第八章 誕生
喪失から解脱へ。
奇妙な生き物が遠い空の彼方から舞い降りて来た。
最初は点ですらなかったが、近づくに聯れ、意外に大きなものであることがわかる。
姿形が見え始めてから、しばらくは鳥だと思っていた。だんだん普通の鳥ではないような気がしてくる。
そして、百メートルくらいにまでの距離になると、見たこともない、何と表現したらよいかわからない生き物であることがわかった。
両手が大きな翼になっていて、両脚が太く長い。二本足でどすどすと地上を走りそうであった。
地上に降りる。
着地の瞬間、ドスンと音を立て、地を揺らした。
「ぅうわあ」
地面が上下する。震動のせいで、ジャンは坐った状態のまま跳ね上がった。転げる。
異形の生物はどすどす歩んでメタルハートの傍に立った。海鳥音で咆哮する。
「何だ、これは」
よく見ると、龍のようにも見えた。全身にびっしりと羽根の生えた龍だ。考えてみれば、鳥の先祖は恐竜であり、恐竜にも羽根があったという一説を聞いたことがある。だとすれば、龍に羽根が生えることもあるか。
ジャンはそう考えた。正しくは、龍鳥、龍駝鳥などとも呼ばれる駝鳥と龍の混血である。ただ、駝鳥のように脚が細くない。ティラノサウルス・レックス(暴君蜥蜴・王)の脚のように強靭頑健だ。その重さを宙に浮かせるために羽根に被われた翼は巨大だ。
神獣となる龍鳥は、基本的には龍で、応龍のように手足と別に背中に翼があるタイプではなく、両腕が翼で、広げると左端から右端まで十五メートルもあるが、手足に龍爪を持ち、脚はティラノザウルスのように太く強靭で、龍馬のごとく速く駈けることができた.
顔は龍で、尻尾も長く、龍の形状と同じであった。頭までの高さは三メートル強。
鱗は羽に隠れて見えない。
背には鞍がついていた。
メタルハートはその鞍にさっと跨る。
ジャンが叫ぶ、
「貴様っ、待て!」
しかし、追い止めようにも、体が動かない。
メタルハートはジャンに一瞥も与えず、飛び去って逝った。
虚しく呆然と見送るしかなかった。
「私はまだ相手にならない、・・・ということか。
あいつにとって殺戮は、娯楽で行う狩のようなもの、いや、遊びでしかないのだ」
そんな考えが余所ごとのように、遠くの小さな雲のように、ぼんやり通り過ぎて行く。
完全な脱力感が無力感と重なって、何も気力が湧かなかった。虚脱。茫然自失。
本来ならば、聖なる王都に戻って生存者の救助に当たるべきであろう。しかし、それを想いながら、何もかもを喪い、巨大な喪失の中で、絶望のどん底にあり、その魂は牽き裂かれていた。
何もない虚空の中にいた。凄絶な絶空の中にいた。
それは釈迦の言うところの『恐るべき荒野』であった。
生存への執著を抱いたままでは生きることに堪えることのできぬ深淵。
絶叫した。狂裂する。自由だ。怖るべき過剰な自由。何もない、何もない、何もかもがない、無すらも絶し、絶空すらも絶える世界。怖るべきナミブ砂漠。無際限自由。
宇宙開闢前の世界。
あらゆることが起こりうる無の無なる、空の空なる極致。
それは一枚の、ありふれたパステルの素描かもしれない。跡を鮮やかにくっきり残した。
光。
なぜ。理由などない。
微かな光。
それは次第に強くなり、膨張する。
燦燦たる光。燦燦たる。燦燦。燦燦。燦燦。
燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦燦
やがて、成層圏を超えた。
どんどん大きくなり、銀河を飲み込み、超銀河団を突き破る。
宇宙を凌駕した。無数の平行宇宙を席捲する。またそれら以外の世界をも。
さらに超えて、欲界(欲望に囚われた世界。最下層が地獄界で、下から順に人間界・四天王天・三十三天・夜摩天・兜率天・化楽天で、最高峰を他化自在天とする世界。しかし、まだ欲望に囚われている)を貫く。
天上に至り、色界(欲望から解放されるがまだ物質的な世界。梵衆天から色究竟天までの十七天ある)も突き抜けた。
その上の無色界(物質のない精神だけの世界。空無邊處天から始まり、識無邊處天、無所有處天を経て、最上位を非想非非想処天とする世界)に達する。
燦々たる眩さで、以上の三界をホワイトアウトさせた。
ジャン・マータはその光の氾濫の中に失せ、再び因り縁り戻され、莊嚴される。
憂虚なる殉真裂士ジャン・〝アンニュイ〟・マータの誕生であった。
次は男装の麗人、ジョルジュ・サンディーニ。




