第五話 『すべての発端』
「まあ、細かいことは一旦置いておこう。それより先に、兄ちゃんにちゃんと説明してくれ。どうしてこうなった? なんで普通に暮らしていたはずの妹が、いつの間にか議員に立候補するなんて話になってるんだよ」
まず、物事の全貌を把握するためには、その動機を知る必要がある。
そう考えた俺は、話の始まりから順に聞いていくことにした。
「……そ、その……こういう経験があれば、将来高校を受験するときに少しは有利になるかなって思っただけなんだよ……」
ああ、そういうことか。
玲が言っているのは、教育改革後のあの制度のことだ。
進学では今までみたいに成績だけを見るんじゃなくて、ボランティア活動や学校の役職、部活動みたいな課外活動の経験も加点要素として評価される、というやつ。
ようやく話が繋がった。玲の話を聞き終えて、俺はだいたい事情を理解した。
「ああ、そういうことか。分かった」
「えっ? 理解してくれたの?お兄ちゃん、今回は珍しく話が早いね。絶対また説教されると思ってたんだけど……」
「確かに理解したよ。お前がどれだけ馬鹿なのか、よく分かった」
……信じられない。
こいつの頭の中は一体どうなっているんだ?
普通とは違う発想を持っているのはもう分かった。
だが、いくらなんでも常識から外れすぎじゃないか?
まさか、こいつと俺の間に同じ血が流れているなんて。
本当に兄妹なのか?
……もしかして、幼い頃に病院で取り違えられていたりしないだろうな。
父さんは確かに少し変わったところのある人だった。
それでも、さすがに常識から外れた人物というわけではない。
母さんが生きていた頃だって、少なくとも頭の回転が悪いような人には見えなかった。
……なのに、どうして俺の妹だけこうなったんだ?
それにしても、一体誰に似たらこんな性格になるんだ?
俺の知る限り、こんな奴は家族の中に一人もいなかったはずなんだが。
「……ひどい言い方だよ。お兄ちゃんがいつもそうやって馬鹿馬鹿って言うから、本当に私がどんどん馬鹿になっていったらどうするの?」
俺に責められて、玲はまた可哀想そうな顔を作った。
「そりゃ怒るに決まってるだろ! 政治家を選ぶことと、クラス委員を決めることを一緒にするなよ!」
「だ、だって……教育改革後の高校受験では、『特別な経験が評価される』って書いてあったんだもん。だから私、それなら……って思って……」
「じゃあ聞くけどさ。そんな特別な経験で、一体何点くらい加算されると思ってるんだ?二百点くらいか?」
突っ込みたいところが多すぎる。
どれだけ俺がツッコミを得意としていても、玲みたいなのが一日中ボケを繰り出してきたら、さすがに処理しきれない。
というか、こいつの場合はボケている自覚すらないのが一番厄介だ。
「だって……将来、いい高校に進学して、兄ちゃんや父さんに『よくやった』って思ってもらいたかったんだもん。」
玲は今にも泣き出しそうな目で、ぷくっと頬を膨らませながら、拗ねたようにそう訴えた。
……なんというか。
そんな心温まる理由を聞いてしまったら、いくら俺が鬼だとしても、これ以上むすっとした顔で説教を続けるなんて無理だった。
「分かったよ。とりあえず、その気持ちだけは褒めてやる」
「えへへ、ありがと、お兄ちゃん。やっぱり私、すごいんだね!」
「ちっ、その間抜けな笑顔をやめろ。それ以上調子に乗るなよ」
「ごめんなさい。お兄様」
動機については、まあ……大体こんなところだろう。
これ以上、特に言うこともなさそうだ。
そして次に重要なのは、これからどうするべきかということだ。
もう当選してしまった以上、今さら無かったことにするわけにもいかない。
俺としては納得しているわけではないが、それでも少しでも議員らしく務めを果たせるよう、考えなければならなかった。
少なくとも任期の間だけは、彼女を選んでくれた人たちの期待を裏切るような結果にはしたくない。
とはいえ、そもそも彼らが何を期待して彼女に票を投じたのか、俺には分からないのだが。
「……もう今さらなのは分かってるけど。玲、お前は一応聞いておく。国会議員っていう仕事が、具体的に何をするものなのか……ちゃんと理解してるか?」
「全然知らないよ」
「そんな爽やかな笑顔で言うことじゃないだろ!」
その後の時間は、玲がこの仕事について何も理解していなかったため、俺が一から説明することになった。
自分が今どのような立場にいるのか。
そして、これから何をしなければならないのか。
そして、何を隠そう玲は根っからの天然馬鹿だった。
政治から法律、さらには外交に至るまで、一通り理解できるところまで説明するのに、俺は結局一時間半近くも費やすことになった。
「……本当に……? そんなに大事な仕事を……私みたいな人間に……」
ようやく事態の深刻さを理解したらしい。
玲は目を大きく見開いたまま、呆然と固まっていた。
いつもの能天気な表情は消え去り、完全に頭が真っ白になっているようだった。
そう、俺がこの職務で求められることを一つ一つ説明していくうちに。
普段は危機感というものを全く持ち合わせていないあの馬鹿な妹でさえ、さすがに状況の不味さを感じ取ったらしい。
ようやく、この子から普通の人間らしい反応が返ってきた。
それだけで俺は、少し安心した。
「どうしよう……毎日こんなに時間を使って、こんなことをしていたら。どうやって普通の生活を続ければいいの?」
「たぶん、俺たちはもう普通ではいられないと思う。学校のほうも、しばらく休みを取る必要があるかもしれないな」
「え? じゃあこれから、友達やクラスメイトにも会えなくなるってこと?」
「まあ、そうなるな。あいつらと会う時間は、今までより少なくなると思う」
「嫌だ嫌だ嫌だ!だったら私、議員なんてやりたくない!」
「おい!休日の時はあんなに偉そうに『私は議員様なんだから!』とか言って、あれだけ調子に乗ってただろ?それなのに、もう諦めるのかよ?」
「だって、こんなことになるなんて思わなかったんだもん!だったら最初から止めてくれればよかったじゃん!全部、兄ちゃんのせいだからね!」
玲は、自分が深く考えずにした決断が、これからの生活にどれほどの変化をもたらすのかをようやく理解した。
どうしていいのか分からず戸惑う一方で、その責任を俺に押し付けようと、わがままに不満をぶつけてきた。
俺の立場からすれば、正直なところ理不尽に感じるだけだった。
それでも、まあ……彼女の気持ちを考えれば、多少は受け止めることもできた。
とはいえ、まだ幼いと言える年頃なのだ。
今まで当たり前だった日常や、慣れ親しんだ環境から離れることになるのだから、不安や寂しさを覚えるのも当然のことだった。




