第23話 まだ使える道具
ひびの原因は、すぐに分かった。
導管の奥を測るため、水晶の先端を差し込んだとき、熱の残った金具へ触れたらしい。誰かが乱暴に扱ったわけではない。僕も横で見ていたが、音さえしなかった。
「使ったのは私よ」
リゼが言った。
「運んできたのは僕です」
「それは関係ない」
「掃除を提案したのも僕です」
「もっと関係ないわ」
貸出票をたどると、道具を会社から受け取ったのは僕、箱から出したのはリゼ、導管のそばで支えたのはフィン、最後に布で拭いたのは炉番だった。全員が普通に仕事をした結果、いつの間にか一本のひびが入った。
「フィンがぶつけたのかもしれません」
青年自身が申し出た。
「ぶつけた感触は?」
「ありません。でも、支えていました」
「それだけでは、原因とは言えないわ」
リゼは皆の前で、貸出票へ『原因不明、通常作業中』と書いた。誰か一人の名前を置けば話は早いが、早く決めることと正しく決めることは違う。
「責められないのか」
フィンが尋ねる。
「わざとでも、決めた扱い方を無視したわけでもない。次に割れない持ち方を考える。それで十分よ」
フィンは何度も頷いた。困った札を置いても責めないという約束が、道具の傷にも広がっていた。
ガント親方は、水晶を窓の光へかざした。細いひびは、角度を変えなければ見えない。
「弁償する」
「いくらか知っていますか」
リゼが値段を告げると、工房が静かになった。昨日完成した品を全部売っても届かない額だった。ラウム王国で水晶測定具を作れる工房は少なく、細い魔力の揺れを読む加工には時間がかかる。
「払う。ただ、待ってくれ」
親方はそう言ったが、すでに僕への報酬さえ納品後だ。ここで道具代まで背負わせれば、工房を立て直すために来たのか、借金を増やしに来たのか分からなくなる。
リゼは測定具をもう一度、炉の導管へ当てた。
「読み取りはできる。ひびが広がらなければ、精度も落ちていない」
「では、まだ使えますね」
「使えることと、壊れていないことは違う」
「でも、今すぐ買い替えなくてもいい」
僕は貸出票へ、ひびの位置と日時を書いた。工房でできた傷であることは隠さない。そのうえで、灯り木へ持ち帰らず、ここへ置いていく提案をした。
「どういう意味だ」
ガント親方が眉を寄せる。
「炉の点検で使う道具です。次の保守日にも必要になります。持ち帰って棚へ置くより、ここで使ってください」
「借りた物だろう」
「会社には僕から相談します」
「相談ではなく、あなたが弁償するつもりでしょう」
リゼが低い声で言った。
図星だった。
僕の頭の中には、すでに計算ができていた。灯り木でもらう月の手当から生活費を引き、残りを何か月積めば買えるか。麦穂村で減った銀貨を思うと少し長い。それでも、分割してもらえば払えなくはない。
払えなくはない、という言葉は危険だった。
前の世界でも、終業後に「少しだけ」と頼まれると、帰れなくはないと答えた。休日に連絡が来れば、対応できなくはないと思った。体力も時間も、完全に尽きるまでは余っているものとして扱っていた。
けれど、余っているのではない。休むため、暮らすため、誰かと食事をするために残していたものだ。
「高いとは思っています」
僕が言うと、リゼは少しだけ声を和らげた。
「高いか安いかだけじゃない。あなたが払えば、一番話が早いからそうしたいのでしょう」
「……はい」
「早く終わる話が、よい終わり方とは限らない」
その言葉は、工房の途中品にも、自分の癖にも当てはまっていた。
前の世界でも、貸与品を壊したときの規則は会社ごとに違った。通常の作業で消耗したなら会社負担になることも多い。けれど僕は、この世界の決まりをまだ知らない。分からないなら、まず自分で補えば誰も困らない、と考えてしまった。
「僕にも運んだ責任がありますし」
「責任を細かく刻んで、全部自分の皿へ載せないで」
「親方に払ってもらうと、職人さんたちの給金が遅れます」
「だから会社へ話すの。事故なのか、消耗なのか、扱い方に問題があったのかを確認する。あなた一人で結論を出す話じゃない」
ガント親方も首を横に振った。
「置いていくなら預かる。だが、ただでもらう気はない」
「では、直せるか見てください。修理できたら、それを返してください」
「直らなければ?」
「そのとき相談しましょう」
また相談という言葉へ逃げた気はしたが、親方はようやく頷いた。
リゼはさらに、次の点検までの扱い方を決めた。水晶へ急な熱を当てない。導管へ差す前に、金具の温度を手前の石で測る。使う人は二人で支え、終わったらひびの端に付けた印が伸びていないか確かめる。
「壊れた道具を使わせるのは危なくないですか」
僕が尋ねると、彼女は頷いた。
「だから、読み取り以外には使わない。力をかけない。少しでもひびが伸びたら止める。使えるという判断にも条件が要るの」
ただ「まだ使える」で済ませようとした僕より、ずっと道具と人を大切にしている。
ガント親方は、測定具専用の木箱をその場で作り始めた。柔らかな布を敷き、蓋へ赤い印を付ける。壊したことを隠すのではなく、次に同じことが起きにくい形へ変えていた。
測定具は赤炉工房へ残した。貸出票には、僕、リゼ、ガント親方の三人が印を押す。
帰り道、リゼは一言も話さなかった。
灯り木魔道具社へ戻るなり、彼女は扉を開けて言った。
「社長。シュウの契約、全部見直します」
バルド社長が、飲みかけの茶を静かに置いた。




