第十六話 『革新党の広報主任・林さん』
「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。別に悪いことをしに来たわけではありません。」
「今日はただ、お二人の頑張りを直接褒めたくて来ただけです。私はあなたに期待していますよ、玲華議員。これからも頑張ってください」
「あなたのような若い世代が政治の世界に入ってくれるなら、この国の未来はきっともっと活気に満ちたものになると思っています」
林主任は玲の手を握り、まるで自分のことのように嬉しそうに褒めていた。
……む。
この様子を見る限り、本当にお祝いを言いに来ただけらしい。
まあ、少しばかり距離感がおかしい気はするが、それ以外は今のところ問題なさそうだ。
「え、えっと……ありがとうございます?」
相手の予想以上の熱烈な歓迎に圧倒され、玲は戸惑いながら、とりあえず感謝の言葉を返すしかなかった。
「あっ、そうそう。これ、私の名刺です。はい、『 お兄ちゃんさん』もどうぞ。私はこのあと急ぎの予定がありますので、先に失礼しますね。それでは、お二人とも、また!」
ふと思い出したように名刺を俺たちへ渡し、それが済むと慌てた様子で足早に去っていった。
何と言えばいいのだろうか。
さっき番組で見せていた、冷静沈着で切れ者のキャリアウーマンという印象とはまるで違う。
まるで昔から近所付き合いでもあるかのような、親しみやすいお姉さんだった。
あの二つの顔のうち、どちらが本当の彼女なのだろうか。
俺には、まだ分からない。手元にある名刺へ視線を落とす。
そこには『林葛欣』という名前が記されていた。
今の俺が彼女について知っているのは、その名前だけだった。
「……不思議な人だね。でも、なんか嫌いじゃないかも」
林さんの姿が見えなくなった後、玲はぽつりと感想を漏らした。
「言われてみればそうだな。……まあ、その話は一旦置いておこう。それより、さっき送ってくれた運転手さんに連絡して帰りの車を頼むか」
電話を終えてからしばらくすると、運転手さんはあの無駄に目立つ高級車を引っ提げてやって来た。
番組への出演、そして前日の夜遅くまで続けていた準備。
その疲れが一気に押し寄せたのか、玲は帰りの車の中で静かに眠っていた。
そして俺はというと、逃げ場もなく運転手さんとの雑談に付き合わされていた。
話題はお決まりの世間話。
もちろん、そこに何か有意義な内容があるわけでもない。
ちなみに、この会話の中で少しだけ価値のある情報も得られた。
それは、運転手さんの名前……というより、呼び名を知ったことだ。
彼は俺に「ケビンと呼んでくれ」と言った。
たぶん英語でよく聞くあのケビンだろう。
まあ、本名が何なのかは未だに分からない。
でも本人が「ケビンと呼んでくれ」と言っている以上、そこをわざわざ掘り下げるほど俺も無粋ではない。
ちなみに、俺はちゃんと自分の名前を伝えた。
なのに彼もまた、俺のことを「お兄ちゃんさん」と呼ぶ。
まさか今日出会った二人とも、この呼び方で一致するとは思わなかった。
……これは本格的に、肩書き入りの名刺でも作っておくべきかもしれない。
今後こういう場面に出る機会は、おそらく増えていくだろうし。
何より、「秘書」と呼ばれるほうが、今の「お兄ちゃんさん」よりは遥かにマシだ。
「また車が必要になった時は、いつでも呼んでくださいね。お兄ちゃんさん」
「ああ、ありがとうございます」
「とんでもございません。これが私の務めですので。お力になれて嬉しく思います」
「……んん? もう着いた?眠い……まだ寝る」
目を覚ました玲は、車の窓から外を確認し、そこが自分の家だと分かると、眠そうな声でぽつりと呟いた。
そのまま俺を置き去りにして、何事もなかったかのように家へ向かって歩いていく。
……いや、俺も一緒に帰るんだけどな。
「……それでは、また次の機会に。玲、少し待ってくれ」
ケビンに別れを告げた後、俺は先を歩く妹の後を追いかけた。
いつもの家に帰ってきた瞬間、それまで張り詰めていた気持ちが一気に解け、眠気が襲ってきた。
俺と玲は、まるで早い者勝ちと言わんばかりに浴室を奪い合う。
考えていることは同じだった。
一刻も早く風呂に入って、寝てしまいたい。
風呂争奪戦に敗れたせいで、俺がタオルとドライヤーを手に部屋へ戻った頃には、すでに夜十一時を過ぎていた。
寝る前にスマホでブラウザを開き、ネット上での反応を確認してみることにする。
おそらく、批判的な意見も少なくないだろう。特に、変化を好まない保守的な人たちからは。
それでも、逃げたところで何も解決しない。
俺はしばらく画面を見つめた後、覚悟を決めるように深く息を吸った。
そして、いくつかのネットニュースを開く。
玲を否定する声がどれだけ溢れていたとしても。俺は彼女の隣に立ち、この困難を共に乗り越える。
しかし……。
『中学生議員による感動のスピーチ』
『中学生議員、討論番組で好評価』
『政界注目の次世代スター誕生』
『一部ネットユーザーからは次世代のアイドル議員として人気急上昇』
……意外と、かなり好評じゃないか。
とはいえ、コメント欄の中には玲を疑問視する声や反対意見も存在していた。
ただ、それも全体から見ればおよそ5%ほど。
他の政党によるネット工作が混ざっている可能性を考慮すれば、むしろ十分に健全な範囲と言えるだろう。
つまり、世間は玲のことを気に入ってしまったらしい。
……いや、本当に瑤曦の言っていた通りになるとは思わなかった。
政治家は、ある意味で普通ではない個性を持つほど注目を集めるのかもしれない。
その時だった。
スマホが二回、短く震える。
チャットアプリから通知が届いた。
画面に表示された送り主の名前を見て、俺は思わず目を止める。
……彼女からだった。
まさか、こんな遅い時間に彼女から連絡が来るとは思わなかった。




