第二話 『登校』
大量の疑問を胸に抱えながら、俺はいつものように校門をくぐる。
――ただし、今日がいつもと同じ一日になるはずもなかった。
校門から教室へ向かう途中、俺の背後から何人もの話し声が聞こえてきた。
どうやら、もう噂が広まっているらしい。
ネット社会というのは本当に恐ろしい。情報が広まる速度が、あまりにも速すぎる。
頼むからやめてくれ……。
俺は普段、目立たないようにひっそりと暮らしているんだ。
「ほら来た。あれがあの議員の兄らしいぞ」
「李くん、聞いたよ。君の妹さん、国会議員に当選したんだってね。おめでとう、おめでとう」
「ずっと、君は無口で存在感の薄いタイプだと思ってたのにさ。まさか、ただ隠してただけの政治家一家の人間だったとはな」
「まさか、そんな大物の家族だったとは知らなかったよ。ちなみに……昔、君の机に悪ふざけで落書きした犯人、俺です。今さらだけど、本当にすまなかった」
「すみません! 俺を舎弟にしてもらえませんか?ずっと、後ろ盾になってくれるような大物を探していたんです!」
「愛人枠、空いてませんか?もちろん、条件は相談次第で……」
教室のドアを開けた瞬間、鞄を置く暇もないまま、クラスメイトたちが一斉に俺の周りへ集まってきた。
そして、口々に話しかけてくる。
光景としては、家の前で記者たちに囲まれた時とほとんど同じだった。
だが、決定的に違う点がある。
記者たちが欲しがっていたのは妹に関するネタや情報。
そして、こいつらが欲しがっているのは……俺との繋がりだ。
「その……みんな、ひとまず落ち着いてくれ。というか、俺自身まだ何が起きているのか全然分かってないんだ。うちは別に政治家一家なんかじゃないし、俺も大物なんかじゃない。愛人だって必要ない。……ただ、さっき机に落書きしたって言ってたやつは出てこい。大丈夫だ、殴ったりはしないから」
俺が必死になって事情を説明すると、ようやくクラスメイトたちは諦めたように引き下がり、それぞれ自分の席へ戻っていった。
……こいつら、もともとこんなに打算的な連中だったのか?今までどうして気づかなかったんだろう。
ちなみに、俺の机に落書きした張本人は最後まで姿を現さなかった。
どうやら人の波に紛れて、こっそり爆弾発言だけ投げ逃げしたらしい。
……卑怯すぎるだろ。
人だかりが解散した後、俺は何を言えばいいのかも分からず、無言のまま自分の席に座った。
「洛洛、聞いたんだけど……玲ちゃんが議員になったっていうの、本当なの?」
「曦ちゃん、俺も正直まだ混乱してる。でも、ネットで確認した感じだと……どうやら本当らしい。まったく、あいつは……。何でよりによって、こんな面倒なことをやってくれたんだよ」
「へへへ……それは本当に大変だったね」
「そうだな……。でも悪いけど、俺のほうは笑える余裕なんて全然ないんだよ」
クラスがようやく落ち着きを取り戻し、担任が来るのを待つ時間。
そんな中、隣の席の女子が、周囲に聞こえないような小声で俺に声をかけてきた。
彼女の名前は夏瑤曦。
肩まで伸びた長い髪が印象的な、物静かな女の子だ。整った顔立ちをしていて、間違いなく美人と言っていい。
クラスの一部の男子からはかなり人気がある。
そんな彼女は、本来なら俺みたいな陰キャオタクとは、何の接点もないはずの人間だった。
とはいえ、席替えのたびになぜか隣になることが多かった。
彼女は読書が好きで、俺がたまに教室でライトノベルを読んでいると、それをきっかけに意外にも話が弾んだことがある。
彼女は、俺が数少ない気軽に話せる、そしてそれなりに親しい関係にある女の子の一人だった。
彼女は俺のことを「洛洛」と呼ぶ。
……正直に言えば、俺としては少し距離が近すぎる呼び方だと思っている。男女の間にはもう少し節度というものがあるべきだろう。しかし、彼女曰く「その呼び方、なんだか可愛いから」とのことで、結局ずっとそう呼ばれ続けている。
ちなみに、俺が彼女を「曦ちゃん」と呼んでいるのにも理由がある。だって、相手は俺のことを「洛洛」なんて親しげに呼んでいるのだ。それなのに、俺だけ「夏さん」なんて呼ぶのは、さすがに距離を感じすぎるだろう。……まあ、「ちゃん付け」で呼び合っている時点で十分距離は近い気もするけど。
……まあ、少し話が脱線した。
読書好きという共通点の話に戻るが、最近では俺の布教活動の成果もあって、彼女もライトノベルを読み始めている。
俺が「これは絶対に面白い」と太鼓判を押した作品を、素直に読んでくれるのだ。
その代わり、俺も彼女から大量の女性向け夢小説や恋愛小説を渡された。
内容はだいたい決まっている。
若くして成功した俺様系社長が、どこにでもいる普通の女の子に惹かれていき、最終的には彼女がシンデレラのように幸せを掴む。
……どうやら女子たちの夢の形というものは、俺たちオタク男子とは少し方向性が違うらしい。
正直に言うと、こういうタイプの作品は少し読み慣れなかった。
まあ、自分の趣味を相手に押し付けるだけというのも違うだろう。
自分が好きなものを知ってほしいなら、まず相手が好きなものも理解する努力をするべきだ。少なくとも、それが俺なりの礼儀だと思っている。
だから彼女が勧める本なら、どんなジャンルでも一通りチェックして。
……おかげで今の俺には、いつ、どこで、どんな俺様系社長が現れても、完璧に対処できる自信がある。っていうか、オレに惚れさせる自信ならあるよ。
我ながら、とんでもない特殊スキルを身につけてしまったものだ。
問題は……これが一体、異性愛者の男子高校生である俺に何の意味があるのかということ。
……悪いが、その答えは俺にも分からない。
「じゃあ、みんな。授業に入る前に、少しだけこの配信を見てもらおうと思う。最近、かなり話題になっているニュースだ」
『公民科』という科目を担当している先生であり、同時に俺たちの担任でもある彼は、ノートパソコンを片手に教壇へ上がった。機材をセットすると、これから俺たちに何かを見せる準備を始めた。
……嫌な予感しかしない。
こういう時の俺の勘は、残念ながらかなりよく当たる。
そして今回も、その直感が告げていた。
――どうせまた、玲のあの件だ。
「本日は、我が国史上最年少となる国会議員が、就任後初めて行った公式配信をご覧いただきます。」
……やっぱりかよ。
俺の嫌な予感が見事に的中した、その直後。
画面に映し出された配信も、ちょうど始まろうとしていた。
李亞洛は客観的に見れば、容姿に恵まれている部類に入る。
だが、本人だけはそのことに気付かず、いつも自分を過小評価している。




