第84話 深淵を覗く者
林の奥、メイラとライラが待つ合流地点に辿り着いた時、二人の反応は対照的だった。
「セリスさん! 無事で……あ、ガイウスさん!?」
メイラが安堵と驚きをない交ぜにして声を上げる。
一方でライラは、ガイウスの背後にまとわりつく“気配”を鋭く見抜いていた。
「……随分な死臭を連れてきたわね、二人とも」
その視線は、セリスの手元——鞘に収まったノイエ・ジールへと注がれる。
セリスは答えられなかった。
掌に残る、自分の意志を無視して肉を断ったあの“無機質な振動”。それが今も神経を逆撫でしている。
「話は後だ。追手はまだ来る。まずはこの場を離れるぞ」
ガイウスの低く落ち着いた声が、凍りついた空気を強引に動かした。
かつての冷徹な“計算”だけではない。どこか世捨て人のようで、それでいて芯の通った響き。
セリスはその背中に、以前にはなかった“重み”を感じていた。
一行は街道を避け、起伏の激しい獣道を選び、南西へと進む。
数時間の行軍の末、古びた魔導技師の隠れ家と思しき岩陰の廃屋に辿り着いたのは、陽が完全に落ちた頃だった。
焚き火を囲む四人の影が、煤けた壁に長く伸びる。
メイラが差し出した温かいスープを啜り、ようやく人心地ついたセリスに、ガイウスが切り出した。
「……あの剣、ノイエ・ジールと言ったか。あれは何だ」
セリスは、カップを持つ手に力を込める。
「……私にも、分からない。エルデンが滅びる夜、地下宝物庫で私を選んだ。でも、今日分かったのは……あれは、ただの剣じゃないということ」
「鎧を透過し、肉体だけを断つ現象。魔法障壁すら意味を成さない」
ガイウスは焚き火の爆ぜる音を聞きながら、淡々と言葉を継いだ。
「既存の物理法則や魔導工学の範疇を逸脱している」
わずかな沈黙。
そして、彼は続けた。
「俺が帝都を離れ、各地の古戦場や文献を洗って分かったことが一つある。帝国が急激な技術進歩を遂げた背景には、ある『石』の存在がある」
「魔導石……のこと?」
セリスの問いに、ガイウスは首を振る。
「違う。市中に流通しているものじゃない。帝国北部、ドラッヘンベルク山脈の最深部——そこから極秘に運び出される“原石”だ」
焚き火の火が、ぱちりと弾けた。
「その研究の第一人者が、帝都アドラーブルク大学を追われた一人の教授だ」
「教授……」
「ヴィルヘルム・ガウス。帝国魔導科学の基礎を築いた男だが、ある時期を境にすべての役職を辞し、姿を消した」
ライラが口を挟む。
「ガウス教授……情報屋の間でも都市伝説扱いよ。『魔導石の真実』に触れて正気を失ったって話」
「正気を失ったのではない。真実に耐えられなくなった——そう俺は見ている」
ガイウスは懐から、ひどく古びたメモを取り出した。
幾何学的な紋様と、走り書きのような地図。
「彼はこの先の渓谷にある古い観測所に潜伏しているはずだ」
視線がセリスへ向く。
「お前の持つ“黒い剣”の正体。そして帝国が隠している『神』という規律……そのパズルを解く最後のピースを、あの男は持っている」
——翌々日。
一行は霧の深い「嘆きの渓谷」へと足を踏み入れた。
切り立った崖の狭間。
時代から取り残されたような巨大な望遠鏡を備えた石造りの塔が現れる。
そこが、ヴィルヘルム・ガウスの隠れ家だった。
塔の内部は、異様な光景だった。
壁一面に書き殴られた数式。
床に散乱する、使い古された魔導石の殻。
そして奥の机で、白髪を振り乱した老人が、顕微鏡のような魔導装置を覗き込んでいる。
「……計算が合わん。バールの波長と、この封印の周期が……また誤差だ……『彼』が目覚めようとしている……」
独白は、もはや会話の体をなしていない。
「ガウス教授」
ガイウスが静かに声をかける。
老人は弾かれたように振り返った。
「誰だ! 帝国の刺客か!? それともバールの使いか!?」
「刺客ではありません。教授——あなたの理論を証明するために、この“剣”を見ていただきたい」
促され、セリスが一歩前に出る。
腰のノイエ・ジールを、ゆっくりと机の上に置いた。
——その瞬間。
ガウス教授の顔から、血の気が引いた。
「あ……ああ……あぁ……っ!」
悲鳴にも似た声。
椅子ごと後退る。
「なぜだ……なぜそれがここにある!? それは……ルシファーの……あの忌まわしき“封印”の核ではないか!」
「封印の……核?」
セリスの言葉に、教授は震える指で剣を指し示した。
「お嬢さん……自分が何を握っているか分かっているのか。帝国が山脈から掘り出している高純度の魔導石——あれは天然資源などではない」
狂気に染まった目で、壁の図面を指し示す。
そこには、巨大な翼を持つ“何か”が、無数の楔で地中に繋ぎ止められている絵。
「太古の昔——神を名乗る傲慢な“規律”に対し、混沌と多様性を求めて反旗を翻した堕天使……ルシファー」
声が震える。
「神は彼を殺せず、その魂を八つに分け、山脈の深奥に封印した」
焚き火の光が揺れる。
「その“魂の牢獄”から漏れ出す高密度のエネルギー……それが、魔導石の正体だ」
セリスの心臓が激しく脈打つ。
「じゃあ……帝国の文明は……」
「ルシファーの犠牲の上に成り立っている」
間髪入れず、教授は言い切った。
「いや——搾取だ」
沈黙。
「そして君の剣——ノイエ・ジール。それは“切断する意志”そのものが形を成したもの」
セリスは息を呑む。
「封印と同質の力……いや、封印そのものを転用した禁忌の武装だ」
ガウスは、這い寄るようにセリスに近づいた。
「君がそれを振るうたびに、封印は弱まる。そして同時に——君の魂は“彼”に喰われていく」
その声は、呪いのようだった。
「完全に覚醒した時、君は消える。そして——世界を灰にする“悪魔”が再誕する」
静寂が落ちる。
遠くで、雷鳴のような音が響いた。
(……ノイエ)
セリスは心の中で呼びかける。
(……今のは、本当なの?)
返ってきたのは——
かつてないほど深く、冷たく、そしてどこか哀しい声だった。
『……半分は正解です、セリス』
『私は、あなたを喰らう』
一拍。
『……ですが、それはあなたが望んだことでもある』
セリスは、震える右手を左手で押さえ込む。
帝国の繁栄の裏側。
魔導石の真実。
「神」と「悪魔」。
どちらが正義で、どちらが悪なのか——
その境界が、音を立てて崩れていく。
「教授……一つだけ教えてください」
セリスは、涙を堪えながら問う。
「この剣を使い続けたら……私は、どうなりますか」
ガウスは、哀れみを含んだ目で見つめた。
「ヴァルキリーとなり、神の規律の代弁者になるか」
一拍。
「あるいは、ルシファーの引き金となるか」
静かに言い切る。
「どちらにせよ——“人間”としての君は、死ぬ」
ガイウスが、セリスの隣に立った。
「……計算が狂ったな。ここまで絶望的とは」
だが、その声に迷いはない。
「だが、死ぬまでが“生”だ」
教授を見据える。
「その運命を書き換える数式は——まだ未完成なんだろう?」
ガウスは目を見開き、そして——力なく笑った。
「……元・帝国伯爵。君は馬鹿か、それとも聖者か」
外では、本格的な雨が降り始めていた。
帝都の光が届かない、霧深い渓谷の底。
セリス・アルヴェリアは悟る。
自分の運命が、もはや個人の復讐を越え——
世界そのものと対峙していることを。
(ノイエ……)
心の中で、そっと呟く。
(私が死ぬまで、離さないでね)
『……了解しました、セリス』
宝石の赤い光が——
一瞬だけ、血のように部屋を染めた。
いつも応援ありがとうございます。
セリスの選ぶ「非合理な正しさ」と、それによって少しずつ変わり始める魔剣の関係性。書いていて私自身も、意志の力が世界にどう抗えるのかを考えさせられます。
実は、この『魔剣』とは正反対の「超合理的・現実的」な視点で歴史を再構築する物語も並行して執筆しています。
『室町ホールディングス再興録 〜過労死コンサル、足利義昭に転生す〜』
https://ncode.syosetu.com/n6067lz/
こちらは『魔剣』とは打って変わって、現代のビジネス知識で戦国の世を「ホワイト化」しようと奮闘するコメディ寄りの戦記です。
「意志」で戦うセリスと、「知略とシステム」で戦う義昭。
アプローチは真逆ですが、「理不尽な運命をどう塗り替えるか」という根底のテーマは共通しています。
もしよろしければ、息抜きがてら覗いていただけると嬉しいです。あちらの信長も、なかなかに「非合理」な男ですよ。




