第二十八話 『未成年じゃ不動産契約はできませんよ』
玲の人気がここまでとは思わなかった。
まさか事務所を借りに来ただけで、ファンにまで出会うとは。
「すみません。俺、玲華議員の秘書をやっています。議員事務所として使える物件を借りたいんですが、何か条件に合うものはありますか?」
話が少し脱線してしまったので、俺は改めて本来の用件を伝え直した。
「あー……申し訳ありません。うちでは条件に合う物件はないかもしれません。それと、もう一つちょっと問題がありまして……お二人とも、まだ未成年ですよね? そうなると、賃貸契約を結ぶのは難しいと思います」
「……あっ、そういえば、そんな問題もあったか」
言われて初めて思い出した。
契約を結ぶには二十歳になる必要がある。
……いや、正確には法定代理人の同意があれば話は別なのだが。
しかし、親父は今、国内にいない。これ、どうすればいいんだ?
「……お力になれず、本当に申し訳ありません」
「いえ、こちらの考えが足りませんでした」
ここで門前払いを食らった俺たちは、再び車へと戻った。
さて、どうしたものか。
誰か頼れる大人はいないだろうか。
……あ。
林主任に頼めばいいじゃないか。
彼女に来てもらって、一緒に物件を見てもらえばいい。
ついでに、契約のほうもお願いすればいいだろう。
あとは――彼女に時間があるかどうかだ。
そうと決まれば話は早い。俺はすぐに彼女へ電話をかけた。
「もしもし? 主任、今って忙しいですか? ちょっと出てきてもらえませんか?」
「……まあ、時間はあるけど。え? ん? これってもしかして、デートのお誘い? 何を着て行こうかな」
「ち、違いますよ! なんでそうなるんですか?」
「だって……いきなり男の子から呼び出されて……。も、もしかしてデートじゃないの?」
「いや、その……俺が言いたいのは……」
「お兄ちゃん! 電話貸して!」
「えっ?」
「もしもし、葛欣姉さん?」
俺たちの話がいつまで経っても噛み合わないのを見かねたのか、玲はぷくっと頬を膨らませ、俺の手から電話を奪い取った。
どうやら、これ以上俺に任せておくと話が進まないと判断したらしい。
そのまま玲が、主任に事情を一から説明し始めた。
「お姉ちゃん、私たちと一緒に議員事務所を探しに来てくれない? それと、できれば不動産屋との契約もお願いしたいんだけど」
「えー……なにそれ。玲華ちゃんも来るの?」
電話の向こうから、主任の露骨にテンションの下がった声が聞こえてきた。
……何を期待していたんだ、この人は。
「まあ、いいけど。じゃあ、二人で党本部まで迎えに来てよ」
「分かりました」
主任の了承を得た俺は、ケビンに党本部へ向かってもらった。
しばらくして、電話で指定されていた場所へ到着。
そこで主任を拾い、そのまま後部座席へ乗り込んでもらった。
「玲華ちゃん、今日も相変わらず可愛いね。仕事にはもう慣れた?」
「……え? う、うん。ちょっと……苦しい」
主任が車の後部座席に乗り込むなり、挨拶代わりとばかりに玲の頬を両手でむにむにと揉み始めた。
玲の言う「苦しい」が、仕事のことを指しているのか、それとも人形のように頬を弄ばれていることを指しているのかは、俺には分からない。
とにかく、主任がひとしきり玲を可愛がり終えたところで、ようやく助手席に座っている俺へと話を振ってきた。
「おはよう、お兄ちゃんさん。事務所くらいなら、私に頼んでくれればすぐに用意できたのに」
やはり俺への呼び方は「お兄ちゃんさん」のままだ。
個人的にはそこまで嫌いな呼び方ではないのだが、どうにも正式な場にはそぐわない気がする。
……まあ、それはさておき。
そもそも、最初から主任に事務所を用意してもらえばよかったのではないか。
実を言えば、それも最初は考えた。ただ、これ以上誰かに借りを作るのは避けたかった。
「たまには自分たちで問題を解決しようと思ったんですよ。何でもかんでも主任に頼るのも悪いですし。それに、政府から事務所の経費も出るんですよね?」
「それで今度は、いきなり党本部まで押しかけてきて、私を連れ去って契約に付き合わせるの?」
俺の説明を聞いた主任は、少し呆れたような、それでいて責めるような目を向けながら、冗談めかして言った。
……確かに、その通りである。
何しろ主任は、我が国の与党を裏から取り仕切る実質的な指導者だ。
今だって何かしら国家レベルの重要案件を処理している最中なのかもしれない。
そんな彼女を俺たちの都合で気軽に連れ出してしまったとなると、本人どころか、この国にまで少なからず迷惑をかけている気がしてきた。
「……その点は、本当にすみません」
主任の言い分にも一理あったので、少し反省した俺は素直に謝った。
そもそも、彼女に迷惑をかけたくないと思ったからこそ、自分たちだけで何とかしようとしたのだ。
それなのに結局は本末転倒。
最後には、俺の都合で勝手に党本部まで迎えに行って、彼女を連れ出してしまった。
こうして改めて考えてみると、確かに申し訳ないことをしたと思う。
「ふふふ、そんなに真面目に考えなくてもいいよ。ちょっと冗談を言っただけだから。あなたたちがまだ未成年なのも分かってるし、賃貸契約を結ぶのが大変なのも理解してる。こういうときは、遠慮せずお姉ちゃんを頼ってくれていいんだから」
俺が真剣な表情で謝っているのとは対照的に、林主任はどこか気楽そうな様子だった。
それどころか、その表情にはほんの少し楽しそうな色さえ浮かんでいる。




