第74話 泣いていい
夜。
屋敷の中は静まり返っていた。
廊下に灯る魔導灯だけが、淡く光っている。
セリスは、一人で歩いていた。
行き先は決めていない。
ただ――。
部屋にいるのが、少しだけ苦しかった。
*
昼間のことが、頭に残っている。
中庭。
水の音。
レナの声。
『頼りなさい』
その言葉が、離れない。
(……頼る)
考えたこともなかった。
ずっと、一人でやってきたから。
それが普通で。
それが当然で。
それ以外を、知らない。
だから――。
どうすればいいのか、分からない。
(……それでも)
昼間、言われた言葉がよみがえる。
『第一号になってあげる』
(ともだち)
その響きが、まだ胸の奥に残っている。
知らないはずの言葉なのに。
なぜか――。
離れなかった。
*
足が止まる。
人気のない廊下の角。
窓の外には、夜の庭が広がっている。
静かで。
暗くて。
どこまでも、広い。
「……」
何もない景色を、ただ見つめる。
そのまま――。
しばらく、動けなかった。
胸の奥が、ざわつく。
理由は分からない。
でも。
何かが、崩れそうだった。
*
「……セラ」
声がした。
振り向く。
そこにいたのは――。
レナだった。
「……レナさん」
「こんなところで、何してるの」
ゆっくりと歩み寄ってくる。
「……少し、考え事を」
「ふうん」
それ以上は聞かない。
でも――。
視線は外さない。
まっすぐ、見ている。
「……」
沈黙。
逃げ場がない。
けれど――。
嫌じゃなかった。
「……顔、ひどいわよ」
「……え」
「今にも泣きそう」
その一言で。
胸の奥が、揺れた。
「……そんなこと、」
「ある」
即答だった。
「ずっと我慢してる顔」
「……」
言葉が、出ない。
否定したいのに。
できない。
「……大丈夫です」
やっと、それだけ言う。
いつも通りの言葉。
慣れた答え。
でも――。
「大丈夫じゃないでしょ」
あっさりと否定された。
「……」
「無理してる」
静かな声だった。
責めるでもなく。
ただ――見抜いている。
「……」
何も言えない。
言えば、崩れそうだった。
だから――。
黙る。
それしか、できなかった。
すると――。
「……はあ」
レナが、小さく息をついた。
「ほんと、不器用ね」
一歩、近づく。
距離が縮まる。
「……セラ」
「……はい」
「泣いていいわよ」
その言葉が。
まっすぐ、落ちてきた。
「……」
何も、返せない。
理解が、追いつかない。
「我慢しなくていい」
「……」
「ここには、誰もいない」
静かな声。
優しくて。
逃げ道を塞ぐような声。
「……でも」
やっと、絞り出す。
「……泣く理由が、」
「あるでしょ」
遮られる。
「……」
「あるから、そんな顔してるの」
「……」
視界が、揺れる。
何かが、こみ上げてくる。
でも――。
止める。
止めないと、いけない。
そう思った瞬間。
(……この人は)
昼間の言葉が、よみがえる。
『第一号になってあげる』
(初めての――)
その続きが、言葉にならない。
でも。
胸の奥で、何かがほどける。
「いいから」
レナが、手を伸ばした。
そっと。
セリスの頭に触れる。
優しく、撫でる。
「頑張ったんでしょ」
その一言で。
――切れた。
「……っ」
息が、詰まる。
視界が、滲む。
止まらない。
「……っ、あ……」
声にならない。
こぼれる。
涙が、止まらない。
「……う、ぁ……」
膝が、少しだけ崩れる。
支えきれない。
その瞬間――。
レナが、引き寄せた。
「ほら」
抱き寄せる。
自然に。
当たり前のように。
「大丈夫」
耳元で、囁く。
「ここにいるから」
「……っ」
もう、止められなかった。
セリスは、レナの胸に顔を埋める。
声を押し殺して。
でも、隠しきれずに。
泣いた。
ずっと。
ずっと、我慢していたものを。
全部、吐き出すように。
(……ああ)
思う。
(この人は)
(本当に――)
(私の、初めての友達なんだ)
その実感が。
遅れて、胸に落ちてきた。
「……ごめんね」
レナの声がする。
優しく、背を撫でながら。
「気づくの、遅くなって」
「……っ」
首を振る。
言葉にならない。
でも――。
少しだけ。
楽になった。
温もりが、あった。
一人じゃないと、思えた。
それだけで。
十分だった。
*
どれくらい時間が経ったのか。
分からない。
気づけば、涙は止まっていた。
「……落ち着いた?」
「……はい」
小さく頷く。
顔を上げる。
少しだけ、恥ずかしかった。
「……すみません」
「何が」
「……その」
「泣いたこと?」
レナは軽く笑う。
「別にいいわよ」
「……」
「むしろ、ちゃんと泣けて偉い」
「……偉い、ですか」
「偉い」
真顔だった。
思わず、少しだけ笑う。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
レナは満足そうに頷く。
それから――。
少しだけ、真面目な顔になる。
「ねえ、セラ」
「……はい」
「これからは」
一拍。
「一人で抱えないこと」
「……」
「無理なら、私に言いなさい」
まっすぐな言葉だった。
逃げ場はない。
でも――。
拒絶する理由もなかった。
「……はい」
ゆっくりと、頷く。
それは――。
初めて、自分から差し出した“弱さ”だった。
そして。
初めて、誰かに預けたものだった。
(この人は)
(私の、初めての友達だから)
その言葉は、胸の中だけで繰り返す。
まだ口に出すには――。
少しだけ、怖かった。
レナは、少しだけ微笑む。
その表情は――。
どこまでも、優しかった。
いつも応援ありがとうございます。
セリスの選ぶ「非合理な正しさ」と、それによって少しずつ変わり始める魔剣の関係性。書いていて私自身も、意志の力が世界にどう抗えるのかを考えさせられます。
実は、この『魔剣』とは正反対の「超合理的・現実的」な視点で歴史を再構築する物語も並行して執筆しています。
『室町ホールディングス再興録 〜過労死コンサル、足利義昭に転生す〜』
https://ncode.syosetu.com/n6067lz/
こちらは『魔剣』とは打って変わって、現代のビジネス知識で戦国の世を「ホワイト化」しようと奮闘するコメディ寄りの戦記です。
「意志」で戦うセリスと、「知略とシステム」で戦う義昭。
アプローチは真逆ですが、「理不尽な運命をどう塗り替えるか」という根底のテーマは共通しています。
もしよろしければ、息抜きがてら覗いていただけると嬉しいです。あちらの信長も、なかなかに「非合理」な男ですよ。




