第63話 止めずに乗ってみる
ボルクは三台を呼び戻そうと鐘へ手を伸ばした。
「待ってください。危険な道ですか」
「いや。北へ一刻行けば、東西南の分かれ道がある。遠回りだが行ける」
「荷物の期限は?」
どれも今日中。遠回りしても、夕方には着く。
「なら、止めずに一緒に乗りませんか」
「本当にいいのか。客へ怒られるぞ」
「到着が遅れる見込みを、先に伝えられますか」
ボルクは組合の伝令を一人、東の近道へ走らせた。三か所の受取人へ、到着が夕方になると知らせる。
ただ観察のために客を黙って待たせない。影響を小さくしたうえで、普段の流れを見る。
「遅れた分の燃料は?」
「今日は調査費として組合が持つ」
ボルクが契約書へ追記した。僕たちの都合で止めなかった結果を、御者へ負担させない。
呼び戻せば、間違いは直る。ただ、なぜ三人とも同じ道を選んだかは見えなくなる。
僕は東行き、リゼは西行き、ミナは南行きの荷車へ乗った。ルカも組合の手伝いとして、ミナの車に同乗する。
「道を直さなくていいんですか」
東行きの御者が僕へ聞く。
「目的地へ着ける範囲なら、今日は普段どおりお願いします」
「変わった調査だな」
御者は肩をすくめた。
北の古道は、森の外を大きく回る。新しい街道より平らで、重い荷物には走りやすい。御者は迷ったのではなく、意図して選んでいた。
荷車には麦袋が二十個積まれていた。東の近道は坂が急で、距離は短いが馬へ負担がかかる。北道なら一刻長い代わり、休憩を一度減らせる。
「受付では、東へ行けと言われました」
「東に着く。道まで指定されたとは思わなかった」
御者の判断にも理由があった。僕が地図だけ見て近道へ戻せば、馬が疲れ、荷物を分ける必要が出たかもしれない。
「普段は、荷物の重さで道を変えますか」
「重いと北、壊れやすい物は南の石道、急ぎは東坂」
受付の地図には、その使い分けがない。御者の頭の中だけにある道の知識だった。
僕は行き先だけでなく、荷物によって選ぶ道も聞いた。全部を規則にするのではなく、新人が迷ったとき聞ける目安にするためだ。
「東の麦倉へは、北道が近いんですか」
「麦倉? 俺の行き先は朝鐘だ」
荷札を見る。宛先には『東部第一麦倉』。その下の経由地に『朝鐘の分岐』とある。
「朝鐘は、場所の名前ですか」
「昔、朝だけ鳴る鐘があった村だ。今は鐘も村もないが、皆そう呼ぶ」
「鐘がないのに、初めての御者はどう見つけます?」
「大きな二股杉がある。そこで右」
「地図には?」
「杉なんて、役所の地図には書かんだろ」
正式地図は、道幅、距離、村境を正確に示す。現場の御者は、杉、曲がった岩、匂いの強い花畑で曲がる。どちらか一方では足りない。
二股杉の根元には、古い鐘の台座が残っていた。通称の由来と今の目印を一緒に書けば、新人にもつながる。
正式な地図では、朝鐘の分岐は『北東第三分岐』。御者は経由地の大きな字を行き先だと思い、まず北道へ向かった。
「麦倉は何と呼びますか」
「麦の丘。東部第一なんて言うのは役所だけだ」
荷札には正式名、御者の頭には通称。どちらも同じ場所を指すが、結びついていない。
分かれ道へ着くと、三台の御者が相談を始めた。
リゼの西行き荷車は、石切りという通称を使っていた。ただし御者は『赤煙』を別の町だと思っていた。工房の煙が風向きで北から見えない日は、石切りと赤煙が同じ場所だと気づきにくい。
ミナの南行き荷車では、『月道』が宿場町全体ではなく、古い荷ほどき場だけを指す御者もいた。ルカは、薬房で月道と言えば道の縁亭周辺だと教わっている。
一つの通称にも、人ごとに指す範囲が違った。
僕たちは各車で、『最後にどこを見れば着いたと分かるか』を聞くことにした。町名の意味が少し違っても、受取人の建物や目印まで一致すれば、荷物は届く。
「朝鐘はこっちだ」
「いや、俺は石切りへ行く」
「南宿場は月道だろ」
正式な宛先を口にする人はいない。石切りは西工房のある町、月道は宿場町の古い呼び名だった。
僕たちは三台を、それぞれの通称に合わせて分けた。間違いではなく、最初の道だけ全員が同じだったため、到着が少し遅れる。
御者は道中、荷札をほとんど見なかった。出発前に受付が読み上げ、頭へ入れ、馴染みの目印で走る。
「荷札は何のために?」
「受け取る人へ渡すため。俺たちが読むと、役所の言葉ばかりで迷う」
御者は自分用の小さな板を見せた。道の分岐を線で描き、荷物の特徴を絵にしている。文字はほとんどない。
「この袋の絵は麦ですか」
「麦の丘。袋の横の丸が風車だ」
僕には丸が太陽に見えたが、本人には十分通じる。
「その板を受付へ見せますか」
「見せない。字が下手だと笑われる」
役立つ情報が、恥ずかしさで個人の手元へ隠れていた。ミナの覚え書きと同じだ。
帰ったら、御者自身の地図を否定せず、正式地図へ必要な目印だけ写させてもらうことにした。
紙は荷物と一緒に届くが、運ぶ人の道しるべにはなっていなかった。
夕方、三台とも目的地へ着いた。僕たちは受取人に、普段その場所を何と呼ぶか聞いた。
東の麦倉では、伝令が先に着いていたため、受取人は怒らず待っていた。むしろ、北道を選んだことで馬が元気なまま到着し、荷下ろしが早かったという。
西の工房では、到着は遅れたが昼休みに重なり、職人が全員で荷を下ろせた。南の宿場では、夕方の受取時刻にちょうど合った。
遠回りが全て損だったわけではない。ただ、偶然うまくいったことと、予定どおり運べたことは分ける必要がある。
御者たちは帰り道に、自分が何を見て道を選んだか話してくれた。坂、馬の体調、荷物の重さ、受取時刻。受付へ伝わっていない判断が、紙一枚分以上あった。
東部第一麦倉は、麦の丘、古倉、マルクの倉と三つの名がある。西工房町は、石切り、赤煙、職人町。南宿場は、月道、五宿、古温泉。
帰りに組合へ集まると、リゼとミナの紙にも別の呼び名が並んでいた。
「同じ町なのに、御者ごとに名前が違います」
「誰かが間違っているのではない」
リゼの紙には、赤煙の横に『曇りの日は見えない』。ミナの紙には、月道の横へ三つの範囲。僕の紙には二股杉と鐘の台座。
「全部地図へ入れたら、読めなくなりませんか」
ミナが聞く。
「全御者の情報を一枚にするのではなく、荷札で最後に必要な目印を一つ選びましょう」
地図は詳しい資料、荷札は今日動くための案内。役割を分けることにした。
ミナが言う。
ボルクは壁の地図を見た。そこには、正式名しか書かれていなかった。




