第75話 好きな場所
翌朝。
朝食を終えた頃。
「今日、予定はある?」
レナが言う。
「……特には」
「じゃあ、ちょっと付き合って」
「……どこへ?」
「好きな場所」
それだけ言って、立ち上がる。
——
帝都の市民区は、北区とは空気が違った。
石畳はでこぼこで、
露店は雑然と並び、
子供たちが、路地を駆け回っている。
「……賑やかですね」
「でしょ」
レナが、前を向いたまま言う。
「帝国の飾りがない分、生きてる感じがするの」
「……レナさんは、よくここへ?」
「よく来る。一人で」
「……帝都の華と呼ばれる方が」
レナが立ち止まり、振り返る。
「……私、そんなに目立つ?」
「目立ちます」
「そう?」
「すごく」
「……気にしたことなかった」
「それがすごいんです」
「意味が分からない」
そう言って、また歩き出す。
——
「——待って」
レナが、急に立ち止まる。
路地の先。
少年がパンを掴んで走り出した。
「泥棒だ!」
店主の怒声。
レナが迷わず動く。
セリスも追う。
——
袋小路。
追い詰められた少年。
擦り切れた靴。
痩せた体。
「……返せ!」
店主が迫る。
レナが間に入る。
「少し待って」
落ち着いた声。
揺るがない目。
「私が払います」
パン三つ分の代金を差し出す。
店主は舌打ちしつつも去っていく。
——
「……なぜ盗んだの」
「……妹が、腹を空かせてて」
小さな声。
「父ちゃんが戦争で死んで」
「……そう」
レナはそれ以上聞かない。
「妹は?」
「……近くに」
「連れていって」
「……なんで」
「食べさせるため」
「……ただで?」
「ただで」
少年はしばらく見つめ——
「……こっち」
歩き出す。
——
古びた宿の軒下。
少女が膝を抱えていた。
「……お兄ちゃん!」
飛びつく。
泣きそうな声。
「……この人が」
「……おねえさん?」
レナがしゃがむ。
「名前は?」
「……リーナ」
「お腹、空いてる?」
こくり。
「じゃあ——ついておいで」
——
孤児院。
扉を開けた瞬間。
「レナお姉ちゃん!」
子供たちが駆け寄る。
笑顔。
声。
温かさ。
「ただいま」
レナの笑顔は——いつもより柔らかかった。
「ここは?」
「私の孤児院」
「……初めて聞きました」
「言ってないから」
「……どうして」
「照れるから」
「……意外です」
「ここではただのお姉ちゃんだから」
——
リーナはすぐに溶け込んだ。
笑顔が戻る。
少年は——まだ戸惑っていた。
「……笑えるようになる?」
「なれる」
「根拠は」
「私がそうだったから」
その言葉に、少年は頷いた。
——
しばらく遊ぶ。
笑い声が響く。
その時——
「——あ」
誰かが上を見る。
三階。
小さな影が、崩れる。
「危ない!」
落ちる。
一瞬。
誰も動けない。
——レナが動いた。
地面を蹴る。
強く。
まるで——
“飛んだ”。
空中で、子供を抱き止める。
ふわりと着地。
音もなく。
静かに。
「……大丈夫?」
「……うん」
安堵が広がる。
——だが。
セリスは見ていた。
一瞬。
背中に——光。
羽のような、何か。
「……レナさん」
「なに?」
「……今の」
「跳んだだけよ」
「三階ですよ」
「気合い」
「……」
子供たちが騒ぐ。
「飛んだ!」
「空にいた!」
「羽あった!」
「なかったわよ」
即答。
否定が早すぎる。
違和感だけが、残る。
——
夕方。
帰り道。
「……見ていました」
「うん」
「躊躇わなかった」
「困っているなら助けるだけ」
「……簡単に言いますね」
「簡単よ」
「……私には」
「できる」
「根拠は?」
「一緒に走ったでしょ」
セリスは、少し笑う。
——
写真館。
「撮りましょう」
「……記念に?」
「今日を残したいから」
“今日”。
その言葉が、少しだけ重い。
——
撮影。
肩が触れる。
手が重なる。
「動かないで」
「……はい」
光。
——シャッター。
——
現像。
写真を受け取る。
一瞬だけ。
レナの視線が止まる。
「……どうしました?」
「なんでもない」
渡される。
セリスが見る。
二人の姿。
そして——
レナの背後に。
ぼんやりとした光。
羽のような輪郭。
「……これ」
「光の写り込みよ」
即答。
迷いがない。
「……そうですか」
納得はできない。
でも——
「……綺麗です」
「でしょ」
レナが、少し安心したように笑う。
「それ、なくさないで」
「……はい」
「絶対に」
強い言い方だった。
——
外に出る。
夕暮れ。
セリスは写真を胸に抱く。
(……この人は)
(本当に、ただの人?)
答えは出ない。
でも——
写真だけが残る。
あの瞬間の“真実”を、閉じ込めたまま。
いつも応援ありがとうございます。
セリスの選ぶ「非合理な正しさ」と、それによって少しずつ変わり始める魔剣の関係性。書いていて私自身も、意志の力が世界にどう抗えるのかを考えさせられます。
実は、この『魔剣』とは正反対の「超合理的・現実的」な視点で歴史を再構築する物語も並行して執筆しています。
『室町ホールディングス再興録 〜過労死コンサル、足利義昭に転生す〜』
https://ncode.syosetu.com/n6067lz/
こちらは『魔剣』とは打って変わって、現代のビジネス知識で戦国の世を「ホワイト化」しようと奮闘するコメディ寄りの戦記です。
「意志」で戦うセリスと、「知略とシステム」で戦う義昭。
アプローチは真逆ですが、「理不尽な運命をどう塗り替えるか」という根底のテーマは共通しています。
もしよろしければ、息抜きがてら覗いていただけると嬉しいです。あちらの信長も、なかなかに「非合理」な男ですよ。




