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第四十三話 『彼女にだって、許せないことはある』

 世界中を見渡してみれば、権力を持つ政治家が裏で汚職に手を染め、権力を盾に違法な商売へ手を出し、企業に都合のいい政策を推し進めて政官財の癒着を生み、裏金やリベートを受け取り、予算を水増しして政府から不正に多額の補助金を引き出す――そんな話は、決して珍しいものではない。


 大人たちの汚れた世界では、こうしたことが当たり前のように繰り返されている。

 だからこそ俺は、そんなものに俺の大切な妹を染めさせないために、この秘書という役職を引き受けたのだ。


 ……やはり、ここは兄である俺が、この人にはお引き取りいただくとしよう。


「出ていけ」


 俺が口を開くよりも早く、玲がそう言った。

 その表情は、今まで見たことがないほど冷峻だった。

 冷え切った声が、熱のこもった男の演説を容赦なく遮る。


「……え? でも、まだ三分の一しか話してませんよ? もうちょっとだけ待ってください。ここからが一番の見せ場なんです……」


 玲に話を遮られた男は、さすがに面食らった様子を見せた。

 それでもなお話を続けようとするあたり、どうやら本人としては、自分の頭の中に描いた壮大な汚職帝国の全貌を、どうしても最後まで披露したいらしい。


「二度と言わせないで! 今すぐ! ここから出ていって!!」


 玲は立ち上がり、その男を指差しながら怒鳴った。

 その声は、まるで建物中に響き渡るのではないかと思うほどの大音量だった。

 生まれてこの方、玲がここまで怒っているところを見るのは初めてだった。


「う、うぅ……失礼しました、失礼しました……」


 玲に魂まで震え上がるような勢いで怒鳴られた男は、そう言い残すと慌ててドアを閉め、そのまま逃げるように去っていった。

 ……尻尾を巻いて逃げる、というのは、まさにこういうことを言うのだろう。


「……どうして、人の信頼を利用して、自分だけ利益を得ようとする人がいるんだろう」


 少し怒りが収まったのか、玲は再び椅子に腰を下ろし、小さく呟いた。


「そういう人間は、社会のどこにでもいるんだろうな。自分の利益のことしか考えず、平気で嘘をつき、人からの信頼さえ利用するための道具にする。自分自身の利益を最大化することしか考えていないような人間が。俺も、そういう人間はかなり嫌いだ」


「……さっき、あんなふうに怒鳴っちゃったけど、大丈夫かな。また私のイメージを悪くしちゃってない?でも、今回はどうしても我慢できなかったの。あの人、政治家っていう仕事を、まるで詐欺師の仕事みたいに言ってたでしょう?それが、本当に許せなかったの」


 次第に感情が落ち着いてくると、玲は先ほどの激怒が何か悪い影響を及ぼさないかと、少し心配そうな表情を浮かべた。

 確かに理由はどうあれ、あれほどの大声で怒鳴ったのだ。建物中の人間に聞かれていても不思議ではない。


「大丈夫だ。今回はよくやった。玲が怒鳴らなくても、俺があの人に言ってやるつもりだったからな」


 そう言って、俺は優しく玲の小さな頭を撫で、励ますように微笑んだ。

 玲はしばらく黙ったまま俺の手を受け入れていたが、やがて少しだけ頬を緩めた。


「……本当に?」

「ああ。本当だ」

「じゃあ、私、悪くない?」

「悪くない。むしろよくやった」

「えへへ……」


 そう言うと、玲は安心したように笑った。

 ……さっきまであんなに怒っていたとは思えないくらい、いつもの玲に戻っている。

 まあ、感情の切り替えが早いところは、いかにもいつもの楽天的な妹らしいところだな。


「よし! 次の人もちゃんと見よう!」

「切り替えが早すぎるだろ……」

「だって、まだいっぱい面接しないといけないんでしょ? いつまでも怒ってたら時間がもったいないじゃん」


 そう言って、玲は気合を入れるように小さく拳を握った。

 ……こういうところだけは、本当に頼もしいんだよな。


「こんにちは。次の面接者です」

「えっ……あ、どうぞどうぞ。座ってください。では、簡単に自己紹介をお願いします」


 次に入ってきたのは、玲の顔写真がこれでもかというほど大きくプリントされたTシャツを着た男だった。

 面接者というより、完全にファンだ。

 というか、これ本当に仕事を探しに来た人間なのか?


 この少しふくよかな二十代の男は、どうやら学歴も悪くないらしく、理系の出身だった。

 卒業後は専攻に近い分野の仕事に就き、給料もそれなりにいいらしい。

 仕事では複数のプロジェクトを担当し、いずれも問題なく成功させている。過去には小規模なチームのリーダーを任されたこともあり、管理職としての経験もある。


 趣味は写真撮影とライブ通い、いわゆる推し活。

 そして、その収入の大半をこの趣味につぎ込んでいるようだった。


 履歴書を見る限り、仕事そのものには特に問題はなさそうだった。

 むしろ、これまでの経歴だけを見れば、だぶん今回の応募者の中でもかなりまともな部類に入る。


 ……ただし。

 どうしても、あのTシャツが気になる。

 玲の写真が大きくプリントされたTシャツ。

 しかも、本人はそれを何の恥ずかしげもなく着こなしている。


「えーっと……趣味の欄に、写真撮影とライブ通いってありますけど」

「はい! 特に最近は玲華議員を追いかけるのが生きがいでして!」

「……そうですか」


 なるほど。

 この人、学歴や職歴だけを見ればかなり優秀なのに、どうやら別のところで大きな問題を抱えているらしい。

 羞恥心とか、服装における『T・P・O 』の原則とか……そういうところだ。

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