第十一話 『初めて訪れるテレビ局』
「お二人様、目的地に到着いたしました。どうぞ、お足元にお気をつけください」
運転手が車を停めると、わざわざこちら側まで回り込み、ドアを開けてくれた。
それを受けて、俺と玲は揃って車を降りる。
「こちら、私の連絡先でございます。何かご用命がございましたら、いつでもお呼びください。すぐに伺います」
そう言って運転手は帽子のつばを軽く押さえ、一枚の名刺を俺の手元へ差し出した。
厳密に言えば、それは名刺とは呼べない代物だった。
印刷されていたのは連絡先の電話番号だけで、名前はもちろん、それ以外の個人情報は一切書かれていない。
何とも得体の知れない人である。
「……分かりました。ありがとうございます。また後で」
少し疑問には思ったものの、とりあえず受け取っておくことにした。
たぶん、今日帰る時には使うことになるだろう。
運転手に別れを告げた俺と玲は、目の前にそびえ立つテレビ局の建物へ入っていった。
受付で名前と来訪の目的を伝えると、すぐに担当のスタッフが現れ、俺たちをこれから出演する番組の収録スタッフがいる場所へ案内してくれた。
俺と玲はそのまま楽屋へと通された。
到着したばかりの玲は、スタッフに声を掛けられるなり、メイクへと連れて行かれた。
まだ若いということもあって、肌を隠すような化粧や細かな調整は必要ないらしい。
結局、メイク担当の人が手早く軽いナチュラルメイクを施しただけだった。
「どうどう?私、ちゃんと可愛くなってる?」
普段ろくに化粧なんてしない玲が、珍しく頬紅なんかを入れてもらったせいか、まるで嬉しそうに尻尾を振る犬みたいにはしゃいでいる。
後頭部で揺れるいつものポニーテールを振りながら、俺の目の前までやって来て、当然のように感想を求めてきた。
……まあ、確かに。いつもの玲とは少し違って見えるな。
普段より鮮やかな唇の色と、頬に浮かぶ淡い赤みが、女の子らしい可愛さを際立たせていた。
母さん譲りの遺伝子を受け継いでいるだけあって、玲は間違いなく素質のある子なのだろう。
きっとあと数年もすれば、綺麗な女性へと成長していくに違いない。
「お前なんか、まだまだだよ」
これ以上調子に乗られても困るので、この場ではあえて余計なことを言わないことにした。
「……なんだぁ。せっかく兄ちゃんに褒めてもらえると思ってたのに」
玲はがっかりしたように肩を落とし、俯いたまま小さく愚痴をこぼした。
玲がこんな様子を見せるたびに、どうしても少しだけ可哀想に思えてしまう。
だから、やはり何か一言くらいは励ましてやろうと思った。
これから番組にも出演するのだ。こういう時に気持ちを支えてやることも、必要なのかもしれない。
「まあ、悪くないんじゃないか。とりあえず、95点ってところだな」
「ふふっ。兄ちゃんって本当に素直じゃないよね。可愛いと思ってるなら、普通にそう言えばいいのに。何をそんなに照れてるの?このツンデレ男。シスコン」
俺の評価を聞いた途端、玲はさっきまでのしょんぼりした姿をどこかへ消し去り、口元を隠しながら、実に腹の立つ顔でニヤニヤと笑い始めた。
ほら、やっぱりだ。
褒めたらいつもこうやってすぐ調子に乗る。だからさっき、あえて褒めなかったのだ。
正直、少しだけ殴りたくなる。
……訂正しよう。
もうすでに手は出ていた。
「いたたたた! だから髪引っ張っちゃダメって言ってるでしょ!」
「お前がいちいち調子に乗るからだ。自業自得だな」
「ごめんってば、ごめん! もう反省するから! 頭皮取れちゃうって!」
俺と玲のそんなやり取りは、玲の悲鳴混じりの謝罪と共に、番組スタッフ用のメイク室中に響き渡っていた。
「……あの、失礼いたします。議員先生、そろそろ番組の席へ移動をお願いいたします。あと十分ほどで番組が始まりますので。ご家族の方も、どうぞこちらへ」
俺が中学生女子の髪を引っ張るという、あまりにも兄としてどうかと思う行為を止めたのは、呼びに来たスタッフだった。
彼の登場によって、俺たちは本来やるべきことを思い出し、ようやくふざけ合いを終えることになった。
「ん? え? あ、はい。今行きます」
玲は慌てた様子で適当に返事をしながら、俺と一緒にそのスタッフの後ろについて、収録スタジオへと向かった。
テレビで見たことのある番組セットと同じような光景だった。
左右にはゲスト用に用意された座席がいくつも並んでおり、そのうちの一つには、玲の名前が書かれたネームプレートが置かれていた。
実際にその場に立ってみると、テレビ越しに感じていたものとはまるで違う緊張感があった。
すでに何人もの出演者が席についており、現場のスタッフたちもそれぞれ機材の調整を行いながら、本番に向けた準備を進めていた。
「玲、準備はできたか?」
俺は玲の肩にそっと手を置いた。
これから彼女は、いよいよ大勢の人間が見ている舞台に立つことになる。
果たして玲は、その覚悟をちゃんと決められているのだろうか。
「全然できてない!」
「……だよな。そんな気はしてた」
考えてみれば当然のことだった。
何の経験もない中学生が、いきなり国会議員としてテレビ番組に出演するのだ。これで心の準備ができている方がおかしい。
正直、あと二ヶ月あったところで、俺ですら完璧な準備ができるとは思えない。
「とにかく、さっき俺が話したことを忘れるな。分からない質問には無理に答えるな。余計なことを言えば、それだけで揚げ足を取られる。それから、他の出演者に挑発されても絶対に乗るな。番組内で失態を晒せば、その時点で負けだと思え」
「はーい。」
俺があれこれ念を押しているというのに、玲はただ呆気なく頷くだけだった。
本当に理解しているのか、少し不安になる反応である。
……なんというか、どうにも頼りなく見える。
とはいえ、俺たちにできることはもう十分やった。
ここから先は、玲の本番での対応力に賭けるしかない。
それにしても……まさか妹をテレビ番組へ送り出すだけで、我が子を試験会場へ送り出す親みたいな気分になるとはな。




