第92話 報告と乖離
夜。
最低限の灯りだけが、部屋を照らしている。
机の上には、一枚の紙。
セリスはペンを持ったまま、しばらく動かなかった。
(……選んだ)
何を伝え、何を伏せるか。
その線引きは、もう終わっている。
なら——書くだけだ。
「いくわよ」
メイラが隣に立つ。
ライラは窓際、ガイウスは扉の前。
いつもの配置。
だが空気は違う。
——これは戦いだ。
言葉で行う、もう一つの戦い。
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「口述して」
メイラが言う。
セリスは、小さく頷いた。
そして、静かに語り始める。
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「ヴェストファーレン公爵閣下」
「帝都における依頼について、以下の通り報告いたします」
ペンが走る。
迷いはない。
だが——選別されている。
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「ヴァルターとの接触は予定通り完了」
「儀礼的会話に留まり、具体的な情報の取得には至らず」
「ただし、帝都内部における警戒レベルの上昇を確認」
「外部勢力に対する監視体制は、強化されていると推測される」
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一瞬の間。
メイラが視線を上げる。
セリスは、わずかに頷いた。
——ここまでは事実。
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「なお、帰路において不審な接触を受けた」
「対象は単独行動と推定」
「短時間の接触の後、離脱」
「現時点において、追跡の兆候は確認されていない」
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ライラが小さく息を漏らす。
「ずいぶん丸めたわね」
ガイウスは何も言わない。
だが否定もしない。
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メイラが確認する。
「対象の詳細は?」
セリスは、ほんの一瞬だけ沈黙した。
——アルベルト。
その名は、出さない。
「記載しない」
「現時点で組織的関連性は不明」
「単独の接触事案として扱う」
メイラは頷く。
そのまま書き進める。
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そして——
セリスは、次の一文を選ぶ。
ここが、境界だ。
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「なお、本接触は依頼における主要目的の達成には影響を与えていない」
「主要目的はすでに完了している」
一拍。
呼吸を整える。
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「当該接触が今後に与える影響については、現時点では不明」
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ペンが止まる。
それで——終わりだった。
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静寂。
あまりにも、整いすぎた報告。
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「……終わり?」
ライラが言う。
「終わり」
セリスは答える。
ガイウスが腕を組む。
「削ったな」
「必要なものはある」
セリスは言う。
「でも、全部じゃない」
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メイラが紙を見つめる。
そこに書かれていないもの。
——観測局の評価
——アルベルトの判断
——セリスの力
すべてが、意図的に落とされている。
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「……いいと思う」
静かに言う。
「報告としては成立してる」
「でも」
視線を上げる。
「見抜く人は、見抜くわよ」
セリスは頷いた。
「分かってる」
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封をする。
蝋が溶け、固まる。
それで——形式上は終わりだ。
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「出す」
ガイウスが封書を受け取る。
「いつもの経路で送る」
「お願い」
短い言葉。
扉が開き、閉まる。
足音が遠ざかっていく。
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残された三人。
火が、小さく揺れる。
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「……怖い?」
メイラが聞く。
セリスは、少し考えてから首を振った。
「怖くはない」
一拍。
「でも——嫌な感じはする」
ライラが笑う。
「それでいいのよ」
「何も感じない方が、よっぽど危ない」
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セリスは目を閉じる。
(これでいい)
そう思う。
そう思うしかない。
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だが——
どこかで、何かが噛み合っていない。
そんな感覚だけが、残った。
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■場面転換
数日後。
ヴェストファーレン公爵領。
冬の空気が、石造りの城を包んでいる。
帝都とは異なる、静かな世界。
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執務室。
厚い扉が閉ざされ、外の音はほとんど届かない。
机の上に、一通の封書。
封蝋には見慣れた印。
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「帝都からか」
低い声。
すでに部屋には、公爵一人。
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封が切られる。
紙が広げられる。
視線が走る。
上から下へ。
一度で——十分だった。
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「……なるほど」
小さく呟く。
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紙を指で軽く叩く。
乾いた音が、静寂に響く。
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「ヴァルター接触——完了」
「帝都警戒——上昇」
「不審な接触——」
そこで止まる。
わずかに、口元が歪む。
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「ここだな」
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椅子に背を預ける。
天井を見上げる。
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「単独」
「短時間」
「影響不明」
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小さく笑う。
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「そんな都合のいい接触があるか」
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静かに断じる。
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「依頼は完了している」
「それも事実だろう」
一拍。
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「だが——」
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紙に視線を戻す。
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「これは“結果報告”ではない」
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指で一行をなぞる。
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「“削られた報告”だ」
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沈黙。
思考が、静かに組み上がる。
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「書かなかった、ではない」
「書けなかった、か」
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一つずつ、言葉にする。
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「対象の秘匿」
「評価の欠落」
「現象の不記載」
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わずかに目を細める。
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「つまり——」
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「“何か”が起きている」
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断定。
迷いはない。
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「しかも——」
紙を軽く持ち上げる。
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「それは、“言語化を避けたくなる類のもの”だ」
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沈黙。
空気が変わる。
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「面白い」
ぽつりと落ちる。
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「選んだな」
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誰に向けた言葉でもない。
だが確実に——
セリスに向けられている。
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「隠した」
「つまり、握った」
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ゆっくりと立ち上がる。
窓の外を見る。
白く冷えた空気。
遠くに広がる、自らの領地。
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「判断としては、悪くない」
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だが次の瞬間、声が冷える。
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「だが——甘い」
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机の引き出しを開く。
別の報告書。
別経路から届いた情報。
(※詳細はあえて描かない)
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二つの紙を並べる。
わずかな“ズレ”。
だが、それで十分。
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「どこまで隠せる?」
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紙を重ねる。
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「試そう」
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蝋燭の火が揺れる。
影が、深く落ちる。
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「セリス」
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その名を、静かに口にする。
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「お前は——どこまで選べる?」
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静寂が、すべてを包み込んだ。
いつも応援ありがとうございます。
セリスの選ぶ「非合理な正しさ」と、それによって少しずつ変わり始める魔剣の関係性。書いていて私自身も、意志の力が世界にどう抗えるのかを考えさせられます。
実は、この『魔剣』とは正反対の「超合理的・現実的」な視点で歴史を再構築する物語も並行して執筆しています。
『室町ホールディングス再興録 〜過労死コンサル、足利義昭に転生す〜』
https://ncode.syosetu.com/n6067lz/
こちらは『魔剣』とは打って変わって、現代のビジネス知識で戦国の世を「ホワイト化」しようと奮闘するコメディ寄りの戦記です。
「意志」で戦うセリスと、「知略とシステム」で戦う義昭。
アプローチは真逆ですが、「理不尽な運命をどう塗り替えるか」という根底のテーマは共通しています。
もしよろしければ、息抜きがてら覗いていただけると嬉しいです。あちらの信長も、なかなかに「非合理」な男ですよ。




