第四十四話 『能力は高くても、空気が読めないのはダメ』
この人、家を出る前にスーツを着るという選択肢はなかったのか?
いや、別にスーツじゃなくてもいい。シャツだって悪くない。
それも嫌なら、普通のTシャツにジーンズでもよかっただろう?
……どうして数ある選択肢の中から、玲の写真がプリントされたTシャツを選んだんだよ。
「……えっと、一応、その服装について少し聞いてもいいですか?」
「はい! 大好きな玲華議員を応援するために、特別に自作したんです! この写真は以前、テレビ番組に出演したときのものなんですが、すごく可愛いでしょう!」
「なるほど、自作なんですね。応援してくれている気持ちは嬉しいんですけど、面接のときにこれを着るのは、ちょっと……」
俺は本当なら、「その服装、面接には少し場違いじゃないですか?」と遠回しに伝えるつもりだった。
しかし、どうやら相手は俺がこのTシャツに興味を持ったのだと勘違いしたらしい。
嬉しそうに服を引っ張って写真を見せながら、熱心に説明を始めた。
俺の隣に座っていた玲は、何とも言えない複雑な表情で、彼が着ているそのTシャツを見つめていた。
ちなみに、その写真は玲が初めてテレビ局で演説したときのものだ。
しかも、ただ写真をプリントしただけではない。
この男、わざわざ漫画風の吹き出しまで追加して、その中には玲の決め台詞まで入れている。
……妙なところで仕事が細かいな。
「うわああ……玲華議員本人が俺と話してる! めちゃくちゃ嬉しい!」
「あはは……ありがとうございます。これからも応援してくださいね」
あまりにもテンションの高い面接者を前に、玲は営業スマイルを浮かべて握手し、律儀にお礼を述べた。
アイドルの応援Tシャツを着たファンと握手する議員。
……いや、これもう面接じゃなくて握手会だろ。
少なくとも、俺には完全にアイドルの握手会にしか見えなかった。
「うう……感動しました! まさか本当に推しと握手できるなんて……! 俺、この手は一生洗いません!」
「……あの、個人の衛生のためにも、手はちゃんと洗ったほうがいいと思いますよ?」
涙をボロボロと流しながら、Tシャツに描かれた玲の本人と握手を交わす男。
そして彼は、この歴史的な瞬間を永遠に残すため、この先一生その手を洗わないという、とんでもない決意を固めていた。
対する玲は、少し困ったような表情を浮かべながら、まるで子供に言い聞かせるように手洗いの重要性を説いていた。
その後は、通常の面接と同じように、いくつか簡単な質問を交わした。
最後に、今日は面接に来てくれたことへの感謝を丁寧に伝え、彼を見送った。
次の面接者が入ってくるまでのわずかな時間、俺と玲は先ほどの面接者について話し合っていた。
「仕事の能力はかなり高い人材だったな。でも、さっきの人とはまた違った意味で、厄介な人ではあるな」
「そうだね。私のファンの中にも、ちゃんと仕事のできる人っているんだね。でも……なんだか、どこか違和感があるんだよね」
「まあ、服のセンスはかなり微妙だったけどな」
「うん……あれはちょっと微妙だったね……って、ちょっと待って! あのTシャツにプリントされてたの、私の写真だよね!? それじゃ私までセンスが悪いって言われてるみたいじゃん!」
玲はそんなふうに文句を言っていた。
まあ、冷静に考えれば、あのTシャツのデザインそのものは、そこまで悪くないのかもしれない。
漫画風の吹き出しに決め台詞を入れるというアイデアも、なかなか凝っている。二次元的な雰囲気もあるし、アイドルの応援グッズとして考えれば、むしろ完成度は高い。
ただし。
俺は兄だ。
そんな俺の目の前で、見知らぬ男が実の妹の写真をプリントした服を着ている。
……やっぱり、どうしても複雑な気分になる。
「いや、玲のセンスを悪く言ったわけじゃない。あのTシャツのデザインの話だ」
「本当?」
「本当だって。むしろ写真そのものは可愛いと思うぞ」
「……そ、そう? ならいいけど」
俺の言葉を聞いた玲は、少し嬉しそうに頷いた。
ちょっと適当に宥めてやっただけで、すぐにニコニコしている。
……本当に、ちょろい妹だ。
それにしても、さっきの男はどうするべきだろう。
仕事の能力だけなら申し分ない。経歴も実績も悪くないし、コミュニケーション能力も高そうだった。
ただ、面接の場に推しの写真入りTシャツで現れるという一点だけで、妙な不安が残る。
「でも、あの仕事はできそうだったよね」
「まあな。だからこそ悩むんだよな」
「……じゃあ、二次面接に残す?」
「それは次の面接者を見てから決めよう。まだ始まったばかりだからな」
そう言って俺は、机の上に積まれた履歴書へ視線を戻した。
まだまだ面接は続く。
「失礼いたします。次の面接者です」
そう言って入ってきたのは、二十代後半くらいの女性だった。
淡い色のブラウスに膝丈のスカートという、派手すぎず地味すぎない落ち着いた服装。
髪もきちんと整えられていて、化粧も控えめだ。
少なくとも、さっきの玲の写真入りTシャツとは比べものにならない。
彼女は部屋に入ると、まず俺たち二人に丁寧に一礼した。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
「はい、こちらこそ。どうぞお座りください」
「失礼いたします」
促されるまま椅子に腰を下ろす。
背筋はまっすぐで、姿勢もいい。声の大きさも丁度よく、視線の合わせ方にも変なところはない。
……うん。
今のところ、かなり普通だ。
いや、普通というのは、この面接においてはむしろ貴重なことなのかもしれない。
俺は隣に座る玲と一瞬だけ目を合わせた。
玲も同じことを思ったのか、ほんの少しだけ頷いた。
「それでは、まず簡単に自己紹介をお願いできますか?」
「はい」
彼女は小さく息を整えると、落ち着いた口調で話し始めた。




