第九章 両雄相見える
ジョルジュ・サンディーニは先週來、シラード王国の地方都市で、ホーク王国との国境附近にある都市マグノーの、エジンバール川沿いにある、最もラグジュアリーなホテル、ラルクに滞在していた。
戦場を駈ける彼女には似つかわしくない、優雅な部屋である。
豹のようにしなやかな體を絹張の長椅子に伸ばし、獰猛な野獣のように自堕落に寝そべって暇を持て餘し、心の奥の虚しさを扱い兼ねていた。そのとき、近くのバルで、高名な〝アンニュイ〟ことジャン・マータが酒を啜っているという話をベッドメイキングに来たメイドから聞き、興味を惹かれ、莊嚴な細工の施された鞘に眠る『銀月の剣』を佩いた。
「どれ、いかほどな人物か」
当時未だ十七歳であったが、既に神格を漂わせ、その年頃の少女とは思えぬ冷厳さで、そう言い放ったのだ。
神懸ったこの聖なる戦士は、滑らかな皮膚にしなやかな筋肉質の、すらりとした體を伸ばす。それは肉食獣が生贄となる獲物を見つけて、低く背骨を伸ばして、柔らかく深く構える姿に似ていた。
そして立ち昇る一つの炎のように凜々とホテルの廊下や市街路を歩み、その店の前にたち、しみじみ眺める。うらびれている・・・
「ふふん、英雄には相応しくない場末の〝渋い〟バルだな」
両開きの扉を開けた。
扨、見廻してみれば、客は少なく、カウンターに一人、四人席に骨牌をしている三人。どうやらカウンター席の独りがそれらしいが。
噂に違わぬが、到底、無双の騎士とは思えぬ風貌、物憂げで翳りのある、優男のような若者。
繊細で、しなやかさな風情、たおやかで優美な、艶かしいと言ってもよい、雰囲気であった。
無双の戦闘士の様相ではない。しかし、ジョルジュは、
「いざ、お手なみ拝見」
とばかり、亂暴極まりなく、いきなり剣を抜いた。
手にする神剣『銀月の剣』は異様な光で皓々と耀く。酒場が突如、明るく照らされ、人々は怖れ慄き、悲鳴が上がった。
普通の戦士なら、ここで逆上的に憤るか、怖れ蒼褪めるかするもの。しかし、相も変わらず、ただ、物憂げに酒を啜り続けている。
視線を向けることもなく、アンニュイは、
「何事かな。人が静かに酒を嗜むときに猛々しく。
どうやら、ジョルジュ・サンディーニ殿とお見受けするが。
このような場で剣を抜くなど、もののふにあるまじきこと。まして貴殿ほどの騎士が、街の愚連隊のごとき振る舞いをするとは。いやはや」
激昂するも感情を抑えつつ、ジョルジュは、
「なるほど、臆病者の言い訳も、それらしく聞こえるものよ。
ならば、ここを出でよ。もののふたる者の名誉と覺悟とがあるならば」
敢えて挑発のため、そう言い放つ。
彼女の全身から発する凄絶な殺気は物理的な破壊力を持っていて、周囲のものを壓し潰しそうであった。
闘気は轟々と燃え盛り、空気さえも焼き裂き焦がしそうである。
しかし、アンニュイはその凄まじきを眼前にしても、何事もないかのような平生の表情。なみの人間ではない。
ジョルジュもその勇者英雄の素質・気質を認めざるを得ない。
諦めたような微苦笑で立ち上がるアンニュイ。
「やむを得まいな。
しかし、私の方でも貴殿に話があったのだ。だから、この街に來た。ともかくも、さ、外へ出ようか」
「話?」
アンニュイはその問いには応えず、通りに出た。
街歩く人々は異様な気配に立ち止まる。
ジョルジュはなおも尋ね、
「話とは何だ?」
アンニュイが抜剣する。剣は神剣『霓の稲妻』だ。螺鈿のよう、七彩の虹色が移ろいつつ燦輝する神剣。
「いや、まず話に価するかどうか確かめてからにしよう。ただし、本気でやる勿れ。貴殿と私が本気でやると、この街が吹き飛ぶかもしれん」
ジョルジュは鼻で嘲笑い、
「ふ、言われるまでもない。そのようなことは承知だ。いざ」
神速。そういう言葉が相応しい。彼女のスピードは人の動体視力では捉えられない。いや、人でなくても、だ。
しかし、アンニュイはその突きを躱した。
躱しながら心中に思う、
「ふむ、なるほど、噂に違わぬ。神に祝福された者にしかできぬ御業よ。
しかし、我が眼は現象などに囚われぬ。現象は五蘊(色・受・想・行・識。現象を構成する五つの分類)に解析される。
解析されるが、五蘊に実体はない。空だ。
なぜなら、空とは、五蘊のことだからだ。異界の聖典と伝えられる般若波羅蜜多心経にいう〝色不異空、空不異色(色は空と異ならず、空は色と異ならず)〟とは、そのことを叡かにする。※色は感覺の起因となるもの。物的現象など。
問うとても、虚しい。
それが現実だから、としか言いようがない。現実は理を超えている。理解を超えている。
事実は有無を言わさぬ。是非もない。ただ、事実であるという一点張りで押し切って來る。ぶっ切ら棒で、問答無用だ。事実に逆らえない。
事実が答のすべてだ。在るとおりに在る。在るとおりにしかない。在るところが眞実である。
さて。
それをこの神懸った騎士に、觀ぜしめて進ぜよう。
さあ、ジョルジュ殿よ、貴殿は必殺の間合いから繰り出した一突きを躱され、次の手を思案中だ。
ともかくも、私のスキを突こうと狙い、我が眼前を左に右に緩慢に動きながら、間合いを計り、眼光鋭く構えている。
しかし、スキが見つけられず、思い倦ねているというところか。
ならば、これで、どうか」
切っ尖を眞下に向けて『霓の稲妻』を構える。スキだらけとなった。
ジョルジュは考える、これは罠だ、と。だが、
「面白い、その手に乗ろう」
間合いを詰め、敵の懐のうちを狙い、突撃する。
剣を振るった。『銀月の剣』が描く軌跡が銀の光の刃となって飛び、酸素を燃やしながらアンニュイを襲う。
三日月のような弧のかたちの光の刃がアンニュイに迫った。
この光の刃は遠くへ逝くほど大きくなる性質があり、もしも、敵が数百メートル先にいれば、銀の光がなす三日月型の刃は、一度に数百人の兵士を斬り裂くのである。
アンニュイの神剣『霓の稲妻』の墜とす幾条かの霓の雷霆が銀月の孤とぶつかって、激しい炸裂光が起こる。
石畳が砕き巻き上げられ、この二人を中心として、半径十数メートルの窪みができた。
「ぅぐっ」
ジョルジュが呻く。
激しい衝撃波を受けたためであった。アンニュイは微動もしない。
アンニュイはこともなげに、
「未だ解脱が十分ではないと見える。
五蘊を皆空と見做せば、さような衝撃を受けることもあるまい」
そう言って、早くも神剣を鞘に収めるのであった。
ジョルジュは潔く、
「なるほど。その理、眞であると解する。さすが、噂どおりという訳か。完敗であることを認めよう。認めざるを得まい。
どうやら、話とやらを聞く資格は得られなかったようだな」
珍しくアンニュイが快活に笑った。
「いや。そうでもない。
貴殿の強さは桁外れだ」
ジョルジュは苦笑。
「褒められた気がしないぞ。
で、話とは何だ」
「ふ、簡単なことだ。傭兵隊を立ち上げようと思っている。どうか、貴殿にもご参加願いたい」
ちなみに、舗装路の修繕に要する経費はアンニュイが市庁へ弁償している。




