第96話 計算の外側
北の空が、重く垂れ込めていた。
雲の色は、鉄のように灰色だ。
まるで——
この戦いの結末を、すでに知っているかのように。
⸻
「排除対象、確定」
クラッセンの声は、変わらず静かだった。
血が滲む肩口を、一瞥もせず。
「感情値の高い個体は、予測誤差が大きい」
「だが——」
眼鏡の奥の瞳が、細くなる。
「誤差は、修正できる」
⸻
次の瞬間。
クラッセンの周囲に、青白い光が走った。
幾何学的な紋様が、空中に展開される。
六角形。
八角形。
さらにその外側へ——
無限に広がる、数式の網。
「魔導演算障壁——『ラプラスの盾』」
ライラが、息を呑む。
「……アルベルトと同系統の術式」
「帝国の執行官は、全員これを使えるの?」
「違う」
ガイウスが、低く答える。
「あいつが、開発者だ」
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セリスは、その障壁を見つめた。
青白い光の奥。
絶えず流れ続ける数式。
(……全部、計算されてる)
攻撃の速度。
軌道。
魔法の出力。
それらすべてが処理され——
「無意味になる」
思わず、口に出ていた。
クラッセンが、わずかに頷く。
「理解が早い」
「では——試してみますか」
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ライラが動いた。
三本のナイフを、異なる角度から同時に投擲する。
上。
横。
足元。
三方向同時。
だが——
ナイフはすべて、障壁の手前で軌道を歪められ、地面に落ちた。
「入力済みです」
「あなたの癖は、初撃から読んでいる」
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メイラが詠唱を始める。
だが——三節目で止まった。
「——詠唱パターンを遮断しました」
「魔法回路に干渉しています」
メイラの手が、震える。
「……魔力を、引っ張られてる」
「消耗させるつもりね」
セリスが言う。
「戦わずに、削る」
「その通りです」
クラッセンは淡々と応じた。
「最も効率的な勝利は——戦わずして相手の戦力をゼロにすること」
一拍。
「孫子の兵法ですよ。古典ですが、有効だ」
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ガイウスが、静かに剣を構えた。
だが——動かない。
セリスは、その横顔を見る。
(……考えてる)
怒りの中で。
それでも、思考を止めていない。
(変わった)
以前なら、もう突っ込んでいた。
「……セリス」
低い声。
「あの障壁、中心点がある」
「どこ?」
「胸の前——あの演算装置だ」
⸻
クラッセンの胸元。
薄い金属板——魔導演算端末。
あれが、すべてを処理している。
「壊せば——」
「終わる」
「だが」
ガイウスの目が鋭くなる。
「あいつは正面からの攻撃をすべて読む」
「動けば動くほど、データが蓄積される」
「……つまり」
セリスが、言葉を継ぐ。
「読めないものを、ぶつける」
⸻
沈黙。
ライラが、小さく笑う。
「言うのは簡単ね」
「で、どうやるの?」
⸻
セリスは、自分の右手を見た。
あの力。
空間を歪める、理解不能の力。
(説明できない)
だから——
(計算できない)
数式にできないものは、予測できない。
予測できないものは——
「防げない」
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「ガイウス」
「私が隙を作る」
「その瞬間、踏み込んで」
一秒。
ほんのわずかな間。
そして——
「……分かった」
ガイウスは、頷いた。
⸻
「興味深い」
クラッセンが、静かに言う。
「何かを企んでいますね」
「入力値を増やしましょう」
障壁が、脈動する。
演算速度が上がる。
「次の行動は、すでに処理中です」
「どうぞ——動いてください」
「すべて、私の計算の中です」
⸻
セリスは、一歩踏み出した。
ゆっくりと。
意図の読めない動き。
「右から来ますね」
クラッセンが呟く。
「……いや、正面か」
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その瞬間。
セリスは——止まった。
完全に。
ただ、そこに立つ。
「……?」
クラッセンの演算が、わずかに揺らぐ。
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(今じゃない)
意識を、内側へ。
ノイエ。
あの力。
あの時は——壊した。
だが、今は違う。
(歪める)
一点だけ。
ほんのわずか。
演算端末の周囲——
空間そのものを。
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右手が、疼く。
赤い光が、滲む。
だが——
(制御できる)
飲まれない。
「これは……」
クラッセンの声に、初めて揺らぎが混じる。
「演算外の入力……?」
⸻
障壁の一点が、歪んだ。
数式の網に——穴が開く。
ほんの一瞬。
一センチにも満たない、裂け目。
だが——
「今だッ!!」
ガイウスが、地を蹴る。
最短距離。
全力。
⸻
「——計算通りだ」
クラッセンが呟く。
障壁が、剣を受け止めようとする。
だが——
(そこだけ、歪んでいる)
軌道が、わずかに変わる。
クラッセンの反応が、コンマ一秒遅れる。
それだけで——
十分だった。
⸻
鈍い音。
魔導演算端末に、剣の柄が叩き込まれる。
金属が割れる。
光が散る。
障壁が——消えた。
⸻
静寂。
クラッセンは、自らの胸元を見下ろした。
砕けた端末。
途切れた演算。
「……なるほど」
低く、呟く。
「単純な発想だ」
「だが——実行には、“穴”が必要だった」
顔を上げる。
「その力は、計算できなかった」
⸻
ガイウスが、剣を突きつける。
「終わりだ、クラッセン」
クラッセンは、抵抗しない。
ただ、静かに問う。
「一つだけ」
「なぜ——命令に従わなかった?」
⸻
ガイウスは、間を置いた。
「目の前に、人がいた」
「それだけだ」
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クラッセンは、その答えを受け止める。
そして——
わずかに、笑った。
初めて見せる表情。
「……合理的ではないな」
それが、最後だった。
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クラッセンの体が、崩れる。
ガイウスは、剣を収めた。
何も言わない。
ただ——立っている。
⸻
セリスは、その隣に立った。
「……終わった?」
「ああ」
短い答え。
風が、通り抜ける。
乾いた、北の風。
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「……計算、外れたね」
セリスが、小さく言う。
ガイウスは答えない。
だが——
握りしめていた拳が、ゆっくりと開いた。
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空の色が、わずかに変わる。
雲の隙間から、光が差す。
「……行くか」
ガイウスが、北を見る。
「まだ、先がある」
「うん」
セリスは頷いた。
「まだ、先がある」
⸻
一行は、エルム村を後にした。
北へ。
見えない何かへ向かって。
それぞれの「計算の外側」を抱えたまま。
いつも応援ありがとうございます。
セリスの選ぶ「非合理な正しさ」と、それによって少しずつ変わり始める魔剣の関係性。書いていて私自身も、意志の力が世界にどう抗えるのかを考えさせられます。
実は、この『魔剣』とは正反対の「超合理的・現実的」な視点で歴史を再構築する物語も並行して執筆しています。
『室町ホールディングス再興録 〜過労死コンサル、足利義昭に転生す〜』
https://ncode.syosetu.com/n6067lz/
こちらは『魔剣』とは打って変わって、現代のビジネス知識で戦国の世を「ホワイト化」しようと奮闘するコメディ寄りの戦記です。
「意志」で戦うセリスと、「知略とシステム」で戦う義昭。
アプローチは真逆ですが、「理不尽な運命をどう塗り替えるか」という根底のテーマは共通しています。
もしよろしければ、息抜きがてら覗いていただけると嬉しいです。あちらの信長も、なかなかに「非合理」な男ですよ。




