挿 話 或る日Ⅱ
ミロは絶望していた。
丘の断崖から遠く見る城壁の街は炎上している。
祖母のため、薬草を採ろうと、五キロメートル離れた聖なるハルカリオンの丘に来ていた。
凄まじい炎で、八千人の住む城市が紅蓮に包まれ、火の高さは五十メートルの城壁を凌ぎ、悠に百メートルを超えるかのように見えた。
父母も姉兄も友人もあそこにいるのだ。聖なる市が燃えていた。
猛火の凄まじい勢い、濛々たる黒煙が上がっている。
壊滅、皆尽という言葉が相応しい。
阿鼻叫喚が、ここまで聞こえてくるかのようであった。
誰一人生き残れないであろう。ミロはなすすべもなく(いったい、彼女に何ができたであろうか)、茫然と佇むだけであった。
いつの間にか、その隣に一人の騎士が立っていた。
「遅かったか。しかし、絶望はない」
ミロは驚き、見上げた。
背の高い騎士は女性であった。彼女はミロを見下ろし、
「ヘレニアの娘か」
聖ヘレニア市、それは今、灰燼に帰そうとしている。
泣きながら、ミロは応え、
「はい、そうです。あれが私の街です、家族も友人も皆、あそこにいます。ああ、死んでしまいたい」
「絶望はない。人は皆生きようと渇望している。渇望がなければ、絶望などしない。絶望は生きたい渇望の顕われだ。真の絶望は存在し得ない。
見ておれ」
「待ってあなたはどこへ」
「むろん、ヘレニアだ」
「皆死んでいます、騎士様のお心には感謝申し上げますが、あなたのお命まで」
男装の女性騎士は高らかに笑った。
「この私がか! たかだか五千の兵士相手に命を落とすなど。あり得ぬ。
このジョルジュ・サンディーニが」
女性騎士は颯のように疾走する。その速さたるや、眼にも止まらぬほど。白い龍馬が突如あらわれ、併走した。ジョルジュは龍馬に飛び跨る。数秒で城壁に達し、垂直の壁を駆け上った。
「我こそは殉真裂士ジョルジュ・サンディーニ、命惜しくば消えよ」
激しい動揺が装甲した兵士たちを襲った。
「裂士だ、殉真裂士だ、やばい、逃げろ、いや、俺は逃げる」
神の恩寵を受けて裂士となった者は人を遙かに超える異能を持つ。神速で移動するジョルジュは秒で一千人を斬殺した。五千の兵も五秒だ。
一瞬で城市を滅ぼした猛勇の大豪傑たちも木の葉よりも儚い。
「助かった」
王ジーグラムはジョルジュの前に膝曲突いた。
もし、彼女がくるのが数分遅れていたら、王宮深く侵入していた傭兵たちに殺されていたであろう。もはや王の対面もなく、泣き縋らんばかりであった。
ジョルジュは睥睨のまなざしで王者を見下ろす。
「しかし、いかに強剛なるゴーラムの傭兵たちの攻撃あったとは言え、一瞬で壊滅するとは油断にも程があるかと思うが」
「停戦を結んだばかりだったので」
ジョルジュは歎息した。古来、休戦や停戦後の奇襲などありふれている。このような権力者の下にいる民が哀れでならない。世襲は王位を継ぐ者が限定されているため、争いも限定され、一定の安定を招くが、同時に暗君による破滅をも招く。
哀しいかな、どのように図っても、必ず何かが巧くいかなくなるものなのだ。
「ま、精々気をつけることだ。今のままでは、いつか亡ぶ。責任ある者は思慮に富まなければならない。
お前に義がある限り、我々は援ける。莫大な報酬をいただくがな」
殉真裂士一人の報酬は一日で先進国の中産階級の生涯賃金相当だが、五千人の兵に装備させ、食糧を運び、一日動かせば、その何十倍もの経費を要する。行軍の日程も考慮すれば、一日で終わる戦争などない。殉真裂士への報酬の何百倍にもなる。
殉真裂士であれば一日を超えることは、いや、一時間を超えることすら少ない。
なお、時給換算はしない。
ジョルジュは或る日、アンニュイに訊いたことがある。
「お前は女に興味がないんだな。・・・そう言う私も男に関心がないが」
アンニュイはその日の黄昏のように相変わらず憂いに満ちた寂しげな表情で微笑し、
「いや、そうではない。
私は永遠の忠誠と永遠の愛とを誓った。永遠に封印されている。
全てのことが、実ることのみを言うものとは、限らない」
ジョルジュは鼻尖で笑った。




