第七章 生首
『こいつは、無差別に人を、非道無情、理不尽に殺し、全く平然としていられる。それどころか、その怨霊たちを飼っていさえする。人間ならば、刹那に取り憑かれ呪い殺されてしまうだろう。だが、それを力で壓している。全く平気でいられている。何という、桁違いな凄まじさか。
こいつの魂魄がそれほど凄絶だからなのか』
「まさか」
一瞬、ジャンの頭を過った。
だが、すぐに打ち消す。
「そんなバカな・・・あり得ない、そんなことがあってよいはずがない」
バケモノは相変わらずこちらを睨んでいる。この距離でもあの蛇の眼、縱に細く亀裂したかのような瞳孔が、ありありと見えるかのようであった。
睥睨する眼差しは微動することもなく、手に下げているものをゆらゆら振ると、勢いをつけて一気にその球体を放り投げた。それは緩やかな放物線を描きながら、ジャンに向かって来る。
「あ、」
ジャンはそれを落としてはならぬものと直感していた。
手を広げ、胸で受け止めようとする。
ドサっ、それを抱えるように留める。
血まみれの髪、血の固まった耳、無惨にひねりもぎ取られたちぎり跡。首であった。
「そんな、そんなあり得ない、ああ、神様」
正面を向かせるよう、ゆっくり回す。
歪んだ唇、ドス黒い血に塗られた白い頬、エスカテリーニャの生首であった。
斬られたのではない、敢えて残酷にもぎ取られていた。
碧く明るい燦々たる眸がかっと睜かれている。
それは恐怖で開かれたようにも、驚きで瞠かれたようにも、怒りで刮目したようにも、哀しみに湛えられた涙が震え開いたようにも、痛みのあまりに裂けたかのようにも見えた。
酷たらしい、無惨な姿ながらも、その双眸の燦々は止まない。
「ああ、ああ、あああああああああああーっ」
ジャンの魂は狂裂した。凄まじい絶叫、悲しみを牽き裂き破るほどの悲しみに細切れに千切れ砕け散る。
絶望。それは何も増して深い絶望であった。巨大な歴史を擁する大宇宙の終焉よりも根源的で、深い絶望。
全てを喪った。
何もない。絶空。
こんなこと、こんなひどいことが、あんなに美しかった王女が、あんなに崇高で、慈しみに満ちていた王女が、優しいエスカテリーニャが。こんなことがあってよいのか。永遠の忠誠と永遠の愛。その言葉が蘇る。自分を生存させるために与えてくれた言葉。
そして、次に彼を襲った感情は憤りであった。ビッグバンの炸裂のような、凄絶な憤りであった。
「お、おおお、おのれぇ」
その憤激の壓は、周辺の空気を押し返し、砂埃を上げ、周囲百メートルの石畳や土や建物や欄干を叩き割って砕き、巻き上げた。
体の中に稲妻が走った。一切を凌駕する雷が閃く。全てを超えて、成層圏を突破する。
凄まじい雷霆が全てをホワイトアウトさせ、虚空を震撼させる霹靂が轟く。
無数に。
まるで、千萬億兆の華が繚乱するかのごとき狂奔裂、過剰な自由で無際限にありとしあらゆるかたちたり得る自在。
ジャンの双眸が紅蓮の炎となる。
ジン・メタルハートは満足げな猫のように喉を鳴らす。
「ふふ、よいぞ」
そして、女狂戦士は城壁から飛び上がった。
五〇メートルの濠を軽々と越えて、ジャンの前に着地する。
だが、その顔は先ほどとは変わり、不満げだった。
「ふん」
「きっ、貴ッ様っ!」
ジャンが飛ぶ、怒りの烈火に任せ、凄まじい憤怨のオーラの彗星のごとく炎を迸らせて、疾風より速く、音速よりも速く、光速で、メタルハートに斬り掛かる。
「雑魚」
凄絶な激情に駈られて、到底、人間業とは思えない、神にも劣らぬ速さと力とを噴出したジャン・マータであったが、天をも裂くかと思われたその勢いはメタルハートの一振りの剣で呆気なく弾き返された。
何度も地面をバウンドする。
「うぐぐっ」
苦しげに呻く。
「まだだ。
まだ早い。
お前はもっと強くなる。
まだ熟しておらぬ。
天空を衝くほど強くなったそのとき、また会おうぞ。
そして、我が怨霊となれ」
メタルハートが一瞬、息を止め、気を込める。
すると、どうだろうか、恐るべきことが起こった。
メタルハートの周辺の空間に浮かぶ数々の人間の顔。
様々な壮年の男たち、老いた女、幼子、少女や少年、身重の若い母、戦士や勇者たち、そのいずれも深い恐怖、畏怖、憤り、哀しみ、激しい憎悪と怨念とによって歪み、その烈々たる感情によって、強い恐怖と怒りと憎悪と絶望と悲しみと苦しんでいた。身も裂けるほど苦しんでいる。
全て怨霊だ。見るも悍ましい光景であった。
憤りで我を忘れたジャンでさえ、瞬時、怖気に襲われる。
『こいつは、無差別に人を、非道無情に、理不尽に殺し、全く平然としていられる。それどころか、その怨霊たちを飼っていさえする。人間ならば、刹那に取り憑かれ呪い殺されてしまうだろう。だが、それを力で壓している。全く平気でいられている。何という、桁違いな凄まじさか。
こいつの魂魄がそれほど凄絶だからなのか』
怖気を振り切り、再び怒りが、
『だが、これは残酷なことだ。人間のやることじゃない。往生させないのだ。魂を永遠に引き留めて苦しめ続けている』
ジン・メタルハートは、高らかに哄笑した。地を這う虫を嘲るように。
「憶えておくがいい。
我が名はジン・メタルハート」
絶望の淵から・・・・・・




