもしれない。
「見るだけなら。触る授業は、空き地へ植える別の苗にしましょう」
断るのではなく、できる範囲を伝えた。
「水は、うちの井戸から使えます。ただし生活用が先。授業は午前の二刻までなら」
「道具小屋は?」
「学校用の箱を外へ作ります。僕の仕事道具がある小屋へは入りません」
言葉にするたび、貸す土地の形が見えてきた。
その日のうちに、子どもたちは落ち葉を集め、ミナと土を柔らかくした。魔法は使わず、まず手で湿り気を確かめる。乾いた場所と濡れた場所へ違う色の棒を立てた。
テオは、皆が帰った後も道具を数えた。小鍬が十二、木札が十五、水桶が四。借りた数を入口の板へ書く。
「片づけ担当になりたい?」
「僕は灯りより、こっちが得意だから」
「得意なことをしながら、灯りも少しずつでいいと思います」
彼はうなずき、最後の小鍬を箱へ入れた。
夕方、僕は土地を貸す話をリゼへ伝えようと家へ戻った。
彼女はすでに聞いていたらしい。
玄関の前で、何も言わず、白紙の契約書を両手に持って立っていた。




